四条大宮ジャーナル

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お見舞い申し上げます

万葉の旅

2013-08-26 14:34:09 | 文化
昔、帝塚山大(やったかな?)教授の犬養孝先生がやっていた
「万葉の旅」(関西TV)が好きやった。
「真珠の小箱」(毎日TV)と並ぶ日曜朝のお楽しみであった。

私は河内(東大阪市)の出身なので、近鉄沿線にある
寺社へ行くことが小学校から多かったので
歴史に出会う環境があったのだと思う。
大阪万博の前は道路工事ラッシュで、近くの建設現場で遊んでたら
謎の貝殻や犬か猫かの骨がゴロゴロ出てきてパニックなったことがある。
まあ、それが後に貝塚で指定されたかどうかは定かではないが。

近鉄は当時、上本町から出ており(難波開通はあと)奈良市内と
布施から分岐して橿原、名古屋方面へと走っていた。
私はしょっちゅう行く大仏っあんのある奈良市内よりも
橿原・飛鳥へ行くのが好きやった。

40年前の飛鳥は全く整備されておらず、石舞台古墳も石の上まで
上って遊んでた。これは広島・原爆ドームも一緒で
ドームの中から鉄骨だけの天井を真下から見た思い出がある
今では考えられぬこと。

飛鳥の話に戻る
その当時(1970前半)高松塚古墳が発見されて、古代飛鳥が
ブームになった頃で、私は姉とその友達に付いていって
岡寺や石舞台、猿石や鬼の雪隠、まな板など自転車で観光してまわった。
小学生なので何が何やらわからんかったが、古代人は何か意味を持って
こういう物を残してきたのだろう、というぐらいは持っていた。

「万葉の旅」ではここら飛鳥や大和三山が多く尋ねられている。
どうもYou Tubeでも犬養節は出てこないが、犬養先生の
万葉集や百人一首を詠む節が良くて、私は今でも真似をする。

今あらためて百人一首を見直すと、あからさまな恋の詩が多いこと!
「かくとだに えやは伊吹のさしもぐさ さしもしらじな もゆる想ひを」
藤原 実方
今でも結構知られてるモグサ(お灸)でさえ燃ゆる想いと形容して
愛を詩ってるのである。
今のように情報伝達手段のない時代、下ネタには決してならぬよう
貴族歌人は今のひとびとと、いやそれ以上の情熱で愛やら恋を詠ってた
と思うと、何気ない観光地も興味深くなる。

天武天皇と額田王との三角関係であったとされる天智天皇は
百人一首のトップバッター、「秋の田の かりほの庵の~」で有名だが
もうひとつ、万葉集で
「香具山は畝傍を愛しと耳成と相争ひき神代より
かくなるらし古へもしかなれこそうつせみも褄を争ふらしき」
のほうが、ドロドロして好き(笑)。

大和三山を三角関係に喩えてるようで、人間らしい。
まあ実際の大和三山は、山というより可愛い丘のようですが。