四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

Countdown

2009-12-31 17:32:02 | 近畿
あと6時間ちょいで平成21年もおしまい。

子供の頃、大晦日の夜は新しい年まで起きていようと
顔を洗ったりして我慢していたが
油断してウトウト寝て、起きたら初日の出の後やったりした。

大阪はさぶい大晦日になりました
ウェザーニュース見ると金沢は大雪!
真冬と梅雨の時はホント、太平洋側が羨ましかった
ことを思い出す。でも寒さは大差ないけど。

帰りの阪急は京都への初詣客で賑やかでしょう。
あ!今思い出した、今年の正月、伏見稲荷で
わしは何十年振りかに「大吉」をひいたことを・・・
何か損した気分になってきた@@@@@@@@

でもまあ、大病無く年越しできることが大吉か。
そう思うことにしよう・・・

来年も宜しく。

攻勢に転ずる2010年

2009-12-29 10:15:12 | 京都
空耳アワー 名作100連発

タモリ倶楽部がある限り「素」のタモリが見れる。
これしかし、わしが高校の頃から続いとる・・・

今年は・・・
「凌いだ」感が強い一年やった。
当たり前のようにして生きていても、同世代や
今まで長い付き合いやった方々との今生の別れは
生きていくことが簡単でないことを、つくづく感じさせられる。

個人的には、健康の曲がり角やったか。
新型インフルエンザに感染というのも堪えたが
今また、年末最後の最後で風邪である。
熱は醒めたものの、腹が危ないー 栓が欲しい。

まあ45にもなれば、どっか故障が出てくるが
だましだましやっていくしかない。

別れとその逆、昔からの友人知人との再会が
多くなったのも今年である。
人生初の裁判を実行するにあたって
10数年振り、数年振りの人との再会もありました。
何年経っても「やぁっ!」と屈託なく
会えるのは、今まで後ろめたい生き方をしてきてなかった
証と自負する、ボロは着てても心は錦やで。

さて来年寅年。

前回の寅年は独立に向けた動きをしていた。
長男はその年生まれた寅年だ、早いもんで彼も年男。
前々回はまだ学生の頃、関西へ帰らず金沢で
雪かきや年末年始ラブホテルでバイトをしていた。
(ベッドメイキング、通常時の倍、バイト代貰った
当たり前か、年越しそういうところでバイトするなら
ぎょーさん貰わなやってられん)


今年仕掛けたこと全ての、答えを出す年になるでしょう
それには納得いく結果を導く為の作業が伴う。
相変わらず休息はなさそうやけど、いつでも
お誘いください、晩なら空いている時間ありますので。

鉄板(裁判三回目終了)

2009-12-25 15:16:18 | 京都
本日第三回・クリスマス裁判終了。

相手がどんな資料を用意するか、正直ヒヤヒヤするが
こちらが間違ってないので、資料を出せば出すほど
優位になる。
今日は私が勤めていたときの領収書を全部出せと
指示していた分を出してきた。

不当なことをせずに真面目に仕事していると
アラを探そうにも出てこないだろう、ザマミロ。

まだまだ裁判は続くが、ひとまず今年は終了。
第二弾、第三弾メニューもご用意しております、
来年召し上がれ。
今は抽象的な表現でしか出来ないもどかしさですが、
全部済んだら大暴露ブログになることでしょうね~~

裁判起こすのは勇気が居ることです
ただ、自分に間違いない!という自信があれば
やればいいと思う、またこのことによって
応援してくれる皆様には感謝にたえません。

裁判としては、ひたすら勝訴へ向かって流れてます。
証拠も証人もガッチリ押さえてます。
現在、鉄板状態ですが、理不尽な地震もあるかも
しれません、油断せずに寅年を迎えることとする。
来年はいい年にしましょう☆

マグロ漁師の子

2009-12-22 18:08:17 | 京都
次男は1才2ヵ月、よちよち歩いてはこけ、歩いてはこけ。
親父は45歳2ヵ月、よろよろ飲みに出ては、お帰り1時2時。

