moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

バンキシャを見たが・・・

2007-01-15 | エッセー(雑文)
バンキシャという番組を見たが、何を伝えたいのか
今ひとつ迫力に欠ける報道であった。

某急成長した清掃会社の研修模様を伝えたものなのだが、
研修旅行のスケージュールを参加者に偽り、韓国式軍隊体験をさせるものという
ものであった。
会社側は、営業と現場社員の団結を図ることを目的としているといっていたが、
それなら、ドッキリ番組のような参加者をだますようなことをするべきではない。

参加者の1名は途中具合が悪くなり、棄権(ドクターストップ?)
という状況にまでなっていた。
これは問題だろう。
労働者は会社の隷属物ではない。
対等な契約によって、勤務内容がきめられるべきであって、
研修を名目に会社に都合のよい内容を強要すべきではない。
これが、欧米なら裁判沙汰になるだろう。

さらに、おかしいのは、清掃現場と営業部門と独立した経営体制である。
急成長したことから推測するに、営業部門は完全歩合
清掃従業員は派遣労働者による最近の人材登用の方法を踏襲しているものと
思われるのだが、その状況での研修となれば、派遣労働者に仕事を指示する
リーダー的人材の確保を目的としていることであり、その実体は、
不平不満の封じ込めを目的としたリーダー性を発揮できるものを
確保するということでしかないのではないか?

某派遣ドラマのようなスーパーな派遣労働者など活躍できる現場など皆無であり、
さらに、軽作業を中心とした派遣労働者が急増している現状隠蔽としか思えない。

派遣会社とそれを利用する会社との「事故」責任問題が悪化しているような、
昨今の労働環境を考えるなら・・・もう一歩突っ込んでほしかった。
(所詮エリートが作る番組は、富裕層に都合のいいものでしかないのかw。) 

成人式の格差は誰の責任か!

2007-01-10 | エッセー(雑文)
1月8日は成人式、祝日になっているわけであり、
来るべき国の担い手である20歳の子供たちを
大人として迎える祝いといえるだろう。

しかし、教育理念における、競争における機会均等というものは
建前に堕してしまった。

財政破綻した市町村の成人式
北海道夕張市は、
例年開催費として補助されていた60万円もゼロに。
実行委員会の呼び掛けに、全国から230万円を超える募金が集まり、
かろうじて「手作り成人式」が実現した。
同じく、財政破綻の危険性が高い
歌志内市の成人式の市の予算は6500円というていたらく。

と思えば、裕福な市の成人式では、出席者の一部が騒いで混乱
逮捕者までだすという始末である。

教育学をかじったことがあるものなら、成人式がその集団成員の重要な
教育システムであったという歴史観を知っているだろうが
競争社会に組み込まれる最後の平等、均等な出発イベント、象徴で
なければならないもののはずが、
格差を「居直り」ともとれるような肯定をする職業政治家達の
プロパガンダのために、
いびつな泥舟国家に乗り合わせるという2007年年明け事情となった
ような気がした。
アメリカの政治的な意向に沿うということが原因で起きた
郵政民営化、国防省への格上げ、格差社会化、陰湿な弱い者イジメ、
と続く社会的歪みは、もはや個人的な努力では乗り越えられないところまで
来ているように痛感してしまう。

さらに、報道する者のいい加減な姿勢も問題である。
夕張市の「手作り成人式」にたいして「いい経験になったでしょう。」という
ような意味合いのコメンを公的な放送で述べる女子アナには飽きれたものである。
放送局職員が、現状、明らかに裕福な勝ち組であることを自覚せずに、
そのコメントが、ある意味「蔑み」と受け取られても仕方が無いような、
まさに「格差」を強調する優位性を誇示する姿勢は問題ではないか。

弱肉強食という古臭いカビた物語性を若者に刷り込ませ、
親子関係さえ、希薄化、姉妹兄弟にいたっては、愛憎劇に
仕上げてしまうシナリオ・・・その知性は「痴性」へと定着したかのようだ。

キツネが格差社会を肯定し、その後継者のタヌキは、
泥舟に国民を乗せようとしているように見えてしまうのは・・・。
そのうち、ウサギさんが出てきて、お婆さん、お爺さんの仇をとるという
物語性が敷衍するかもしれない。
(自衛隊の予算要求が可能になって、より戦略性豊かな作戦参謀が
育成されれば、タイのように、軍隊主導で革命が起きる可能性も
・・・あるかもw。) 



フセイン元大統領の絞首刑動画がアップされていた

2007-01-01 | エッセー(雑文)
フセイン元大統領の絞首刑動画がアップされていた。
独裁者の末路・・・その見せしめということでしょうね。

ある意味、フセインは差別を助長する「イジメ」を徹底し、
虐殺をおこなったわけだから、その結果の報復であり、
当然の結果という裁きだったのでしょう。

動画は以下で確認できるようだ。
http://www.liveleak.com/view?i=863ce7d4a3

http://video.google.com/videoplay?docid=-7532034279766935521

一休和尚だったか「新年は、死出の旅路の一歩・・・」とか言ったのは
感慨深い出来事だった。

昨今の機械化、システム化された社会では、
人間は一人では生きることは可能かもしれないが、
その人格、性格、キャラといったものは、
他者との連なりの中でしか成育できず、
より豊かな関係性は他者との親和性によってのみ
築かれるのではないだろうか?
そういう意味では、不公平な競争に基づく格差社会に未来はない。
また、第二のフセインを誕生させるだろう。
安倍内閣は深く反省し、公正で公平な人事に配慮すべきだろう。
ましてまた、二世、三世議員で固めるなんてもってのほかとしかいいようがない。