moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

チンギス・ハーンの番組を見た印象

2006-11-18 | エッセー(雑文)
チンギス・ハーンを英雄視する傾向が
現モンゴルで、盛り上がっているのか
たぶんモンゴルのTV局が制作したと思われるドラマを
挿入しながら、語られたそれらしき歴史観。
なかなか面白かったが、旧ソ連に組み込まれていたときの
モンゴル自治体の話のほうが興味津々。
しかし、ほとんど、その点は踏み込んで説明されていなく、
なおかつ、チンギス・ハーンからフビライに継承され
中国文化に侵食された元帝国についても何も語れなかった。

歴史的に一番重要な点に触れず、情報ネットワークを
いち早くきずいた偉大な人物というところばかり強調していたが、
それは、チンギス・ハーンの専売特許ではない。
狼煙もすでに、アレキサンダー王の侵略戦でも使用されていた
という報告もあるし、駅伝のシステムも存在していたらしい。
(日本の壬申の乱の時代においてさえ、巧妙なスパイ合戦、
張り巡らされた情報網を駆使して戦われていた。)
戦争は戦略を整えることで、実際に戦う前に決着がついている
といわれるほどの情報戦なわけであり、常勝不敗の英雄は
ほとんど、情報を戦争の重要なファクターとし、
生物である情報を、いち早く選択できることを可能とする
システムに多大な人力・費用をかけている。
さらに、戦争の本質が侵略であり、なぜ侵略という行為に
駆り立てられなければならなかったという考察もなかったのは
残念であった。
同盟・契約によって成立した国家は、その契約に見合った報酬を
与えなくては維持できないというルールに縛られる。
そのため、自国の生産性によって供給できない場合、
侵略、略奪という手段に及ばざるを得ないという歴史が
展開していたわけであり、その積み重ね中に現在の
社会体制があるのであって、
チンギス・ハーン、フビライの言葉も、倫理的な「人との融和」
ということではなく、
政治的な意味合いでは人臣(人心)掌握術というものと考えたほうが
自然だろう。

結局、ユビキタス社会というイメージを、より身近に感じて
もらうためのプロパガンダ的にまとめているのがあざとらしく、
格差社会化し、その反映ともいえる子供のイジメ問題を
突きつけられている現状には(ネットイジメも考慮するなら)、
ユビキタス社会が人に優しい便利な社会に直結するとは
限らず、安直な姿勢に、無理があると思わざる得なかった。 

過熱するイジメ

2006-11-14 | エッセー(雑文)
「いじめ隠し」謝罪の翌日、小学校長が自殺 北九州(朝日新聞) - goo ニュース

最近の報道のネーミングセンスは何でもイジメとつけたがるが
小学5年生の女児が6年生の女児から『2万円を渡すように』たかられていた
事件をイジメとすることに問題があると思われる。

「あいまいなイジメ」という概念に犯罪行為を含めるような報道の姿勢は
ある意味「金銭のたかり、ゆすり」さえ道徳的に低俗なことであり、
犯罪スレスレの行為であると錯覚させてしまう。
それでなくても、犯罪スレスレの行為でお金をもうけ、勝ち組になりさえすれば
世の中を牛耳れるという幻想が青少年に蔓延しているというのに・・・。

人を貶める行為としてのイジメと、犯罪を行なった児童をかばうのではなく、
イジメと犯罪を明確に区別し、早急に警察、教育関係者の連携、
情報交換機関をもうけ、ガイドラインを示す必要があるのではないだろうか。
特に小中学校の児童には、厳格に指導すべきだろう。
犯罪行為を行ったもので反省なきものは、鑑別所という措置もやむをえない
事態まできているのではないだろうか。

村落社会であったころは、児童のゆすり、たかりなどの犯罪行為は、
まず親が徹底的に罰し、正したものだが、そうしなければ村八分というような
制裁がまっていたわけなのだが、隣人との希薄な地域住民になりさがった
市民では、その親の子供とのかかわりは、その当人さえ不透明であり、
最低限の役割分担によって、子供と関わっているに過ぎない。
そして、今回の校長の自殺という事件は、役割分担的な責任追及における
スケープゴートいえるのではないだろうか。

