四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

11/12(12分の11)

2011-11-30 17:38:54 | 文化
一年一年早く、明日から師走だ。
11/12が終わろうとしている、今年はあちこち動こうと
思っていたが公私ともにトラブル等相次ぎ
身動き出来ない年となった、正月伏見稲荷で引いた
「大吉」は生きてて良かった、ぐらいの評価やな~

今年は、というより戦後最大の災害と言えるだろう
東日本大震災以前の一月、二月が思い出せない。
3月11日で時間が止まったままの人には
何とも幸せな一月二月が恨めしい。
それだけでも甚大な被害であったのに更なる
福島原発の爆発を見たら、まるで他所事にような
非日常を眺めてるような錯覚やったが、悲しいかな現実なのだ。

東北方面の知人は無事やったが、仕事に支障があり
海苔養殖をやってる方々は、生産出来ず今は
出来上がりを待ちの状態である。
その節は海苔をご購入いただきました皆さん
有難うございました、しばし待たれい。

夏には4年かかった裁判に終止符を打った。
勝因は最後まで油断せず危機感を持って挑んでくれた
弁護士先生と応援していただいた方々のおかげ。
それと絶対逃がさないと言う、私の執念が相手を上回ったのだろう。
相手側弁護士が無言で和解室からそそくさと退室していった時、初めて
勝った実感がわいた、一生一度の裁判
勝つと負けると天地の差
国が相手側の不実を認めた瞬間、恩讐は去った。
この期間、初めてインフルエンザに罹患したり
鼻血になやまされたり、寝不足になったり
体力はこれ以上やると多分、持たなかった(笑)。

また、京都・円山野音での宵々山コンサートが
最後を迎えた、全国からファンの方々が来られて
今まで40年近くやってきた歴史を感じた。
隣に並んでいた滋賀県のお父さんは35年振りで
孫も居ると仰っていた、当時学生さんも沢山来てました。

余韻もおさまりきれぬ9月には、高石ともやさんファンの
サイトを主宰なさってた、KAZMAさんが他界なさってたとの一報が。
沢山の出会いがインターネットで作ることが出来る
そういう黎明期から作ってきた方のご冥福をお祈りします。

秋には恩師が急逝し、すぐ後愚息が足を骨折しぃで
金沢、九州の出張計画が頓挫した。
世の中ままならない、平々凡々と過ごしているようで
少しずつ何か変化がある。
時間は平等に、そして時には優しく時には残酷に流れていく
生きてるだけでも徳がある、そう思ってやっていこう。
皆さん、どうぞ気分の良い残り1/12を~~

兵どもが夢のあと

2011-11-26 12:49:06 | 京都

早起きして今宮神社の紅葉を見に行く。
日中と違い人も居ない、門前のあぶりもち屋も開いてないが
ゆっくり見て回ることが出来る。

まさに毒々しいほどの朱色。


いきしなは、西陣界隈から寄り道していく。
早朝の老いた飲み屋街はうら寂しくも、かつてここに
出入りしていた織物の旦那衆を思う。



昔、阪急電車は河原町まで行っておらず四条大宮が終点やった。
そこから市電を真っ直ぐ北へ上がると西陣、上七軒。
上七軒は北野天満宮の門前にあり、10数軒今もお茶屋がある。
そこは河原町、祇園を上回る格式・規模で賑やかさやったらしい。
水上勉の「五番町夕霧楼」のモデルになった五番丁も町名は健在
かつての勢いの灯火のように「千本日活」(エロ専門だが)が
あったり、かなりお年を召した女性が相手してくれるバーがあったり。
スッポンの「大市」や居酒屋「神馬」
はその往時の名残。

やがて阪急が河原町まで延伸し、河原町や祇園に客は流れ
織物業も下火になって、西陣の飲み屋街は時間が止まったようになった。
都市銀行も支店を抱えていた西陣だが、今はATMが設置されるのみ。
寂れたとか昔が良かった、というより今のしっとりとした町構えのほうが
夜歩くのにもええ発見がある町です。
角ごとに意外な創りの建物や店を見つける楽しみは
初めて来た温泉街の路地を、そぞろ歩く気分にさも似たり。