そんな親父がこないだ久々に次男を風呂に入れたら、
「ふんぎゃぁ~~~~!!」
と、大絶叫で泣き叫ばれた。
風呂で泣くから響く響く、ハタから見たらせっかんでもしてんのかいな
てなもんである。

嫁はん曰く「日中全然ウチに居ぃひんから、顔忘れられてるんや」
くっそー、お父ちゃんの顔を忘れんように、いつもわしの写真見せて
「これがお父さんよ、お父さんよ」と言い続けなさい。言うたら
嫁はんに「アホか」と言われてしまった、チクショー
そういえば最近、抱っこしてもエビぞって泣きよるし…
おんなじ子供でも長男の時と全然違うー

はよ帰ってコミュニケーション、とらなあかんなぁ
マグロ漁船に乗った男が二年三年航行して
帰ってきたら成長した息子に「おじちゃん、誰?」
と母親に泣きついた話は聞くが
まさかこの私が??

なかなか子供は正直なもんで
私に対する警鐘を鳴らしてくれてるんや、と。
仕事時間や飲む時間をちょっと、考えんならんと思う。
むっちゃ耳をつんざく警鐘やけど。

クリスマスは早よ帰るからなっっ!
春になったら御所あたり散歩に連れてくか。

クリスマス裁判(第三回)

2009-12-18 19:01:08 | 京都
月1回の裁判が近づいて参りました。
今回は12/25 クリスマス裁判です。

初回前は胃痛に襲われ、咳がひどく
終了後に判った新型インフルエンザ感染。

二回目はもう、次回の打ち合わせ程度ですぐ終了。

三回目、いよいよ内容の詳しい突っ込みになるのか
どうなるのか、裁判やったことないのでよくわからん~
まあ、正味あった話を押し通すしかないし
相手は全否認を決め込んでるから、切り崩すしかない。
注意せねばならんのは、何度もやるために気持ちが惰性になること。

しっかし、よくよく考えてみると人間を訴えるというのは
情けないこと。殺人や人身事故なら当然だが
民事というのは情けない。相手に言いたいのは、そこまで
人を蔑ろ(ないがしろ)にするからそうなるんやで~
まったく、訴えても訴えられるような憎まれモンには
なりたくないですね(普通の人は訴えられませんがね)。

・・・終わった後は今年お世話になった方々と忘年会@北浜。
今週は禁酒を決め込んでいたので、来週はガソリン入れまくる。
今年もお世話になりました、来年も宜しくウイーク突入(笑)
こうして今年も、雪崩れこむようにして暮れを迎える!

いつもの面々 IN 金沢

2009-12-14 18:40:48 | 金沢
観光地や繁華街ではなく、学生街にひっそりある
オデン屋「若葉」地元の店です。

前回の続き。

風呂上り、とぼとぼ歩いてすぐにそのオデン屋はある。
時間がちょっとあったので、近くにある造り酒屋の
ギャラリーで日本酒を試飲する、どれも美味い酒だが
720mlで3~4.000円と結構な値やったので買えなかった。
ごめんね福光屋さん。
薦めてくれたおねぇさんは、とても綺麗な方でした!

試飲してから若葉へ入り、オデンを食う。
大将と若大将で切り盛りしてはる店で
オデン棚に所狭しと具が一杯、串刺して泳いでます。
食べたオデンの横に木札が積まれる
ここで私が一番好きな具は、いわしのつみれなのだ
でかくて安いから(笑)。

風呂上りのオデン食ってる間に、地元に居る学生時代からの
友人・にしだ氏登場。
のぐちさんと初対面ですが、商売取引するわけでもないので
堅苦しくも無く、お2人とも(わしも)酒とメシが大好きなので
初対面でも話は早い、わははは。
お2人は初顔合わせで申し訳なく思いますが
私にとっては、いつもの顔の友人なので気楽(ごめんなさい)。

