ロナウドが引退を表明しましたね。
イタリアで膝の負傷をするまでのロナウドは本当に凄かったですからね。
フェノメーノという言葉そのものが、ロナウドでしたから!
セリエAに移籍しての初ゴールの切り返しの凄さには
本当にビックリしました。
相手ディフェンスのパガニンを一瞬にして置き去りにしましたからね。
貧乏なものでイタリアには数回しか行けませんでしたが(苦笑)
少ないなりにも3回現地で生ロナウドを味わえたことは幸せだったかもしれません。
大きな負傷の前でしたからね。
97/98 インテル移籍シーズンのミランダービー。
記憶が正しければ、シメオネのゴールをアシストしたのではなかったかな?
ジュゼッペメアッツァの最前列での観戦でしたので、一番間近で観戦すること
のできた(生)ロナウドは驚きの連続でした。
続いての観戦は
98年11月25日 インテル × レアル・マドリード
インテル版 RO-ROコンビを観戦することができた試合です。
後半途中出場のロビーの2ゴールでインテルが勝利した試合です。
チーム戦術が「個人技」だった当時のインテルですが
右にロナウド、左にロビーという眩い個性が戦術議論を用なし
にしてしまうほどの輝きを放っていました。
大阪のデメトリオしんや君との観戦でしたが
鮮明に記憶に残っている試合です。
最後の観戦となったのが
99/00シーズンの ミランダービーです。
ロナウドのPKにより先制したインテルでしたが
ミランディフェンダーのアジャラとの競り合いでロナウドの肘が
アジャラに当ったとの判断で、ロナウドが一発退場になった試合でした。
この試合は数少ないビエリとのコンビを披露している試合でも
ありました。
試合後の「コントロカンポ」でもこの退場は話題になり、退場劇の当事者は
ピリピリとしていたことを思い出します。試合の3日後にピネティーニャを訪れても、
練習後足早に愛車のフェラーリで走り去るロナウドしか見ることができませんでした。
大きな怪我がなければ、さらなる「伝説」を築いた選手になったことでしょうね。
西の怪物 ロナウド、東の怪物 シェバ と言われた時代だったのですよね。
偉大なる選手の引き際は淋しい限りですが、こうやって歴史は築かれていくんですね。
Grazie ロナウド。
雅104
イタリアで膝の負傷をするまでのロナウドは本当に凄かったですからね。
フェノメーノという言葉そのものが、ロナウドでしたから!
セリエAに移籍しての初ゴールの切り返しの凄さには
本当にビックリしました。
相手ディフェンスのパガニンを一瞬にして置き去りにしましたからね。
貧乏なものでイタリアには数回しか行けませんでしたが(苦笑)
少ないなりにも3回現地で生ロナウドを味わえたことは幸せだったかもしれません。
大きな負傷の前でしたからね。
97/98 インテル移籍シーズンのミランダービー。
記憶が正しければ、シメオネのゴールをアシストしたのではなかったかな?
ジュゼッペメアッツァの最前列での観戦でしたので、一番間近で観戦すること
のできた(生)ロナウドは驚きの連続でした。
続いての観戦は
98年11月25日 インテル × レアル・マドリード
インテル版 RO-ROコンビを観戦することができた試合です。
後半途中出場のロビーの2ゴールでインテルが勝利した試合です。
チーム戦術が「個人技」だった当時のインテルですが
右にロナウド、左にロビーという眩い個性が戦術議論を用なし
にしてしまうほどの輝きを放っていました。
大阪のデメトリオしんや君との観戦でしたが
鮮明に記憶に残っている試合です。
最後の観戦となったのが
99/00シーズンの ミランダービーです。
ロナウドのPKにより先制したインテルでしたが
ミランディフェンダーのアジャラとの競り合いでロナウドの肘が
アジャラに当ったとの判断で、ロナウドが一発退場になった試合でした。
この試合は数少ないビエリとのコンビを披露している試合でも
ありました。
試合後の「コントロカンポ」でもこの退場は話題になり、退場劇の当事者は
ピリピリとしていたことを思い出します。試合の3日後にピネティーニャを訪れても、
練習後足早に愛車のフェラーリで走り去るロナウドしか見ることができませんでした。
大きな怪我がなければ、さらなる「伝説」を築いた選手になったことでしょうね。
西の怪物 ロナウド、東の怪物 シェバ と言われた時代だったのですよね。
偉大なる選手の引き際は淋しい限りですが、こうやって歴史は築かれていくんですね。
Grazie ロナウド。
雅104