これ、恋愛映画ではありません。
(プロポーズのシーン。恋人からのプロポーズをリブ・タイラー演じるクリスティンは、なぜか断ります。なので、後に登場する犯人との関係をここでちょっと深読みをしてしまいそうになりますが、それは無関係です)
映画の最初のこのシーンを見る限りでは、
見間違うのも無理はないのですが、
(クリスティンの恋人ジェイムズ役のスコット・スピードマン。ここでも映画『死ぬまでにしたい10のこと』での夫同様に、≪死ぬまで≫やさしい青年を演じていました)
スコット・スピードマン(Scott Speedman)もホラー映画というイメージではないけれど、れっきとしたホラー映画です。
★ご参考までに。http://www.thestrangersmovie.com/
が、
ただのホラー映画ではないところが、
この映画の見所かもしれません。
本年公開の、ブライアン・ベルチノ(Bryan Bertino)という監督の映画ですが、知らない監督なので、どういう作品を撮りたかったのかと、作品を通して考えてみました。
ホラー映画をよくご覧になっていらっしゃる方からすると、おそらく本作は、B級ホラー映画クラスとして位置づけられるのではないかと思われるほど、展開そのものはホラー映画としてはありふれた展開なのですが、
それでも、見終えてしまったのは、
実話に基づいた映画という救いのなさではなく、
ひとえに音楽に誘い込まれてしまったせいかもしれません。
音楽を担当したのは誰かと思うほど、
効果音が絶妙で選曲された音楽もなかなかでした。
観終えたときに、恐怖とは無関係の映画の中で流された音楽が鳴り響いていたくらいでした。
物語は、冒頭の二人が結婚披露宴のパーティ会場でプロポーズして断られた後に、二人が重苦しい空気のまま車でいっしょに彼の別荘に出向いた、その夜の出来事。
煙草が切れたために車で買いに出掛けた後の別荘で、
クリスティンは、結婚指輪を嵌めてみるのですが、この指輪が外れなくなるシーン・・・・実に象徴的です。
リヴ・タイラー(Liv Tyler)は、ますますお顔が長くなったような気がしましたが、このヘアースタイルのせいでしょうか。
ホラー映画に出そうに思われない彼女を起用したのは、実はこの映画が愛を考えさせる内容になっているからでしょう。
無論、彼女を主演にしているので、
以下のような入浴シーンでファンサーヴィスをしています。
恋人から「君しか考えられない」と言われるほど愛されてプロポーズされたクリスティンですが、恋人からのプロポーズを断った理由は、「いまのままでいたい」「まだ結婚する心の準備ができていないから」というもの。 つまり、「愛のモラトリアム」ですね。
この後二人を襲う「信じられない出来事」がなければ、彼女はずっと「愛のモラトリアム」を維持したままだったかもしれない。
そう、この映画は、愛にモラトリアムなどないというメッセージを持っているのだと思った瞬間、映画の冒頭のシーンが意味を持ってきました。「このままがいい」という自由人クリスティンでしたが、恐怖の中で泣いて恋人にすがりつくだけの女性に変貌していくのですよね。
このマスクが何とも・・・・
「なぜ、こんなことをするの」と問われても、
お面をしたまま返事をしない若者たち。
世の中には、不条理なことが氾濫しているというのに、そして、人生もまた実に不条理なものだというのに。だからこそ、一瞬一瞬を大事に生きていかねばならない。ましてや愛する人との関係を「今のままの方が気楽でいいからこのままでいたい」という「愛のモラトリアム」などやっていたらどうなるか。
本作では、そのクリスティンが、
ラストで「意志を持った女性」に変貌します。
彼女の指に嵌められていた指輪に気づいたジェイムズに対し、ここで初めて、「永遠の愛」を誓うのです。もう遅い!と言うなかれ。こうしたことでもなければ、彼女は気づかなかったかもしれないのですから。モラトリアム女からパニック女へと変貌し、今わの際で意志を持った女性に変貌していく・・・・・実話とはいえ、その実話から創り出した本作『The Strangers』での恐怖は、彼女の変貌を覆い隠すトリックのように思われるほど。彼女自身、この惨劇の只中で見知らぬ自己と遭遇することになるのですから。
うがった見方をするなら、この『The Strangers』は二重の意味があるのかもしれませんね。
ただのホラー映画ではないというのは、そういう意味。展開を見ると、監督は愛との向き合い方を問うという隠されたメッセージを持っていたのだろうと思えてきます。
ソンなことはしたくないという意味で結婚に慎重な現代女性たちに、監督は、「それでいいのか?」と突きつけたかったのかもしれませんね。いわば、女性向けのホラー映画を作りたかったのかなと。
本作では、そうした愛を問いかける隠されたテーマがあるためか、起用された俳優もこちらのように優男ばかり・・・・それが、他とはテイストの異なるホラー映画にしていたように思います。
(グレン・ハワートンもホラー映画に出るようなイメージの俳優じゃないと思うのですけれど・・・・・)
ホラー映画じゃなければ、このジェイムズの親友マイクが別荘にやってきた時点で、別の展開もあったでしょうが、恐怖と愛を並べているために好青年を演じていたグレン・ハワートン(Glenn Howerton)も、あっという間に無残な死に方をしてしまいます。
ところで、
映画のラストで、
犯人たちが乗った車とすれ違う二人の少年ですが、
車から降りてきた犯人の女性に請われて、
聖書のパンフレットを渡すところ、
ここも、意味深でしたけれど・・・・
何より不気味で怖いと感じたのは、
別荘での惨劇以上に、実は、
この少年の表情でした。
普通、これだけ惨い遺体を、
こうやって傍にたたずんで
一人でじ~っと眺めたりしないでしょ!!
蛇足ながら、本作の邦題は、ただのホラー映画でいいのなら、カタカナの『ストレンジャー』よりも『見知らぬ訪問者』というオーソドックスなタイトルの方が良かったように思いました。