こういうメシは大好きです、美味いのもそうでしょうが
人と人同士、楽しい時間というのが更にいい。
アホほどデカイ、バイ貝やホタテを食いました。

もちろん、この店で終わるはずもなく
腹3分目で次へ移動、次は魚である。
繁華街まで出てきて、これまた行きつけの「さわの」へ。

親父は昔、チョンマゲみたいに髪を後ろでくくってたが
歳月は悲し、くくるモノが最近不足してるようだ。
それはさておき、刺身、香箱ガニ相変わらずおいしゅうございました、
ウナギも牡蠣も出まして、三人とも機嫌よく酔っ払って
という金沢の夜でした。

翌日は金沢競馬へ
無料バスで市内から40分ばかし、遠い。
バスの中はじぃちゃんばぁちゃんばっかりで
40過ぎの若者は2人だけ。

肝心の競馬は時間の許す限りやって負け。
のぐちさんは取って少し負け。
もちょっと居たかったが、また市内へ移動
近江町市場を覗いて懲りずに海鮮丼を食って
金沢駅へ移動して土産をぶらぶら見て
雷鳥へ。

ワンセグで阪神JFを観戦
これまた取って負け。
明日からの仕事を思うとブルーになるなぁ、
と2人暗ーく窓辺の夕暮れ琵琶湖を眺めながらの
珍道中も終わり、のぐちさんお疲れ様でした~~
にしださん、ゲスト有難うございました~

第2の故郷、というと大袈裟やけど
まだ帰る下宿があるんじゃないか、と
勘違いしそうなくらいに、地に足が着いた
金沢旅行でした。

何度目の忘年会?

2009-12-10 09:38:21 | 京都
昨晩はウチの近所、行きつけの「おくのと」さんで忘年会。

11月末から忘年会やってるから、もう何度目の忘年会か
失念してしまっている、まあ「忘年」やからええか。
大阪で飲むのと違い、京都で飲むと落ちついて飲める。
歩いてでも帰れるとこならなおさらで、バイト仲間のNさんと
「おくのと」紅一点のHちゃん、大将、私の4人で鍋を囲んだ。

大将と何の鍋にする?と話をしていて一致したのは「アンコウ」
フグはよっぽど良いのでない限り、骨をせせってばっかりで
身が少ない、カニも同様で却下。
大将の地元である能登から送ってきた新鮮なアンコウは
身がプリプリで、キモ共々生臭くなく、最後の雑炊は
これでもかのダシがしみてしみて。

このような状況の鍋は何が美味いかって、
鍋奉行が店の大将やから、食べるに専念できる。
会社なら周りに気を遣ったりして、鍋やって
いつも食った気がしないでいた。実際、ひどいヤツなら
無礼講やー言うといて翌日、
鍋に入れる順番が悪いと言って社員を叱る
アホ社長も見たことあるし(訴訟してる会社やけど)。

ウチの近所であるこの店、そもそもの馴れ初めは
私が石川県(金沢)に5年ほど住んでいたので
「おくのと」の看板が気になって仕方がなかったのだ。
けど、間口も大きくない店へ飛び込みで入るのは勇気がいる。
常連とおやじがナアナア、なんて間に入るってのはなぁ・・・
などと考えながら店の前を1~2年素通りしていた。

そんなある夏の日、暑さに負けて飛び込みでビール飲みに入った。
大将は気さくな人で、能登出身、東京石神井で丁稚修行して
京都で店をしている。
名の通り、奥能登の魚介類が豊富でいて安い。
祇園で食ったら倍以上取られるやろう・・・

大将、若い時府中にもウマ関係に出入りしていて
故・吉永正人騎手らとも交遊があったくらいだから
競馬ファン歴40数年である。
マツリダゴッホの有馬やヘブンリーロマンスの
天皇賞を当てた穴党、単勝派だ。

さあ、鍋も食ったことやし大将、有馬当ててええ年の
締めくくりにしましょうね~~

持つべきものは・・・

2009-12-06 18:44:57 | 大阪
今夏に交通事故で他界した、高校時代の部活仲間のMさんの
追悼演奏会をすることになり、正月明け、20数年振りに一同集まる。
例によってまた言い出したのは私であるが。

人数は揃ってきたのだが、ここに来て楽器調達の問題が。
なんせ20数年振りなもんで、演奏出来る出来ないはもとより
楽器を手放した人も多い、サックスがないとか、
クラリネットがないとか。
ネットでレンタル楽器を検索してもめっちゃ高いし
1日だけの為にそんなん借りれない・・・

