moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

実態を表す言葉が少ない・・・。

2006-01-04 | エッセー(雑文)
この世には、実態を表すにふさわしい言葉て、案外少ない。
たとえば、動物と植物は生物の二大分類されたものだが、
科学的知識が豊富に消費される時代になっても、弥生時代のような
農耕狩猟生活が基底の生活観に根拠づけられている。
最近の辞典には、以下のように科学的な説明をこころみているものもあるが・・・

動物
(1)生物界を二大別した場合、植物に対する一群。
一般的には細胞壁をもたない、クロロフィルをもたない、
従属栄養である、運動性がある、などの特徴があるが、
下等な生物では動物と植物との境界はあいまいで、
両者に同時に分類されるものもある。
(2)人間以外の動物。主として獣の類をいう。

植物
生物界を二大別にした場合、動物に対する一群。
草木・藻類などの総称。細胞壁があり、
クロロフィルなどの光合成色素をもち、独立栄養を営む、
などの特徴を有するが、細菌類・菌類・種子植物の一部では
腐生または寄生するものもある。
(うえもの植(え)物)
(1)草木。しょくぶつ。
(2)畑に植える野菜類。

しかし英語の使用方法などは以下のようなものが多く
植物 a plant、vegetation
植物採集plant collecting
植物界 the vegetable kingdom
植物学 botany
植物園 botanical gardens
動物 an animal、a beast (獣)
動物界 the animal kingdom
動物行動学 ethology
動物園 a zoo

などと用法をみると、やはり狩猟採集や農耕生活から生まれた
コンセプトのように思える。
さらに流行のウィルスにいたっては、生物であるのかさえ疑わしい。
所詮は観察者の生活観を基点とする知識や法則性であるのだから
相対的にならざるを得ないという限界性の中で、ほぼ回帰的な
統計学的な現象を、不断なものとして信じているに過ぎないわけである。
こういう思い込みは言語が違えば、当然「似て非なるもの」を
無限に生み出し、「意味のズレ」がとり止めもなくなるのかといえば、
そうでもない。
・・・というのも言語は「身体性」を根拠に構造化されるからだろう・・・。
身体性は親子の性的関係によって根拠づけられていて、
後天的社会性のイデオロギーに変容を受けにくかったのだが、
特に母子の子供における影響は大きかった。
しかし、現代社会の女性の社会進出における「身体観の変容」は
特に女性自身が選択する「機械・部品・歯車化」という実態にともない
とても危険に「変容」しているように思える。
それは生物、動物、植物、ウィルスのように
だんだんと曖昧に男女の性を揺れ動かし、その「身体性」さえ拒むのである。
ひとつには社会システムが「訓育」という身体の強制を行うことを
疑問もなく受け入れていることが原因であろうし、
利潤追求型社会として、競争原理を建前に労働者を「隷属」させようと
目論む「新資本家たち」に本来の監視の機能が働いていないことが
(民主主義において致命的な結果を生むかもしれないが・・・。)
決定的な要因かもしれない。
尺度の基本は身体の長さや疲労度によって、決められていたのが、
本来の無理のない生活リズムだったはずであり、それを取り戻すべく、
民主主義という政治形態を手にいれたのではないだろうか
しかし・・・派遣労働者として取り込まれた女性労働者やリストラ後
の男性高齢者の再就職=派遣労働者という実態は「奴隷」のようである。
政治は「勝ち組」のおもちゃになりさがり、高齢者の不満も定食屋あたりでも
聞かれるこの頃・・・さて今年はどうなるのであろうか日本?



最新の画像もっと見る

コメントを投稿