四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

祇園祭の準備

2012-06-30 13:09:21 | 京都
烏丸の歩道に祇園祭の看板?があがった。
今年も暑い、でも涼しげなコンチキチンの音色の夏が来た。

祇園祭に繰り出す山鉾は、各町内で組み立てており
この時季は車が通れない通りも多々出てくる。
私のウチから一番近い太子山町でも、一方通行の細い道の
ド真ん中で山を組み立ててるので、車は通れないが
京都では行事優先、坊主神主優先なので仕方ないのだ。

お稚児さんは、一説によると年間数千万払ってるという話があるが
ただの祭りでないことで、金に糸目をつけずに出せれる
親御さんが今も居るなら、まあそれはそれでいいとは思うが
京都のお大尽さんは今も太っ腹でんなぁ。

昨年は「最後の宵々山コンサート」で一週間燃えましたが
今年は静かに粛々と、時を過ごしていきそうです。
夜店もかなり規制がかかったようで、世知辛くなりましたが
それでもヤキソバとりんご飴、カキ氷を求めて
烏丸界隈を歩きましょう。

節電せんでも、涼み方はなんぼでもあります。




離婚

2012-06-27 10:01:55 | 人間
マービンゲイ、1983年のMOTOWN25でのライブ

マーヴィンもモータウン社長の妹との離婚で悩んだんやなぁ。

六月はさっぱりワヤで終わろうとしている。
骨折、離婚に関する書類云々、住居の確保
どれも完結せず七月、今年の下半期に突入だ。

まあお互い口喧嘩の絶えない夫婦やったので
頭を冷やすのには丁度ええタイミングではないか。
そう思うと、多少の理不尽でもこらえることのできる
そんな本当に好きな人と一緒になるのが人間、幸せなんやろう。
なんとなく結婚してしまった感のある私は、そう思う。

これからは子供の金銭面でのバックアップに精を出して
いくのは勿論であるが、地方で暮らすのもええなぁと
思ったりする。
どっか週末だけ過ごせる一軒家でもあれば、教えてください。

来月はスッキリした月にしたいなぁ。



ええ大人が

2012-06-25 16:32:49 | 人間
先日、次男が保育園行く途中でシクシク泣き出した。
「どしたん?」と聞くと「うんち~」と答える。
えらいこっちゃがな!すぐパンツの尻を見る
まだ出てない!!急げ~~っと、抱っこしてモレんように
保育園へダッシュ、間一髪で間に合った。
暴発してたら、ウチまで帰って風呂入れさせなあかんとこやった。

子供はまだいい。大人はまずいやろ。
最近、骨折の鎮痛剤やら抗生物質やら飲みまくってるせいか
すこぶるポンポンの調子がよろしくない。
不思議なもので、朝ウチから出るときには全然大丈夫やのに
電車乗ったとたんに何だかおかしくなるリズム。
体調不良時の京都~大阪は、絶望的なぐらい長時間に感じる時がある。
心の叫び:「ぅわあ~~、まだ大山崎やんか」「来てる来てる、何か
考え事せな、因数分解?固いアタマをやわらかくする?何でもええから
あ~~~~~」
「嘉門達夫の歌?キャラメル拾たらハコダケ~~
あかんよけいおかしなってきた~~~~」

で、降りる予定の無い駅へ降りたりして。

やっとトイレにたどり着いたと思えば、使用中などとあれば
もうシクシク泣きたい(笑)。
50前でもらしてしもたら、これからどう生きていけばいいのか?
隠れたところでしたつもりが、警察に見つかって逮捕されたら
どないしょう?新聞載るかな「ビルの隙間で脱糞、逮捕」
名前載ったら末代までの屈辱や。

などとネガティブ思考で、アタマぐるんぐるんになってやっとあきました。
普段であれば、人が使ったあとすぐ使うのに抵抗があるが
こういう時は抗わないよね~
こういう異常時のコトを済ました時の快感は、下手なセックスに勝る。
トイレを出たら、それまでのパニックが嘘のように
心晴れやかで、万物を許し愛してやりたい余裕に満ちる。

私ゃひょっとしてこの快感を味わいたいが為に、パニック状態を
「自家中毒」で起こしとるんじゃなかろうか?
真実はわからんが、皆が偉いのは誰しももれそうな狂気に襲われながら
もらさない大人は凄いなあと思う。
ええ大人がなあ・・・大人でもおかしなんねん!!

