★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「過去最大の悲惨飛行機搭乗記

2024-03-01 10:01:36 | ベトナム・ハノイ

 昨夜「相棒ミッの散歩」も終わりYOUTUBEを見ていた、特別好きでもないが

SUチャンネルという「旅行系のYOUTUBER」の「飛行機搭乗の大変そうなキャプション」に興味をもった。

 事の顛末はこうである。「まず新興航空会社の初便に乗ろうとしたが欠航、その後福岡からソウル便に乗ろうとしたら

その便がソウルの天候不順(雪)で遅延し、結局は福岡空港の門限に間に合わず出発できずに福岡泊まり、3万円を渡され博多宿泊

翌日便でソウルに行った」と言うものだった。 その動画を見ながら「自分の過去最大のこれより悲惨な状況を思い出した」

 事の顛末はこうである。

*時はコロナ前のゴールデンウィーク初日、自分は「日本出張を終え、日本のそこそこ大きな会社の社長からタイでのビジネス打ち合わせ」

に誘われて、仕方が無く キャセイ航空で成田発⇒香港経由ハノイ行き、自宅に1泊し、翌日VNエアラインでハノイ発⇒バンコクで

出張、「打ち合わせ後」VN航空でバンコクからハノイに帰国、と言う予定を組んでいた。 悲劇は成田空港から始まる。

 

*成田発19:40のCathay便はディレイしていた。理由は機材の到着遅れ、ゴールデンウィークの直前ということも有り、

成田空港はごったがえしていた。チェックインカウンターは長蛇の列、その時は「マルコポーロ上級会員だった自分はいち早くチェックインし、ラウンジでビールなどを気楽に飲んでいた」

ようやく登場時間になり、乗り場に、そして機内に乗り込み「プッシュバックが始まった。しかし誘導路の途中まで来たところで、どういうわけか飛行機が引き返し始めた?」

 

*訳も分からずにいると「どうやら機材の香港発が余りに遅れ、到着はしたが成田での準備も何かの理由で遅れたため、

24時間空港でない「成田空港の出発時間、門限午後11時」に間に合わなくなってしまったらしい。

 

*??? ということは? 香港へは向かえない。その後は乗客がパニック状態になった。声を荒げるものや

お年寄りなどは、どうしたらよいのかわからずただただ空港のベンチでうなだれるだけだった。出発が3時間以上も

遅れた挙句のこの始末

 

*私もさすがに500回近く飛行機に乗っていると「何度かディレイで乗り継ぎに間に合わず、航空会社が手配したホテルに泊まったことも数回あった」、今度も同じか?  しかし明日は「バンコクで打ち合わせのはずだったのだが、どうなるか?  ここから更なる悲劇が起こる!

 

*時はゴールデンウィーク、近隣のホテルはおろか千葉東京のホテルが軒並み「飛行機1機分の乗客数」をさばけるだけのホテルの空きなど

皆無だった。航空会社からはそういう説明があったが、近在から来た人もすでに午前0時になろうとしている今、帰る手立ても無くなっていた。

一度「出国してしまったため、再入国等の手続きで時間を要し、すでに翌日になっていた。 一層エキサイトした人たちは航空会社のスタッフ

に詰め寄り、パニック状態になっていた。しかもおなかも空いている人(19:40発なので機内での夕食を当てにしていた人も多いため)

も居たが、航空会社が食事のクーポン券が渡されたすでに成田空港のほとんどの飲食施設はクローズしていたため使えなかった。

 

*結局は「近在でタクシーなどで帰宅できる人以外は、成田空港の出発ロビーで夜を明かすことになってしまった。5月でも夜は冷える。

緊急用のアルミホイルのような寝具と、乾パン、水を渡され、各自が成田の出発ロビーやベンチで夜を明かすことになってしまった。

 数多くの飛行機搭乗を経験したが「こんな悲惨な体験は初めてだった」出発ロビーは減光もされず明るいまま、寒くおなかも空いたの

で「寝るしかなかった」(もし個人でホテルが予約できれば交通費や宿泊代は航空会社が出すと説明はあったが、自分も1時間ほどTRYしたが

明日の振替便までに帰れるような距離にホテルは見つからなかった。)もうその時点で午前2時近く「私も含めあきらめて空港泊をして翌日便を

待つしか無かったのである。

 

*しかし自分には「やるべきことがあった」 成田⇒香港便のスケジュールが変わってしまったために、予定の香港⇒ハノイ便に乗れなかった。

しかしこれは「同じCathay関連会社のドラゴン航空だったため、翌日便に振り替える」との説明をされたが?

