moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

私という一人称について

2005-08-11 | エッセー(雑文)

「私」(わたし)は「わたくし」のくだけた言い方ということらしい。
近世では主に女性が用いた一人称だったとのこと。
「私」(わたくし)は現代では目上の人に対する時や、
改まった場合に用いるとされてる。
漢字でその意味を調べると、鋤で耕作する人、
私属(召使、家内奴隷)の耕作者ということのようだ。
同じ一人称の「僕」も漢字ではしもべ、召使の意味がある。
ただ、もともとは神につかえるもの、つかさどるものという意味だったらしい。
「自分」の「自」も犠牲を用いる時、その鼻血を用いる祝祭から、
本来鼻の意味だった「自」が「みずから」という意味になったということだ。
他に一人称の漢字表現には
吾、己、余、生、我、妾、吾人、自我、自分、自家、下名、拙者、余輩、乃公、
自己、阿陽、私人、身、麻呂、我身、身前、我輩、我等、鼻様、身共など
ひらがなの表現では(漢字に変換できるものもある)
わぬ、けぬ、わけ、おり、うれ、わたし、わちき、みづから、それがし、
こなた、なにがし、おれ、わし、うら、おら、こち、あちき、おいら、
わちき、てまい、こちや、このはう、こちら、こちと、はなばう、
わたい、あたい、あたし、おんどら、
古語では
わ、あ、わご、あれ、あが、あぬ、おの、やつがり、やつがれ、あたひえ
とあるようだ。
私自身も幼い頃自分のことを「こち」と呼んでいた記憶がある。
何故自分をそう呼んでいたのかわからないのだが・・・。
(狂言にこの言い回しがあるようだが、
「此方」がつまって「こち」になったのだろうか?)
それにしても、日本語では自分をさす一人称に、
「奴隷、召使、しもべ」の意味が多い。
これも漢字という文明が入り、「八百万神のしもべ」的な意味が、
君主、王の私属という社会変化に対応したことが、原因かもしれない。
欧米の一人称の語源はどうなんだろうか?
日本語のように上下の身分を意識した一人称などあるのだろうか?
主観と客観、主体と客体さらには自然操作する人間の優位性を誇る
語のスティルに、それは見出せないかもしれない。
人間も自然(神)の一部、その子供、しもべとする東洋的「語」との
溝は大きい。と思うこの頃 
 



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