ネット上における無責任な児童の中傷記事にたいする対策は、
地域住民の義務として、ネット喫茶経営者に、児童がネット喫茶を利用する場合、
児童は会員登録をしなくては利用できなくさせる。
何時何分にいかなるサイトに繫がっていたかという
記録を管理できるようなシステムを導入するよう協力をあおぐ。
既に一部のネット喫茶で導入しているようであるが、
そのシステムを18歳くらいまでの未成年に適応させるべきだろう。
さらに児童のイジメと思われる記事には、早急に削除する
掲示板管理者の義務化を徹底化する必要があるかもしれない。

他者のまなざしを感じることが出来ない児童は、ある意味不幸であり、
将来、社会的に無法者という烙印を押されかねない。
他者のまなざしを内在化させることは、大人社会の責任ではないだろうか。
・・・と思ってみた。 





ナンパと買春は紙一重・・・

2006-11-13 | エッセー(雑文)
「ナンパの神様」ら3人、女子中学生買春で逮捕(読売新聞) - goo ニュース

前回多少、ナンパを擁護したようなニュアンスにうけとられるような
記事を書いたので、ちょっと反省したが・・・。

石川恭一郎(29)、鳥山翔(23)、男子大学生(18)の3人が
女子中学生をナンパし、その証拠として、ポルノ画像を撮影したということらしい
のだが、それはナンパといえるのだろうか?
むしろ、性的な判断力のない女子中学生の無知につけこんだ「ハンティング」と
いうべきものではないだろうか。
それは、力を誇示する愚か者の行為であり、ある種の「レイプ」と同じ構造といえる。

29にもなる男性が3人がかり?で、13、14の少女に「ナンパ」という
事態ありえないわけであり、それは「性的イタズラ」、「ヘンタイ」、
「レイプ」と呼称されるべきものだろう。
まして、「ナンパの神様」と自認していたなら「買春」という行為に
ふみこむべきではないはずだが・・・。

某SNSでもナンパと売春誘惑のコメント欄記事が横行しているようだが、
その場合も、私は社長で、有名人、政治家と懇意であるとか並べ立て、
地位を誇示し、それでもなびかない女性にはお金で交渉しているようである。

この石川恭一郎(29)も肩書きは社長であり、最後の手段でお金に
ものをいわせたのではないだろうか?
昨今、この手の稚拙な中年が増加している。
少し前にも某ビデオB級アイドルを抱えていた事務所社長が、
その権力を誇示し、最後は「お金」で脅して、18歳の所属女性タレントを
レイプしたらしい。
その手口の構造は、まったく同じものといえるだろう。

そして、その中年の権力誇示の姿勢は、裏返せばイジメという構造に
もとずくものであり、ひとを必要以上に貶め、その行為によってしか
自分の優位性を確認できないという「愚かさ」なのである。

こういう社会性は、格差社会を是とする体制に問題がある気がしてならない。
「正当な協定によった競争による格差」ではなく「不正な競争に居直った格差」
社会だから、なおさら始末が悪いことになる。

若者には、本来の?男女ともに楽しいナンパ「男女出会いの機会」という道程を
歩んでもらいたいものである。

エキサイトフレンズて何?

2006-11-08 | エッセー(雑文)
『使えなくなった出会い系
・エキサイトフレンズは知ってますよね?
もちろん、知ってるものとして話をさせてもらいます。
エキサイトフレンズ攻略 結論
ネットナンパの登竜門ともいえるエキサイトフレンズですが
以前のような活気はなくなってしまったのではないでしょうか?
少なくとも私はそう感じます。』
というメールが来ていた。

しかし、残念なことに「エキサイトフレンズ」というものが
わからない。
文章によると出会いサイトらしいのであるが、
どうやらナンパ目的の方には下火の傾向にあるのか
違うサイトへの誘導を目的としたメールのようである。

PCは、ほとんどゲーム機と化し、通常のPCゲームソフト
さらにエミュレータを起動させて、過去のゲーム機になった
ソフトで遊んでいるので、とても出会いサイトなど閲覧している
余裕などないし、興味もない。
最近ようやく、DVD-RWを増設し、PCでレンタルしてきたDVDを
見たりしているので、PCも過重労働と悲鳴をあげて、
このブログの更新もままならない。

それでも男だから、ちょっと調べてみたが、
女性とのコミュニケーション、それも直接会うことを目的とする
「出会い」サイトらしい。
虚実入り混じるメールのやりとりから、交渉し、デートにこぎつける。
というプロセスのようである。
もちろん男は「やり逃げ」目的らしいので、結婚など頭の片隅にあるわけも
なく、それに対する女性も「遊び、気分転換」目的のようであるが・・・。

