moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

ギャルサー最終回

2006-06-25 | エッセー(雑文)
集中治療室で、治療をうけている進之助の出血はひどく、

サキ達O型のギャルサーの輸血をうけて、命をかろうじてとりとめる。
しかし、進之助の意識は戻らず、危険な状態であることに
かわりはなく、医師から会わせたい人がいれば連絡をとるようにと言われる。
そこで、一ノ瀬はアリゾナに飛び、ジェロニモ、モモを捜し当て、
渋谷の病院へと連れ帰る・・・という展開の早さに、
今までのギャルサー達と進之助の「名言の回想シーン」を
からませる構成で、不自然さを軽減しているが、全体的に
「展開はぇ~よ」というツッコミの入れどころ満載の物語進行になっている。

意識の戻らない進之助を「救いの儀式」によって、助けようと
ジェロニモの指示で、ギャルサー達は必要なアイテム
「羽、貝殻、花、蝶、」を得るが、まな板で作ったブーメランは
戻らず破損、そこへ柳下マスターが秘蔵のレコードでブーメランを作り、
ジェロニモに手渡し、再度進之助の意識を取り戻すべくブーメランを飛ばす。
それでも、意識の戻らない進之助を前に、自分の命ととりかえてくれと
サキはジェロニモに叫び訴える。
そして進之助は「名言」とともに復活するのである。
命を粗末にするのはよくないと・・・。
ひとまず、ここまでの経過でギャルサー、商店会の大人達の協力、
融和関係がはかられており、進之助が渋谷を去る伏線となっているようだ。

そして、ジョージを救うべく進之助達は、アリゾナへと帰ることになるのであるが、
その動向を察知したサキ達ギャルサーは、進之助を引き止めようとつめよる。
しかし、進之助は特撮ヒーローのように、渋谷の夜空に星を見せる奇跡を展開させ、
「一人一人が進む道を照らす星を見つけろ」と言い残し去っていく。
レミは進之助の言葉に動かされ、エンジェルハート解散を宣言するのである。
一人一人のギャルサーの心に、何かを根付かせ、
サキの手元には、進之助の帽子が残されて・・・。
(その帽子には、お守りが縫い付けられていて、イモコの謎を解く手がかりが
隠されているのだが、まだここでは誰にも気付かれず、サキは進之助の帽子を
ただ、抱きしめ、サキの進之助への想いが、恋人、妹のように
なってしまっている印象が強い。)

そして場面は3年後に急展開し、それぞれの道を歩んで、
成長した元ギャルサー達が紹介される。
レミはどうやら一ノ瀬と結婚、一児に恵まれ、ナギサは看護士、
リカは大学生、他の仲間も幼稚園の先生、文房具屋の店員と堅実な生活を営んでいる。
サキは進之助の後を引き継ぎ、イモコ探しを継続している様子の描写が続く。
進之助のように一ノ瀬家に居候しているサキは、偶然に進之助の母親サチ子の
手紙を発見する。
イモコの謎は解け、海岸へと元ギャルサー達に集合をかけ、
サキは発見したサチ子の手紙を読み上げる。

そこには、進之助の母親により、イモコとは3歳の進之助自身であった
という趣旨のことが書かれていたのである。
その事実に驚いているギャルサー達のもとへ、海から突然進之助が現れ、
また、ジョージの命の恩人探し、「ウマコ」探しへと物語は回帰するのであった。
(蘇我馬子かよ!とツッコミ衝動がおさえられない ・・・)

進之助がアリゾナに戻る時の「渋谷の街が嫌いだ。」とする口上が面白く、
『食べ物に感謝しない。
親に感謝しない。
太陽に感謝しない。』という街を嫌う理由をあきらかにするが、
「劇場都市空間としての渋谷」に対するアンチテーゼのような色合いに
なっていることが興味深い。
一人一人が自分で考えず、流されるように踊り狂う空間・仕掛けが、
随所に施されている「劇場都市渋谷」に対して、
自然の恵みに感謝する自然共存派の進之助には、人工物に
歪んだ街並みに違和感を覚えるシーンが幾度となくあったが、
最終回にあたり、人から選択肢を奪い、過剰に追いこむ仕掛けを
嫌悪していることを、あきらかにしているのは、ちょっと過激だ。
だからこそ、進之助は去るにあたり、直接星の輝きを見せるという過激な離れ業に
挑むのである。
たぶんDVD化は間違いないとおもわれるが、その前に、サキ子と進之助の関係が
恋愛関係に発展する逸話を見てみたい気がする。
お互いに鈍い2人では、恋に進展する可能性は低いようにおもわれるので、
一ノ瀬・レミ夫妻や柳下夫妻らによって、仲を取り持つ恋愛話の展開、
隣人愛のような関係性の修復されたモラル観がちりばめられた物語性を、
期待してしまう。
この物語性の延長では進之助が家族を持つことの意味は大きいはずだ。
そして、充分に発展性を期待させる余韻が残る最終回としての物語性であった。