私には祇園や河原町よりもむしろ、西陣界隈の方が性に合う。
京都のガイドブックや、ネットでも中々出てこない店は多々あります。

通過儀礼

2011-11-24 10:52:05 | 近畿

奈良・東大寺の柱くぐり 関西のガキは必ずやるであろう通過儀礼。

昨日は曇天であったが人が殺到する地元(京都)を避け奈良へ。
奈良も結構混んでた・・・

次男は奈良、初めてで鹿にせんべいをやろうとしたが
久々の鹿は昔以上に凶暴化しており、せんべい持ったオッサン
見るやいなや鼻でつつくのは可愛いもんで、尻噛むヤツも居た。
子供の背丈と鹿の首はほぼ同じなので、結構威圧感があろうと
思い、座って休んでる鹿に近づかせてナデナデさせた。


東大寺門前の紅葉もちょうどええ感じ、拝観料をバッチリ取ってる分
庭の手入れは素晴しい。

京都に比べ奈良の寺社は結構オープンに撮影許可している
(興福寺の阿修羅はダメですが)
何度撮影しても、直に行って見ないとこの大仏っあんの迫力は
判りませんね、大仏もそうだがこれを格納している大仏殿も
大概巨大である、今みたいにコンクリート建築なぞない
木を中心として作った中では最大級やろうなぁ。

雨やったので若草山は登らんかったけど、次回は登ってみましょうか。
近鉄特急タダ(6歳以下)まではあっちこっち連れていったんでぇ(笑)。

痛い新潮

2011-11-19 13:50:33 | マスコミ
阪急の中吊り広告をよく見る。
結構好きなんは「LEON」の広告
例のジローラモさんに、チョイワルおやじの
格好させてるアレだ。
「チョイワルおやじは○○が決め手」みたいな。
ほんまにそんな奴、居るんかいなと思ったりしますが
居るんよこれが。
今年も今週、御堂筋線で今シーズン初の「中尾彬巻き」
オヤジ見たし(笑)。

そんな中吊り広告で見た、週刊新潮の橋下徹に関する
見出し。
父親が暴力団とか、地区に住んでたとか
本人の政策と何ら関係ない内容で何を言いたいのか。

本来、マスコミは差別を糾弾する役割ではないのか。
私は橋下徹を好きでも嫌いでも無いし、大阪市長選の
投票権も持っては無いが最早新潮、地に堕ちた。

以前、総裁になる前の麻生が野中務に「出身者が・・・」
と口を滑らせて野中さんに激怒されたことがある。
そんな人の痛みを知らない、オタクのボンボンが首相になった時
自民党も人材の無さがここまで来たかと思ったら
次回選挙で自民陥落してしまった。

ネガティブキャンペーンも大概にせえよ
勝ち誇ったような中吊り広告を見て
品の無さを痛感した。
どうせ叩くならナベツネを叩いてみたら?
全て無くす覚悟でやってる清武さんの方が
愚と言われようがよっぽどジャーナリストやで。

口でどれだけ奇麗事を言っても、こいつらの根底には
差別意識が根付いてる。
差別を無くすことというより、物事の正悪ぐらいは
認識しろ、お前らが記事にしていることは
悪じゃ。

幸せって計れるのか?

2011-11-14 18:44:11 | 人間
日本一幸せなのは福井県をはじめとして
北陸三県(福井・富山・石川)がベスト3であった。

大学教授が経済力ではなく犯罪、平均寿命等独自のファクターで
出した統計に基づくらしい。
大阪や京都は下位やった、幸せなつもりやったのに(笑)。

北陸に住んだことがある私として、住みやすいポイント(S63年当時比較)は

・部屋代が安い
・食料品が安く特に魚介類に不自由はない
・渋滞が関西ほどひどくない
・飲食店が人口比に対して結構ある
・図書館等が充実している、というかガラガラ
・学生相手の仕事は多かった
・病院が結構多かった

住みにくさと言えば

・電車が無いのでほとんど車
(当時使った車はシビック、コルサ、サニー)
・雪で交通移動が大変
・街が大きくないので、車で走ると知り合いに会う
 確率が非常に高い。
・繁華街を除くと、晩10時以降開いている飲食店は殆ど無い。
・当時、民放TV局は2局しかなかった。したがって
 ニュースステーションの小宮悦子を見たこと無かった。

住みにくさで挙げた部分はしかし、我慢できる範疇であり
生きていけない問題ではなかった。
あらゆる店舗は駐車場が充分にあるので
駐車する場所を探す、という手間がなかった。

といって関西に住んでいて不幸せか?と言われると
別段そう思ったことは無い。
子供時代は公害(光化学スモッグ等)地域に住んでいて
新しい土地に住んでみたい好奇心はあったが
住みにくいと思ったことは当時、感じなかった。
その当時に会った人々とは引越ししても
未だ付き合いはあるので、人の幸福度はその土地ではなく
それまで袖摺りあった縁のある人がその土地に
どれだけ居るか、と言うことかもしれない。