ナンパ師は、ほとんどミクシーのようなSNSへ移動していたと
思っていたが、さすがに豆である。
いろんな手口で女性を引っ掛けて、SEX三昧の日々を送っているのであろう。
エロパワーてすごいもんだ。

このエロパワーをイジメにあって絶望している青少年に、
分け与えてもらいたいものである。
「おっぱいバレー」とかいう本が売れているようだが、
(実話を元にした話らしいが、若い赴任した女性教師が、弱小バレー部の
顧問になり、その部員に優勝したら、「おっぱいを見せてあげる」と
約束したことから、部員が奮起し、ついに優勝した話らしい。)
エロパワーが健全性を得たとき、成就されることって
性が生に、「生きる」という回路が活気づいて、
絶望感を払拭させるのかもしれない。

そう考えると、ナンパも非モラル的行動と責めるわけにもいかず、
「クレヨンしんちゃん」みたいなナンパ師なら好感度高いかも・・・
などと思ってみた。
しかし、私はどちらかといえばケロロ軍曹(ガンプラマニアじゃないが)
ナンパとは無縁w。

ちなみにエキサイトフレンズは、日本最大級のメル友探しコミュニティ
ということらしい。
以下参考
http://www.excite.co.jp/friends/

沢尻エリカのレッドカーペットファッションの批判記事を読んだ印象

2006-11-05 | エッセー(雑文)
http://www.yomiuri.co.jp/donna/do_061031.htm?from=os1
の記事をみたが、これはひどい。
貴族趣味もここまでくると笑える。

日本映画が、本来庶民の立場に立つことで、
テーマを観客と共有していることを、一時忘れ、
武器商人の投資で盛り上がっているハリウッド映画産業の本質にも
触れず、成熟した欧米社会などという詭弁をもちだして
批判するなど評論家というより、太鼓もちと評すべきかもしれない。

例えば、
ハリウッド形式の猿真似イベント「レッドカーペット披露」に
新風を吹き込むと同時に、批判的視点を導入したファッションとでも
考慮することも可能で、そういう脈絡を暗示させるのが評論家の
仕事じゃないのだろうか?
真っ先に、猿真似イベントと批判すべきだろ。
それを逆の立場で、20歳の小娘の思慮不足というような脈絡で語るべきではない。
映画の表現とは、その本質は何であるのか
もう一度初めから勉強しろと・・・思ってしまったw。

履修不足問題のズレ

2006-11-03 | エッセー(雑文)
主に高校の必修化された課目の授業が行われず、
受験に即した授業にシフトしていたことが
問題となっているようだが、
いまさらこんなことを問題にし、さらにマスコミで大げさに
取り上げるのもあざとい気がする。

進学予備校に堕して久しい、高校という実態に目をそむけ、
その矛盾に苛まれながら、現場教育で職人技を振るっている
教師にたいして、あまりにも考慮が足りない話題つくりといえる。

その結果が校長の自殺では、マスコミ報道の無責任さ、良識を
問い返さなくてはならないのではないだろうか?

高校は義務教育ではないのであるし、公立、私立とさらに進学校では
その授業内容に幅があるのは、あきらかであり、
父兄も学生も「有名大学進学」を望み、その圧力をかけている。
進学できない授業内容では、特に私立では学生は集まらないので、
当然指導要領の範囲から逸脱することになるだろう。
(地方では、伝統ある男子校、女子校が生徒不足のため、共学化している。)
進学校でなくても、かなり以前から進学組コースが3年次にはもうけられ、
必修とされる教科の内容を、教師は要点を説明したプリントなどを配り、
それを読んでおくようにとして、実際は受験に即した授業展開をしていた。
当然その授業の成果で国家公務員という試験を勝ち残り、文部省や外務省の
職員になっている彼らが沈黙しているのは解せない。

まして、それを想定しない画一教育建前の文部省、国立大学入試センターの
試験内容は、矛盾そのものといえるだろう。

このままいくならば、登校拒否、引き籠りの問題もふくめるなら、
高校進学者は減少し、直接大学入試資格取得後、
進学予備校から大学受験を行うものが増加するだろう。
格差社会化し、貧富の差が明らかになった昨今では、親にしてみても、
教育費の負担を考えるなら、効率的な大学進学は好ましいだろうw。