思案していて、ふと高校時代の恩師が某高校の校長になっていた
ことを思い出した。最早ダメモト覚悟で電話したら二つ返事で
楽器を貸してくれることになった。
「ええよええよ、使え使え、気ィ使わんでええぞ」
・・・涙出そうになった。
高校時代、よくケンカした(どつかれた)体育教師である。
熱血漢やから、追悼演奏会に対して意気に応えてくれたんや。

持つべきもの、それは金ではない、人と人であることを
あらためて感じた。
裁判やってる相手みたいな輩も居りゃあ、こんな絆(笑)もある。
こういう人達が居るから、人間やめられない。

T先生、有難うございました。

でもねセンセ。
後で「あ~~すまんすまん!」は無しでっせ。
勢いよく返事に応えてくれたので、それだけが心配なの。


別れの手紙

2009-12-03 10:56:59 | 音楽
加藤和彦 ADRIANA/PAPA HEMINGWEY

http://www.youtube.com/watch?v=ELwAPZSIK30
1979年 Papa Hemingweyより

坂本龍一、高橋ユキヒロともYMOの直前。

加藤和彦が突然いなくなって一ヶ月余り経つ。
中学生の頃にフォーク・クルセダーズを聴いていた時には
既に10年前に解散していたグループであり
その頃にはミカ・バンドも終えていて
リアルタイムに追いついた時にはソロで
凡そ浮世離れ、というか好き勝手な曲作りで
他と計るモノサシのない「加藤和彦の世界」だった。

この人、あんまり売れる売れないを考えてる風情でもなく
(帰ってきたヨッパライで冨を得たこともあるだろうが)
ミカバンドから巣立った高中正義や高橋ユキヒロの方が
よっぽど知名度、商業ベースに乗ったと思うが
そんなことはどうだっていい感じである。

安井かずみとの観光音楽というかなんと言うか
シンガポール、バハマ、ベルリン、パリ、ロンドンと
当時のYMOや矢野顕子を招いて
その現地へ行ってその空気の音楽を作って
発表する、というスタイルを取っていた。
バハマでは明るく、ベルリン(壁がある時期)では陰鬱に。
レゲエ、タンゴ、ジャズ、サンバetc・・・消化している。

それは模倣と揶揄する向きもあるかもしれないが
それを発表する勇気とレベルが必要で
なかなか国内では稀有な作曲家だった。

「帰ってきたヨッパライ」がフロックであっても
(井上陽水は、これが売れるならオレにも出来ると
プロを目指したきっかけになったらしい)
フォークル(加藤)は後に「悲しくてやりきれない」
「青年は荒野をめざす」をサトウハチロー、
五木寛之という作詞家を得たとはいえ、決してフロックではない
ところを見せ付けるあたりは、サザンが「勝手にシンドバッド」
でパロディバンドと目されて(実際ドリフからオファーがあった
というありそうな噂がある)
次に「いとしのエリー」を持ってくるのに似ている
一発屋と思わせといて、確信犯的でもある。

最初から売れてそうで実は苦労していたのはナイアガラだが。
(大滝詠一、山下達郎のデビュー時の音は、10年早かった)

外国の歌をコピーしたり作家に任せて歌っていた
カレッジ・フォークがやがて自分たちで作り、歌うようになる
先鞭をつけた加藤和彦。
フォークからロックに転身(というよりこの人には垣根がない)
と、音楽あるところ飄々と長い足で歩き続けた加藤和彦。
別れの手紙が音楽に絶望したものならば
凡庸な我々は取り残された気分でやりきれない。

デビューしてから40年、同じ京都の縁でもあり
高石ともやや北山修、杉田二郎等の活動と共に
また京都会館や円山音楽堂に来るかな、と思っていたが
もう叶わない、ため息ばかりである。

10代20代の頃に聴いてきたプレイヤーが次々倒れる時代になり
やはりおっさんになったと自覚する次第
皆さん来年はお元気で。