金沢の小立野、香林坊、片町で飲んだり
白山や内灘海岸で山登ったり海泳いだり
布施や小阪で飲んだり食ったり
奈良公園や久宝寺緑地で遊んだり
何れも楽しかった思い出であり、行楽地や歓楽街の
優劣や好き嫌いに関して全く持ってない。
親でも親戚家族友人でも、楽しく過ごし暮らすことが共有
出来た時期があれば、それが幸せなんやと思う。

先日、同窓会やった時も本当は布施の「すし半」か
「王将」でやりたかったぐらいだ。
酔った勢いでストリップ「晃生ショー」にでも
行ってみたいが、今もあるのかは定かではない。

まあ、それで言えば私が幸せであっても
こんな親持つ子供はゴキブリみたいな親父で
たまったもんじゃないかもしれないが。

お前のものは オレのもの

2011-11-12 10:30:24 | 政治
ジャイアンの座右の銘。

昨日11月11日、ポッキーの日 モヤシの日 立ち飲みの日 きりたんぽの日etc・・・
TV見てるだけでも色々な記念日があったようだ。
そんな日に、巨人・清武球団代表がナベツネを強烈に批判し
晩には野田首相がTPP参加表明した。

読売巨人軍とTPPに共通するもの・・・
ナベツネとアメリカはジャイアンみたいなもんだろ。
アメリカは今回のTPP、なんちゃらパートナーなんちゃら言うんですが
全っ然パートナーちゃいますから!!
グループで言うと「アメリカ&環太平洋国」みたいなもん。
桑田佳祐&サザンオールスターズ、ポールマッカートニー&ウイングス
みたいなもんで、グループ名乗ってるが実質ギャラ全然違うみたいな。

日本側としては、テーブルにつかないとアメリカの不信を招くと
言う危機意識から参加表明したのだろうが、手ぶらで行って
手ぶらで帰る訳はないので、合意するにしても日本側の意見が
どこまで通用するかだろう、参加してまう以上は
丸呑みだけは避けて欲しい。
国民が労働意欲を失してしまうような社会になるという
最悪のシナリオまで想定している人も居るが
進んでしまった以上はもう政治家に任せないと
仕方ないんじゃないか、選んだのは我々なんやから。


かたや読売。
清武さんはもう自分の首を覚悟してのものやろう。
巨人軍だけではなく、政界にも影響を及ぼす自社の首領に
楯突いたのだから。
あとは世論をどう味方につけるか、というところ。
判りやすかったのは、その後会見を開いた巨人軍側が
「かばえない」「そのようなことはなかった」
そう言わないと仕方がない、典型的な悲しき組織人が
浮き彫りになって面白かった。
ナベツネジャイアンが黙ってる訳が無い
ここ1~2ヶ月の動向が楽しみでんな。

企業にしても労組が弱体化して、上に噛み付く
人間が居なくなり更に不景気で企業にしがみ付く
阿諛追従軟弱人間が多くなった今だからこそ
清武さんの勇気には拍手を送りたい。
消される可能性がかなりあろうとも、大きな権力者を
ギャフンと言わすのは庶民の快感でさ。

野田さん、見場だけやったらジャイアン似ぃなんやから
アメリカジャイアンに少しは噛みつけよ!



山本五十六

2011-11-08 13:50:19 | 人間
やってみせ,言ってきかせて,させてみせ,ほめてやらねば,人は動かじ


山本五十六の映画が近日封切りらしい、見に行きたい。
父親が56歳の時の子だから五十六。
大学時代、六十二(むとじ)という名の男が居た
ひょっとして・・・と聞くとやっぱり
父親が62歳の時の子やったらしい。

話が脱線した。
ご存知真珠湾攻撃を仕掛けた、海軍連合艦隊司令長官
山本五十六元帥は結構ファンだったりする。
ファンという言い方は軽いが、戦時中でも
ニュートラルな視点を持った人物で
ポーカーや博打を好み、海外知識も豊富だった。
留学もしていたアメリカとの戦争を反対していたのは
アメリカの国力をよく知っていたから。
「テキサスの油田とシカゴの自動車工場を見たら
あんな国と戦争するのは馬鹿げている」云々の言葉がある。
陸軍には結構睨まれてたらしい。