インド人的発想

2012-06-22 15:53:57 | 野球
巨人・原監督が過去の女性関係の口止めに一億払った話は
野球漬けの金持ちボンボンだから有り得る話で
インド人のリキシャやタクシー運転手は
日本人であれば絶対ボッタくる。
ジャパーニーはカネがあるから貰って当然という姿勢は
最初はメッチャ腹立つのであるが、いちいち交渉する度に
それもインド的と慣れてくるのだ。

ボッタくるのではなく、金ある奴からいただいて何が悪い?
という思想の相手と、それをやすやすと払う原監督には
インド人とダンピング交渉もせず、正規料金の20倍も30倍も
タクシー料金払ってなめられてる日本人観光客にダブって見える。

貧乏人の私が二股かけたと訴えられたとしても、絞ってもカネに
ならんので一億なんて金額にはならない。

借金も同様
100万200万でクビを吊る人も居れば、厚顔経営者で5億10億の
借金作っても豪勢な生活を装っているモノも居る。
これはもう債権者が、海に沈めても一銭にもならないのなら
エエ格好して大きな商売を決めて、少しでも返してくれという
意味なのだ、大きすぎる借金を作る人間は
逆に金を作れる(錬金術)力を認められてるのだ。

さて原監督の件。
相手も金持ちであるからと、有名人の弱みに付け込んでのこと。
それにしても野球以外での危機管理能力が無いというか、浮世離れ
というか。
そんなん最初っから「それがどないしてん、出すとこ出せや!」
で済んでいた話だ。ただし原監督の嫁はんは年上で、彼が
とんでもない恐妻家であったなら「大したことある話」やろうけど。

政治家も、大手電機会社の「経営の神様」という人々でも
愛人も居りゃあ、庶子もバンバン居る。
そんな人の行動や言葉を人間教育にと、有難く勉強している
人や塾生も多い。しかし「イロゴト」に関してはオフレコのようだ。

要は、愛人作ろうが子供を作ろうが、皆を黙らすぐらい食わす度量があれば
許されるということか。
少し前になるが、故宇野元首相が「30万で愛人」で騒がれたが
これが300万なら黙って許されていた、ということか。

原監督が不器用・世間知らずなのは大金払って更にバレてることだ。
どうせバレるなら一円も払わないか、もしくは一億払ったなら
墓場まで持っていくという証書を取り交わすべきであろう。
何の確約もなく、ただ一億口止めで渡したのなら、単なるアホである。
(取り交わしても通用しない相手なら、それはひょっとしたらヤ?笑)

野球上手でも、世渡り下手である。




晴耕雨読

2012-06-21 10:54:12 | 京都
昨日は午前中、検査の為病院へ
昼から所用で出町柳~百万遍に出かける。

他の大学では見かけなくなった全学連の看板
まだまだ元気な京大である。

少し時間を持て余したので、銀閣寺道近くの
「私設図書館」へ行く。
ここは20何年通ってる、2時間250円でお茶・コーヒーの
サービス付き。
静かな部屋で読書に集中
昨日はフランスへ帰化した画家・レオナルド・フジタ
(藤田嗣治)の伝記を読む。
日本よりもフランスでの評価が高いフジタ。
1920年代、フランスで一番著名な日本人であったにも関わらず
日本の旧態依然とした画壇とソリが合わず、また
戦後、戦争を鼓舞する作品を描いたと批判され
日本に嫌気がさしてフランス永住を決める。

この頃の画家、作家が跋扈した1920年代のパリは
一瞬の花火のように輝き、狂ったような乱痴気騒ぎで
その後の軍靴を迎えるのを予期したように
日々享楽に明け暮れている。

ヘミングウェイ、ピカソ、モディリアニ・・・
その後、中国共産党の小平などもパリに入っている。
作家、画家、思想家、皆を抱く度量の有る自由な街やったんやろう。

映画は映画館、読書は図書館まで行くと集中して読める
久々の私設図書館でした。

京都へ住んだきっかけ

2012-06-17 14:57:01 | 京都
大阪(河内)で20年、金沢で5年暮らして
関西へ帰ってくる予定で
下宿へ帰ったら50cmくらい束になったリクルート本が
届き、昭和の末はバブルも最期で1人に対して
求人が2~3社が普通やったのだ。

