四条大宮ジャーナル

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お見舞い申し上げます

藤田平

2013-07-24 13:39:26 | 野球


私の野球物覚えは、村山実の引退式。
それから40数年、強くも弱くも、弱くも弱くも阪神ファンだ。
子供の頃、草野球で皆が好きな背番号を取っていったが
私が好きな「6番」は競争せずとも手に入った。

「好きな選手は?」私はいつでも藤田平と答える。
あの頃の阪神はエース江夏、キャッチャー田淵の黄金バッテリーで
後の選手はあまり全国区ではなかった、が藤田平は毎年コンスタントに
ヒットを稼ぎ安定した力で1番或いは3番打者をつとめた。

力の入ってない構えで、まるでトスバッティングの延長のように
計ったようにピッチャー返し、楽に構えてるだけにチャンスで
とんでもないフライを上げてしまうと、どうにもやる気の無い
プレイに見えたのが気の毒ではあったが。

私が好きだったのは彼の守備。
もう一昔前の大人なら「阪神は守備練習見てるだけでゼニが取れる」
と言うくらい凄かったらしい、三塁三宅(16番、岡田が大ファンやった)
遊撃・吉田義男、二塁・鎌田・一塁・・・遠井吾郎ちゃんは置いといて(笑)
巨人の遊撃・広岡をして「守備に関しては阪神の三遊間が上回る」
と言わせしめた阪神の守備陣。

そんな長きに渡ってレギュラーを張って来た吉田を二塁に追いやって
ショートの座を確保した藤田平選手の写真、小さい頃に
サイン付きであったのは、顔面泥にまみれて声をあげてる様子だった。
彼は三遊間の打球にはめっぽう強かった為、その位置の芝だけ
深く刈られてたらしい、一度甲子園で巨人の俊足柴田の三遊間へ
転がった打球を逆シングルで捕って間髪入れず送球、刺した時には
凄い鳥肌が立ったもんでした。

そんな藤田選手、一緒に阪神を引っ張ってきた江夏・田淵選手は
移籍先の球団で、それぞれ阪神では味わえなかった日本一を経験しますが
悲しいかな阪神一筋のタイラさんは優勝に縁のないまま昭和59年
(奇しくも田渕・江夏もこの年引退)引退します。

そして・・・マンが悪いというか、彼が引退した翌年、昭和60年
阪神タイガースは21年振りに優勝、初の日本一になりました。
昭和41年に入団し、59年に引退したタイラさん。
阪神生え抜きで唯一の2000本安打達成者でもあります。

それから時間が経ち、広島から金本選手が来たとき
「先輩の藤田平さん、和田さんの名を汚さぬよう、この背番号6を・・・」
と言った時感動したもんです、かねもっちゃんはこういうツボを
ついたことを言うからオールド阪神ファンにも好かれたんやねぇ。

久々に、浜風に吹かれて甲子園行きたいな。
野球は空の下が一番や!!