今朝某ニュース情報番組を見ていたが、昨今の事件報道をネタに
あるキャスターが、社会は「やさしい社会に変わりつつある」のに
身勝手な利益追求型のヒトなんですねという分析をしていたが・・・。
それはどうなんでしょうか?
あるドキュメント番組で、「生活保護の実態」についてのレポートのような
番組があったが、それは「悲惨」なものであった。
まず役所は生活保護の申請をさせないように、門前払いをさせるため、
強面の警察から出向組みを係り委員として採用し、申請させない。
路上生活者や母子家庭で鬱症状にある母親などを、「生活保護」から
切り捨てる方向性を強めているという。
これが「小泉政権の打ち出している方向性だ」ということは以前から
何度か過去に書いていたが、最近の不祥事発覚でマスコミも「小泉叩き」に
のりだしているが(まぁ上っ面に過ぎないだろうが)、ホリエモンとの連関でしか
突っ込めないというのも情けない。
利益追求型経営陣によって、選択性を奪われた「労働者」が「職」を辞したとき
待っているのは、収入のあてのない生活であり、雇用が悪い状態が十年近く
続けば、多少の貯蓄など底をつき、「生活保護」に頼らざるえなくなるのは予想されることだろう。
それに対処できない政治家は無能と呼ばれるべきだ。
そういう意味では小泉政権官僚は無能の集まりに過ぎない。
まだ30代半ばの無職の男性が地方の団地で、病に倒れ、緊急入院したが、
退院と同時に「生活保護」を打ち切られ、「餓死」しミイラ化した状態で
発見された。そのショッキングな写真がネットのも流れていたが、
これはほんの一部の事件にすぎないという。
全国で餓死による死亡数は上昇していて、その大きな原因は弱者救済の最後の砦
ともいえる「生活保護」の制度が形骸化したことによると分析している学者もいる。
スデニ、利益追求優先型の人格が「良心」というモラルを欠如しているのだから
追いつめられた貧困の弱者が、飢餓に苦しんだ時、
選択は「餓死」か「犯罪」かという二社選択の余地しかないようにおもわれる。
いかりや長介が刑事役のドラマで、浮浪者たちに説くシーンがあったが、
人を傷つけずに罪を犯し、役人に面倒をみてもらう。
3畳の独房であっても3度の食事にありつけるのであれば、
この方法を選択する者が、後を絶たない社会になるのは、予想できないのだろうか?
国鉄を民営化したことによる交通の保障は、本来道路網の充実であるはずが、
それを、金銭にみあわないという理由で道路拡充計画をつぶせなどという暴論を
持ち上げるマスコミの馬鹿さかげんにもあきれる。
田舎と都会の交通の断絶がいわゆる浮浪者を増加させているように思える。
本来、田舎の特に食料供給源である農家は労働者に不足していたのであるが、
それを工場労働者として囲い込み、そして放り投げた結果、無人の荒地を残し、
帰る場所を奪い路上生活者を増加させたのである。
基本路線としては農地の回復、生産者農家ではなく、とりあえずは自治的な
農地回復、食料の自己供給できる政策を地方は推進すべきだろう。
それによって、貧困による「餓死」ということを防ぎ、健全な食生活の意識を
育成できるのではないだろうか?
まずは個人の健全な食生活の意識の回復がのぞまれる。
あるキャスターが、社会は「やさしい社会に変わりつつある」のに
身勝手な利益追求型のヒトなんですねという分析をしていたが・・・。
それはどうなんでしょうか?
あるドキュメント番組で、「生活保護の実態」についてのレポートのような
番組があったが、それは「悲惨」なものであった。
まず役所は生活保護の申請をさせないように、門前払いをさせるため、
強面の警察から出向組みを係り委員として採用し、申請させない。
路上生活者や母子家庭で鬱症状にある母親などを、「生活保護」から
切り捨てる方向性を強めているという。
これが「小泉政権の打ち出している方向性だ」ということは以前から
何度か過去に書いていたが、最近の不祥事発覚でマスコミも「小泉叩き」に
のりだしているが(まぁ上っ面に過ぎないだろうが)、ホリエモンとの連関でしか
突っ込めないというのも情けない。
利益追求型経営陣によって、選択性を奪われた「労働者」が「職」を辞したとき
待っているのは、収入のあてのない生活であり、雇用が悪い状態が十年近く
続けば、多少の貯蓄など底をつき、「生活保護」に頼らざるえなくなるのは予想されることだろう。
それに対処できない政治家は無能と呼ばれるべきだ。
そういう意味では小泉政権官僚は無能の集まりに過ぎない。
まだ30代半ばの無職の男性が地方の団地で、病に倒れ、緊急入院したが、
退院と同時に「生活保護」を打ち切られ、「餓死」しミイラ化した状態で
発見された。そのショッキングな写真がネットのも流れていたが、
これはほんの一部の事件にすぎないという。
全国で餓死による死亡数は上昇していて、その大きな原因は弱者救済の最後の砦
ともいえる「生活保護」の制度が形骸化したことによると分析している学者もいる。
スデニ、利益追求優先型の人格が「良心」というモラルを欠如しているのだから
追いつめられた貧困の弱者が、飢餓に苦しんだ時、
選択は「餓死」か「犯罪」かという二社選択の余地しかないようにおもわれる。
いかりや長介が刑事役のドラマで、浮浪者たちに説くシーンがあったが、
人を傷つけずに罪を犯し、役人に面倒をみてもらう。
3畳の独房であっても3度の食事にありつけるのであれば、
この方法を選択する者が、後を絶たない社会になるのは、予想できないのだろうか?
国鉄を民営化したことによる交通の保障は、本来道路網の充実であるはずが、
それを、金銭にみあわないという理由で道路拡充計画をつぶせなどという暴論を
持ち上げるマスコミの馬鹿さかげんにもあきれる。
田舎と都会の交通の断絶がいわゆる浮浪者を増加させているように思える。
本来、田舎の特に食料供給源である農家は労働者に不足していたのであるが、
それを工場労働者として囲い込み、そして放り投げた結果、無人の荒地を残し、
帰る場所を奪い路上生活者を増加させたのである。
基本路線としては農地の回復、生産者農家ではなく、とりあえずは自治的な
農地回復、食料の自己供給できる政策を地方は推進すべきだろう。
それによって、貧困による「餓死」ということを防ぎ、健全な食生活の意識を
育成できるのではないだろうか?
まずは個人の健全な食生活の意識の回復がのぞまれる。