パールハーバーは、もう戦争回避が出来ぬ時点に於いての
文字通りの奇襲で「もし(戦争を)やれと言われるのなら
暴れてやりましょう」ただし期限付きで、という条件だったが
日本は切り上げ悪くヒロシマ・ナガサキでの終焉を見るまで
戦争を引っ張ってしまう悲劇を生む。

広島の江田島にある海軍兵学校の展示室には
今も山本元帥が墜落した時の飛行機の座席が展示してある。
もうその頃、米軍は日本軍の無線を逐一解読出来てたらしい。
撃墜した兵士に米軍幹部が送った祝電に
「おめでとう、野鳥の中に白鳥が居たようだね」と書かれていた
それほどに米軍にとって、山本五十六は難敵だったのだ。

文頭にある山本元帥の言葉は今の親、教育者、指導者にも通ずる。
この国は優秀な人材を沢山失ったのだな、と思うと
戦争は絶対にやってはいけないのだ、やられてもいけない
そこのところで、軍隊の有無の論議が延々と続くのだけれど。

山本五十六元帥について詳しいHPがありました。
その中でもう一つ名文があります。

苦しいこともあるだろう、言い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。

これ、まだまだ足らんなぁ、わし。


TPP

2011-11-05 13:02:08 | 政治
ネット上では大騒ぎになってるが、TVなどのメディアでは
そんなに問題に出さない不思議。
東日本大震災のニュースも勿論大事だが、これ通過してしまうと
どんな世の中になるか。

小子化で第一次、第二次産業の人数が足らなくなる日本に
今まで以上に外国人労働者が入国してくる。
それも期間制限無し、で。
(ある程度の制限は与えるだろうが、最終的には永住権を含め
緩和される方向になる)
島国である日本に於いて、このことは非常に繊細になる部分であるが
どのみち近い将来、仕方のないことでもあるのだ。

子供少ないわ、肉体労働イヤ!とか日本人が仕事を選ぶのなら
外国人労働者をどんどん採用しなくてはやっていけない。
事実、近所のコンビニで夜中働いてるのは中国とか
ベトナムの学生さんだ。
これからは、正式採用として取り入れていくであろうし
子孫の代になると、働かない日本人より
海外の人と結婚なんて普通になるだろう。

そういう現象を圧縮したようなことを経験したことがあった。
サラリーマン時代、出張で隠岐島へ行ったら
フィリッピンパブがあり、同行した取引先と
興味本位で入店したら皆さんフィリピーナだった。
で、よくよく話を聞くとみんな地元へ嫁いだオクサンだった。
ここでは地元の娘1で男40の競争率らしい
若い娘は島を出て、地場の仕事をする漁師さんなどは
オクサンもらうのも本当に大変なのだ。

それに異を唱えるか、世の中の趨勢と割り切るかは
個々の判断にゆだねるところやけど
もう自分の子供が何国人のパートナー連れてこようが
驚けない、そんな時代の予感。


祇園

2011-11-02 18:51:06 | 京都


京都祇園南座前、鴨川の風が夕方にもなると寒し。

昨日は珍しく祇園やったけど人が全然居なかった。
この街全体に漂うお香の匂いをいただきながら
いつもの店に(といっても月に1、2回だ)。
馴染みの女の子に「今日は人、でとらんなぁ」
「人が少ないのは今日に始まったことちゃうよ、それを
言うくらいやからアンタも出てへんっちゅうこと!」
すんませんな。

先日のミナミがおっそろしいぐらい人、出てたので
この落差は大阪と京都の人口差もあるだろうが
やっぱり「敷居が高」く思われてるからかなぁ
何か「一見さんお断り」のイメージの祇園だが
そんなこともなく、安い値段で気楽の飲めるとこかて有るにはある。
ただミナミみたいに、知らん店でも勢いで行ったれ行ったれ
にはならんなぁ・・・

ガラガラの祇園南側を歩いてると丹前着た、恐らく京都本社の
某ゲーム屋か某下着屋の重役らしきオッサンと芸妓らしき
ねぇちゃんが歩いていた。
この街は滅びはしないだろうけど、観光客や一部の「ええし」
だけが需要の博物館みたいな街として保存されていくのかな。
風情は歴史街を歩いている観光客気分であって
そこで結構なお酒をいただくって言う対価としては
仕方ないかと思いつつ、取引先が京都で飲みたいという時だけ
使わせてもらってます、祇園。

ミナミの人間生臭さは、ない。

シメの天ぷら蕎麦が1.800円じゃなぁ・・・