ギャルサー#10を見て

2006-06-20 | エッセー(雑文)
今回、ギャルサーの集会所が、契約更新にさいし大幅に値上げされることで、
大家(文房具屋のオヤジ土屋)とギャルサーの対立抗争劇が引き起こる。
集会所に引きこもるギャルサーの態度やそこから引き出そうとする大人側の
扮装が、学生闘争、ウーマンリブ闘争をおもわせる演出になっていたり、
それを、天岩戸神話にたとえるジェロニモと進之助のやりとりは、ツッコミとボケ漫才の
ベテランコンビの風格さえ感じさせる。

一ノ瀬警官からおくられた「文章の書き方」を例文に、
土屋に交渉の手紙を書くが、めんどくさい、理解してもらえないと、
一方的に大人を断じ、手紙を書くことをあきらめる。
簡単に理解できる相手としか話さず、都合が悪くなれば、
同じ場所に引きこもり、自分の気持ちを伝える努力をしないという
ギャルサーの行動をクローズアップし、
その態度が、天岩戸神話の女神と同じ意味であると演出している。

相手を理解しようとしない、理解してもらおうと努力しない態度
それが結局は不自由な世界をつくり、相互理解に欠ける世界
つまり、闇につつまれた世界という意味と結びつけている工夫が面白い。

前回土屋はレミに殴られたことで、反戦フォークソング集会で、
体制側の警官に殴られたことを思い出し、今回の行動に出たことを
述べるが、それは、互いに主張しあった大人も子供も熱い時代だったと
懐古しながら、それに比べ、大人と子供の交流が、現代は途絶えた時代と
反省的視点を打ち出しているようだ。
だから、土屋は「天岩戸=集会所」に引きこもる「女神=ギャルサー」に
外の世界への扉を開かせようとし、大人側からのアプローチを仕掛け、
トリックスター進之助の行動と一致してしまうのである。

しかし、それが理解できないサキには裏切りの行動に見え、
『外の世界では無意味な自分達の状況を』進之助にぶっつける。
このとき、サキがイモコであると判明、9歳のイモコがガラスビンに入れた
手紙と、エゾヨモギの種がモモを病気から救ったことを、偶然にしろ
幼いサキが、外に向けた発信で、人を救った重要性を説くことになる。
(幼い頃のギャルサー達に、手紙や種をガラスビンに入れ流した経験がある。
ということがポイントになるのだが・・・)
そして、レミ、ナギサ、ギャルサー達に反省的視点がうまれる。

最終回を前にジェロニモの死病が、エゾヨモギの花粉症と判明したり、
ハリケーンがアリゾナを襲い回線が不通になり、ジェロニモの運命は?
同時刻、すっかりオッサンに定着した進之助は、ガス爆発で昇天?
という急展開をみせる。
さらにイモコとおもわれたサキでさえ、イモコではない疑念がおこり、
イモコの謎は最終回までひっぱられるのであった。
死を覚悟したジェロニモが、手紙をガラスビンごと海に投げ入れてくれと
発言するが、それはイモコが17歳の女の子でもなく、男であるかもしれず、
もしかすると、柳下がイモコという伏線になるのであろうか?
イモコ探しが、二転三転し、ギターを持った渡り鳥シリーズかよ!
とツッコミたくなるが、「快傑ズバット」オタクでもスタッフにいるのだろうか

ギャルサー#9を見て

2006-06-11 | エッセー(雑文)
イモコはジェロニモの妹ではなく、命の恩人らしい。
人探しの動機も、命の恩人に礼を言うためということか
(ビンに入った手紙に勇気づけられたらしい。)
今回、日本史かぶれの親父のせいで、
小野小町と小野妹子という姉妹の明暗を分けた過去が
明らかにされる。(この姉妹は15歳差もあるらしい)
しかし、小町が語る過去のエピソードが強引で、イジメも
コメディ(~新喜劇風)演出に傾いていて、
現代若者気質におもねっている気がしないでもない。