ところが、就職に関しては全く行動をおこさず
年末なってやっとこさ学生課で見つけた企業は京都やった。
それまで田舎・石川県で車を運転してて、あの車線変更しずらい
阪神高速や新御堂を走れるかと言う恐怖が先立ち
根性無しは、まず運転しやすそうな&金沢に環境も似て
北陸に少しでも近い(引越ししやすい)関西の京都に決めた。

5年ぶりに帰った関西(京都)では、金沢から来た
新入社員をもの珍しくも親切に歓迎してくれた。
「さあ、歓迎会をしよう!」とそこの社員さんが
いきつけの居酒屋へ行って鯛の舟盛りを出してもらった。
食べて食べてと言われていただいたが、言うと怒られるが
金沢の魚を食ってきた私には、イマイチやったのだ。
喫茶店のお冷も当初は不味くて飲めなかった。

久々の関西で苦労したのは(すぐ思い出したけど)言葉が
北陸訛りになっていて「取引先で訛るな」とよく注意された。
担当は京都・滋賀地区でローカル話題の中で
栗東トレセンにある店を紹介されたり(当時、取引先の店主は
今はなき岡騎手のファンであった)向日町競輪選手御用達の
店もあった、20数年経った今思うと縁はその頃からあったのだ。

社員さんは京都、それも近所の兄ちゃん姉ちゃんオッチャン
オバチャンといった、よく言ったらアットホーム悪く言うと
社長ともども下世話で、朝何を食った話から一日が始まるような
社風だった。朝、眉毛書いたん失敗した子が居て
「いっそ両方失敗して、お公家さんみたいにした方が格好ええやんけ」
と言うと「格好ええ言うの、あんただけやったら嫌や!!」
と言われた。そらそやな、美的感覚皆無のわしやさかいに。わはは。

土地勘が無いというのは恐ろしいもので、祇園で飲んでも
歩いて嵯峨まで帰っていた。
京都の地理に疎い方に説明すると、大阪なら
新地から、難波越えて大国町ぐらいまで歩いてるのかもしれないし
東京なら東京駅から新橋ぐらいまで歩いてるのかも。
もっとも、歩きながら周りの店や通りの風景を楽しんでいたのだが。

そんな京都生活の始まりでした、時間がゆるく感じた(笑)。




北山 修の時代

2012-06-14 16:03:13 | 京都
あの素晴しい愛をもう一度

北山修氏を初めて知ったのは「12枚の絵」というソロアルバムから。
私、小学校6年の時で姉が買ってきたLPは今もウチにある。
京都出身やから「北山修」は芸名と思ってた。

ウチの近所のお医者さんが、北山氏の後輩にあたる人で
「昔は目の前を走ってた市電で一緒に通っていた」とか
いつもいく居酒屋は杉田二郎氏の実家近所とか
団塊世代の人と話をすると、京都では必ずと言って良いほど
彼らの話題となる。

60年代後半、京都から「自分で曲を作って、演奏する」フォークが
全国に発信された。「帰って来たヨッパライ」を聴いて井上陽水は
これでやれるなら、とミュージシャンを目指すきっかけになったという。
かなわないと思ってたことを実現した初めてのグループが
ザ・フォーク・クルセダーズ(以下、フォークル)やったのだ。

アマチュアにも関わらず、北山氏の司会・トークは抜きんでており
それは後年のDJでも発揮されることになる。
加藤和彦氏のメロディーメーカーぶりは、ここよりも詳しく
書かれてる方が居られるので割愛するが「帰って来た~~」
の次にイムジン河が発禁になって即「悲しくてやりきれない」
を創り出すイマジネーションは、大器晩成の逆で
出来る人は最初っから出来るのである、といった見本である
20代前半で、この前まで素人やった人がサトウハチローや
五木寛之の詞に曲をつけるのも凄いが、加藤氏のセンスを見越して
曲作りを強要(?)した当時の東芝レコードも凄い。