欠航のための処理のために乗客は右往左往していた、自分も自分は「バンコクでの打ち合わせのために」その後の

ハノイ⇒バンコク便に乗らねばならないのだ!

 

*そこからが大変だった。まずは「Cathayのスタッフを捕まえて事情を説明」すると「あなたの言うことは分かった、しかし予定はこちらでは

分からないので、できればCathay便でどうしたいのか?を教えてほしい」と言う、もっとなことだ。ではすぐに予定を立てるので・・・

ということで「夜中の2時に、スマホを片手にその後のスケジュール、しかもCathay航空をできるだけ使ったフライトスケジュールを自分で

探さなければならなかった。(しかし、ここは日本、日本語で事の顛末を説明できたのは幸せだった。)

全てを「スタッフに説明し、手配が終わったのは午前3時に近かった」

 

*見つけたチケットは「明日の振替便で香港に行った後、香港からバンコクへCathay便で行くフライトを見つけた。「打ち合わせに

間に合うことが出来そうだった。しかし、よく考えるとその日にハノイからバンコクに行くVNエアラインのチケットは

片道が無駄になってしまった。(この時この問題が後々大きな問題になるなどとは思いもよらなかった)

 そして何とか翌日(正確にはその日)香港経由でバンコクに到着し、2日間の打ち合わせを済ますことが出来た。

これで「めでたし、めでたし」と思ったが、この後さらに過酷な旅は続く。

 

*バンコクでの「予定も終わり」居住地であるベトナムハノイにようやく帰れることになって

一人スワンナプーム国際空港のVNエアラインのチェックインカウンターで「チェックイン」しようとしていた時、さらにめんどくさいことが

起こった。

 

*VN航空曰く、「あなたの航空券はハノイーバンコクの往復航空券である。ハノイーバンコク間の搭乗実績が無いので

バンコクーハノイの航空券は【使えない】ということなのだ??? 「え?・・・」ここで「そうですか?」とは言えない。!

「これまでの経緯を説明しようにもここはバンコク、スタッフは英語もしゃべれるが私もつたない英語である」しかしあきらめるわけにも

いかず、「自分のできる範囲の英語」で必死に「これまでの経緯、つまり成田からのキャセイ航空の遅延から始まる物語」を

VNエアラインスタッフに説明した。

 何とか事情を説明した。最後にはVNエアラインの「お偉いさんが出てきて」それを証明するものはあるか?・・・との事、

自分も考えた挙句「キャセイ航空に連絡してもらい

「私の話す成田からの遅延物語」の証明をすることになった、最後には「Cathay航空のスタッフもVNエアラインのチェックインカウンターの

「お偉いさん」のところまできて「事情説明」をしてくれた。そして「片道のチケットをに搭乗できなかったのは、結果、Cathay航空の

遅延からこうなってしまった、事を理解して頂いた。

 

*この努力の結果、「不可抗力」ということで「VN航空の搭乗許可が出た」しかしここからも大変だった。すでに搭乗時刻も過ぎ、最終案内も

終わろうとしていた時間だ。それから「VNエアラインスタッフと共に」イミグレ、荷物検査を通り、猛ダッシュで「ハノイ行きの搭乗口」に

「急いだ」もうギリギリの状態で「自分一人を待っていたバンコク発ハノイ行きに乗り込んだ」、これまで数多くの飛行機に乗ったが

この経験が一番大変だった。

 

*実はこれに近い経験もしている?「サンフランシスコ空港」で出発でエンジンをふかして走り出した10秒後ぐらい後にに滑走路上で止まり、

引き返し4時間缶詰。結局は空港に戻され「入国扱いではなく、洗面用具とテレフォンカードを渡され、指定ホテルに缶詰めにされたことも

有ったが? 食事やホテルがあてがわれたのを考えれば「今回には及ばない経験だろうと思う」しかしアメリカでのホテル缶詰にはさすがに

不安だったが・・・

 

★あの時は「度重なるデトロイト出張、数回のパリ1泊3日出張など、企業も人権を無視したとんでもない出張を

命じていた。2つの企業で200回以上の海外出張をして数多く飛行機に乗ったので、いろんな経験をしたが?

この経験が「一番大変だった」・・・・

 

 ハノイの自宅の部屋で、「相棒ミッ」とソファーに座り「交通系YOUTUBER」の「悲惨体験を見ながら」

自分のそんな、さらに悲惨な「体験を思い出していた」人生とは明日は何が起こるか分からないものである。

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