moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

「ラッキー・ガイ」チャウ・シンチーの映画DVDを見て

2005-10-09 | エッセー(雑文)

「ラッキー・ガイ」(1998香港映画、01時間40分)

エッグタルトの朝食店「行運」の人間模様&恋愛喜劇

ソイ(チャウ・シンチー)はその店員であるが、自称遊び人(ナンパ師)で
タルトの王子と呼称されている。(・・・だがその実態は恋愛傷心モテナイ君)
そしてその店の息子ナン(ダニエル・チャン)オタクが入ってる編集者と、
ソイの友人で人の良いだけがとりえの同店員のフク(エリック・コット)、
この三人の恋愛喜劇を主旋律に香港流の強引なストーリー展開で描かれている。
その恋人にはキャシディ(サミー・チェン)、
フォンフォン(スー・チー)、ファニー(クリスティ・ヨン)がキャスティングされている。
「行運」のリー店長には友人でもあるン・マンタ、その店の乗っ取り業者ハウ・ボーセイに
香港コメディの女王サンドラ・ンが、他にもチャウ・シンチー映画(少林サッカーなど)の
常連俳優の顔を、見ることができる。
既に、この映画でも「カンフーハッスル」でもみられた60~70年代の
アメリカ的ミュージカル舞踏の脱構築的演出がみられるし
(映画の時間の流れのテンポを調節するために用いているように思えるが・・・)、
電車男のようなオタクの恋愛を先取りしたようなイケメンオタクの恋愛喜劇も見ることができる。

多少神経症的感じがするチャウ・シンチー映画らしく、その恋愛喜劇も二転三転
ボーダーライン上を行ったり来たりして、「恋愛喜劇ルール」スレスレを遊んで見せる。
チャウ・シンチーの「笑い」はポストモダン的で、ジャッキーチェンとは異質であり、
チャウ・シンチーは作為的に規制のルールを「ズラす」ことで、
笑いの下地をつくり、そこに「格闘の美学」を導入し、テンポの速さで「笑い」を演出する。
現象の一面的な意味に「両義的な意味」を開いて見せ、
規制社会のシステムに、「逃走=闘争」的な遊びを仕掛けるのである。

ジャッキーチェンの「笑い」は伝統的トリックスター的演出上にあり、
「ピエロ的悲喜劇」に接近し、再生産プログラムの中に安定する。
そのため、「ドラゴンボール」的であり、プロテスタント倫理的なのである。

ある意味チャウ・シンチーは、プロテスタント倫理的(M・ヴェーバーの意味する)なものを、
古来中国的なものにすり合わせようとする結果、プロテスタント倫理的なものを
「ズラす」ということになっているのかもしれないが・・・やはり十分デリダ的なのである。

出演
チャウ・シンチー(ソイ)
サミー・チェン(キャシディ)
エリック・コット(フク)
ン・マンタ(リー店長)
サンドラ・ン(ハウ・ボーセイ)
スー・チー(フォンフォン)
ダニエル・チャン(ナン)
クリスティ・ヨン(ファニー)