解散後、北山修と加藤和彦が一度だけシングルで共演した
「あの素晴らしい愛をもう一度」は言わずと知れた名曲であるが
この1971年は、芸能活動から退く間近の北山氏は作詞家として
後年に残るヒット曲を連発している。

堺 正章「さらば恋人」
はしだのりひこ&クライマックス「花嫁」
ジローズ「戦争を知らない子供たち」等々

ここらの歌詞で共通部分として「花嫁」の
「命かけて燃えた恋が結ばれる」と
「あの素晴らしい~~」の
「命かけてと誓った日から」
「命かける」といったフレーズは、大げさかもしれないが
しかし、恋愛で命をかけてもこの人とならと思ったことは
誰しも経験があるのではないか。
北山氏が25歳の時書いた詞は後年、年を重ねた
本人自身が恥ずかしいと思うことも
あっただろう(事実、本名を伏せて自切俳人と名乗った頃は
北山自身を豚山修と言って揶揄していた)。

「戦争を知らない子供たち」「二十歳の原点」が
ベストセラーになった(何れも京都の学生だな)1970~1971年
学生運動も、関西フォークもピリオドを打ち、
北山修のDJは吉田拓郎に代わり
時代はフォークからニューミュージックへ移行する。

1970~90年代まで、北山氏も加藤氏も過去の歌を
封印していた時代が続いたが2000年を過ぎてから
もう一度繋がるのも興味深い。
ロック、ポップス、フォーク或いは相手するミュージシャンに
全く固執しなかった加藤氏と、一人ひとりの人間と対峙する
精神科医の北山氏の生き方にはある意味、水と油のような
違いがある。逆にそうだからこそフォークル再結成が出来たのだろう。

その後、加藤氏は何か拘りが無くなったように
ミカバンド再結成や、フォークコンサートのゲストとして
登場することが多くなる。
まるでミカバンドのファンにもフォークルのファンにも
お別れ挨拶をするように。

加藤氏なきあとの北山サンは、定期的にコンサートを企画したり
開催したりしている。
宵々山をつくってきた、永六輔さんや高石ともやさんも高齢化が進み
昨年幕を閉じた。

願うらくば、また皆が京都に戻ってきて演って欲しいなぁと
思うが、それじゃあ宵々山の再開になってしまうから(笑)。

最後に、加藤登紀子が北山修に贈った文がある
大学を出て、芸能界から退場したときの文だ。

「私は、風という曲が好きだ
歌っているとどうもいけない、泣けてくるのだ」
そんな文章やったやろうか、私も同感
別れの歌とか、去っていく人の歌が多い北山修の
代表曲と言えるのではないか。
人の人生、出会いよりも別れが多くなってきたこの歳には
堪える詞でもある。

帰っておいでよと 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ

去り行くものを優しく送れる男になりたい。



京都という街

2012-06-12 10:14:34 | 京都


「ホォー、ホォー」と声出し練り歩く禅宗の托鉢。
周波数が合うのか、飼い犬が遠吠えをしている。

平成以来住んでいる京都は、大阪にも金沢にも無いものを
持っている、それは数え切れない寺社である。
それがために問題も多々あるが、その問題は割愛して
寺社についてだが、仮に清水寺が金沢にあるとしたら
それだけで観光地になりえるだろう、兼六園~清水寺コースで
丸一日過ごせるような。

そんな大規模或いは総本山なるものが東山・嵐山・白川・衣笠・北山
山科、宇治等々、京都中に点在しているのである。
東京なら山手線各駅、飲みに行くのに困らないが
京都では寺社仏閣、参るのに困らないのだ。
実際、我が家(四条大宮)近くはな~~んもないと思いきや
新撰組の屯所(アジト)壬生寺があるし、島原遊郭跡もある。
平安時代~江戸時代と守備範囲も広い。


JRの高架越えれば弘法さん(東寺)。

今まで京都に住んでいて、特に名所旧跡に興味を持っていなかったが
今まで行ったこと無かった場所に、時間が許す限り行ってみようと思う。
ひょっとしたら、京都を去ることがあるかも知れんので・・・

