moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

ギャルサー#10を見て

2006-06-20 | エッセー(雑文)
今回、ギャルサーの集会所が、契約更新にさいし大幅に値上げされることで、
大家(文房具屋のオヤジ土屋)とギャルサーの対立抗争劇が引き起こる。
集会所に引きこもるギャルサーの態度やそこから引き出そうとする大人側の
扮装が、学生闘争、ウーマンリブ闘争をおもわせる演出になっていたり、
それを、天岩戸神話にたとえるジェロニモと進之助のやりとりは、ツッコミとボケ漫才の
ベテランコンビの風格さえ感じさせる。

一ノ瀬警官からおくられた「文章の書き方」を例文に、
土屋に交渉の手紙を書くが、めんどくさい、理解してもらえないと、
一方的に大人を断じ、手紙を書くことをあきらめる。
簡単に理解できる相手としか話さず、都合が悪くなれば、
同じ場所に引きこもり、自分の気持ちを伝える努力をしないという
ギャルサーの行動をクローズアップし、
その態度が、天岩戸神話の女神と同じ意味であると演出している。

相手を理解しようとしない、理解してもらおうと努力しない態度
それが結局は不自由な世界をつくり、相互理解に欠ける世界
つまり、闇につつまれた世界という意味と結びつけている工夫が面白い。

前回土屋はレミに殴られたことで、反戦フォークソング集会で、
体制側の警官に殴られたことを思い出し、今回の行動に出たことを
述べるが、それは、互いに主張しあった大人も子供も熱い時代だったと
懐古しながら、それに比べ、大人と子供の交流が、現代は途絶えた時代と
反省的視点を打ち出しているようだ。
だから、土屋は「天岩戸=集会所」に引きこもる「女神=ギャルサー」に
外の世界への扉を開かせようとし、大人側からのアプローチを仕掛け、
トリックスター進之助の行動と一致してしまうのである。

しかし、それが理解できないサキには裏切りの行動に見え、
『外の世界では無意味な自分達の状況を』進之助にぶっつける。
このとき、サキがイモコであると判明、9歳のイモコがガラスビンに入れた
手紙と、エゾヨモギの種がモモを病気から救ったことを、偶然にしろ
幼いサキが、外に向けた発信で、人を救った重要性を説くことになる。
(幼い頃のギャルサー達に、手紙や種をガラスビンに入れ流した経験がある。
ということがポイントになるのだが・・・)
そして、レミ、ナギサ、ギャルサー達に反省的視点がうまれる。

最終回を前にジェロニモの死病が、エゾヨモギの花粉症と判明したり、
ハリケーンがアリゾナを襲い回線が不通になり、ジェロニモの運命は?
同時刻、すっかりオッサンに定着した進之助は、ガス爆発で昇天?
という急展開をみせる。
さらにイモコとおもわれたサキでさえ、イモコではない疑念がおこり、
イモコの謎は最終回までひっぱられるのであった。
死を覚悟したジェロニモが、手紙をガラスビンごと海に投げ入れてくれと
発言するが、それはイモコが17歳の女の子でもなく、男であるかもしれず、
もしかすると、柳下がイモコという伏線になるのであろうか?
イモコ探しが、二転三転し、ギターを持った渡り鳥シリーズかよ!
とツッコミたくなるが、「快傑ズバット」オタクでもスタッフにいるのだろうか



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