鈴木えみの手足が長いので、レミ(イモコ)の放つストレートパンチは、
なかなか迫力がある。
今まで、戸田恵梨香(サキ)の受難な役回り(逆さずり、土埋めなど)が
目立っていたので、鈴木えみはただのモデル容姿の綺麗な子という
印象が強かったが、サキの回し蹴りよりもアクション演技派で決まっていた。

名前には、特に呪力に比重が置かれていた時代では、
神との一種の契約関係があって、
神に願いをかなえてもらえる特権性をあらわしていたらしい。
小野妹子が活躍した時代は、古代中国の律令制を導入し、
位階が定められ、その身分に応じた名前が与えられていたようだ。
さらに神に対しても御幣を捧げたり、位階を高める工作が
乱発していて、神に願いをかなえてもらうための供え物のような
契約関係に大きくズレて、現代の契約関係=献金システムの雛型を
構造化していたのかもしれない。

その結果、献金システムの恩恵争奪戦がおこり、敵(ライバル)の名前が
持っている特権性を剥奪し、貶めるという下克上の様相を強める。
歴史的にも、清麿⇔穢麻呂という名前の変更記事をみることができるが、
名前に対する差別・イジメの本質とは特権性の剥奪なのだろう。
だから、レミはストレートパンチを放ち、戦わなければならず、
一方、進之助は貶められた怨念を鎮魂するため、殴られ続けられなくては
ならなかったのかもしれない・・・と思ってみた。

ラスト、ちらっと見える手紙の文字がサキ子と見えるのが気になった。

ギャルサー#8を見て

2006-06-05 | エッセー(雑文)
ギャルサー8回目放送を見た。
まだ、数回しか見ていないが、あと3話で終了らしい。
ジェロニモⅢ世の妹?イモコが、エンゼルハート代表レミ(18歳)
というのも意表を突く展開だが、ジェロニモⅢ世の年齢設定ていくつ?
北島進之助(33歳)よりは上だろうが、モモ(8歳)の親父だから
40手前が上限か・・・しかし年齢差が大きい兄弟だ。
さらに、レミは早川晶子とは姉妹ではなく、ただの同居なのか?
細部設定がみょうに気になるが・・・。

最初見た時、「真夜中のカウボーイ」という映画を思い出したが、
内容的には、漫画「道士郎でござる」に近いものを感じた。
しかし、トリックスター(異邦人)によるドラマ進行という
多少古臭い手法をとりながら、教訓めいた内容を自然とみせる
構成は、配役の妙に負う所が大きいような気がする。
サキ役の戸田恵梨香は見た目に反し、行動が先にでる短絡志向型
のギャルを演じているが、藤木演じる進之介に真正面から向き合う
生真面目さは、その容貌に助けられ、好感がもてるように計算されている。
さらにギャルサーを撲滅する町内会の方針を、生瀬勝久らが笑いに
転化させたり、佐藤隆太が非力で頼り無い型にはまりすぎた警察官を
演じたり、古田新太によるジェロニモが毎回名言を述べて、進之助と
やり取りするネタは漫才のようなリズムに溢れている。
その結果、進之助の言動が抵抗無く受け入れられるという演出は
うまい。(トリックの堤演出に似ている印象をもった。)

なんとか高校という情報から、サキの高校(南都下みなみつげ)に
イモコがいたことをつきとめる進之介だが、そこには7代目候補の
リカも生徒会長として通学していた。
サキのフルネームが広瀬サキ子、リカは大村利香子ということが、
教頭(銀粉蝶のコメディエンヌぶりが笑える・・・)によって判明したが、
エンゼルハートには7名ほど、○○コがメンバー登録されているが
ギャルサーにとって、○○コという名称はダサイという
時代感覚があるのか?
イモコという名称からのコンプレックス(イジメなどの問題も含め)
からレミに変身していたらしいことが、次回予告から推測されるが、
ナギサが元オデブ⇒ダイエットという変身を、成功させているように
エンゼルハートには、日常性からの逸脱・逃避=変身という意味が
大きいようだ。
であるなら、この物語で、エンゼルハートの卒業とは、
コンプレックスの克服・解消という意味が隠されることに
なるのではないだろうか・・・と思ってみた。