高瀬川の紫陽花

ここ当分は京都話を多々します・・・

ジョン・キャンディ

2012-06-07 15:47:14 | スノッブ

ジョン・キャンディ

アメリカのTV番組「サタデーナイトライブ」から世に出た
コメディアンは膨大な数である。
ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、スティーヴ・マーティン
チェビー・チェイス、マーチン・ショート、etc・・・

その中でも私のツボにはまったのがジョン・キャンディ
太っちょで、その癖笑顔が可愛いコメディアン。

「1941」や「ブルース・ブラザーズ」でも出演しているが
傑出して面白いのが「大災難」
クリスマス休暇で我が家へ向かう単身赴任のオッサン(スティーヴ・マーティン
)が
偶然出くわしたセールスマン(風呂場のカーテンにかけるリングを売ってる)
のおかげで、これでもかと言う位の災難へいざなわれる。

殴られる、ひき殺されそうになる、宿はとれない、レンタカーは燃える。
生真面目スティーヴ・マーティンの怒りにも全く気づいてない
ジョン・キャンディの悪気が無い表情が面白さを増幅させる。
まあ考え事せずに笑える映画である。

彼の晩年の映画「クール・ランニング」ではジャマイカから
冬季オリンピックを目指した、ボブスレーチームのアル中監督を演じている。
笑えるが、少し泣ける映画だ。
なぜなら、これが日本封切になった時には彼はこの世に居なかったから。

久々にツタヤで両方借りて見たら、コメディなのに泣けた。
面白い役者ほど居なくなると淋しいね。

わたしと競馬

2012-06-05 10:51:40 | 競馬
最近、ムシャクシャすることがあったので
休みの日だというのにウチに居るのも落ち着かず
どこ行こうと思案・・・せず本能のまま
京都競馬場(京都、関西の人間は淀言います)へ。
人は悲しくなると海を見つめるのだが
私はムシャクシャすると馬を見つめる(場外だが)。

寺山修司の時代、競馬場は落ちこぼれの吹き溜まりやった。
寿司屋のマサ、トルコの桃ちゃん・・
実際、枯れ芝生を見つめる客もくたびれた作業着の
オッサンが多かった。
とはいっても私が、アウトローに酔いしれるなど
そんなんではなく、ただ単に休憩場所が競馬場やっただけ。

メインの安田記念は昼3:40やのに、朝10時くらいから
500円払って5Fラウンジシートでビール飲んで寝る。
馬券買う前からヤケ酒かい(笑)。

このラウンジシート、エアコンも具合良くよく寝れた。
考えてみれば、有料席に座るなんてWINS広島以来やなぁ。
(金を払わず有料席は何度もありますが、自腹は滅多にない)

昼過ぎに野口さんと合流、よろよろと一階のフードコートへ移動
最近の四方山話をしながら安田までの何レースかやるが
引っかかりもカスリもせず。
もともと競馬場へ行く予定はなく、安田の馬券も人に頼んでいたので
全レース1万くらい買って楽しめればええと思ってたので
午前中の爆睡で充分やったのだ。

野口さんは私と同じ京都お住まいなので、淀では気楽に
合流することがままある、以前淀駅から歩いてると
前に野口さんが歩いてたということもあった。
この二人で行くと大概二人とも負けるか、片方が勝つか
だが、一度だけ二人とも万馬券当たるわ中穴当てるわで
「マークシート塗るだけで現金ガッポガッポ」状態の日があった。
その一回だけやけど(笑)。

5~6年前までは月1回は行ってた競馬場も今では
年1~2回になってしまった。


野口さんは三連複が異常に強く、以前三連複で大万馬券を
奪取して以来、得意にしてはる。この日も阪神のレースで
万馬券を獲っていた、然も全く無印の馬でだ。
ビールをおごってもらう。
最近は全然当たらんので、いっつもおごってもらってる。

はたして安田記念。
一番人気が単勝6倍台のG1は聞いたこと無い
そんな大混戦であるならG1勝ちした馬から行こうと
人気薄のグランプリボスとハナから決めていた。

運気が最悪の時には、とことん負けたれと開き直りで
泥沼に陥るのが常套なのだが、珍しく(何年ぶりかで)
ビールを野口さんにおごることが出来た。
現実逃避に駆け込んだ競馬場で、予定通り現実逃避の
時間を過ごせたわけである。

競馬場は日常から解放されることを再認識。