四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

もう誰も逝くな

2012-01-28 10:52:01 | 人間
昨秋から、お悔やみごとが続いて疲れている。
高石ともや&ナターシャーセブンを応援していたkazmaさん
学校の恩師と、知り合いの共通点はバラバラだが
私のコミュニケーション上、忘れえぬ方々には変わりない。

昨日、エンドウマメさんと同じく地元京都在住で
最後の宵々山で初めて顔合わせ出来た、いさおさんが
亡くなったとの一報受けて、がっくりきている。
マメさんも私も彼も同世代、再来月には
じゅんじさんのライブ、楽しみに「予約します」って
ぴんさんにメールしてたやないか・・・

勿論マメさんはじめ、彼ともっと接触していた方々の
焦燥感は私以上に計り知れないと思う。
ここはどうぞご自愛いただきたい。

いさおさんとは一度だけしか会えなかったが
流石同年齢だけに、阪神のマニアックな話をして
盛り上がったなあ、私もともやさんは勿論
フォークル、杉田二郎、諸口あきらと
往年の宵々山を盛り上げた人々に愛着があるし
ズバリク、ハイヤング等近畿放送(こっちのほうが馴染む)
聴いてきた世代なので、またいつかお会いする
機会があれば話に花が咲くだろうと、思ってたのに。


通り過ぎていく人は 帰って来ないはずの人
笑いかけていく人は 明日は消えていく人
言葉の中に 意味はないけど
話しかけて欲しいのは 旅人だけじゃないのさ

(旅人の時代  北山修&加藤和彦)

帰って来ない人、消えていく人・・・
でもね、最後に北山サンつぶやいている。

まだ、死にたくないな   そうだね・・・

そこまでしてグルメライター気取り

2012-01-24 11:30:44 | 人間
近所でおっちゃん、おばちゃん娘さんでやってる
美味いラーメン屋がある。
一杯450円、チャーシューメン550円、大盛りも550円で
地元の客ばかりで、さほど行列にも縁の無い店であったが
昨今の食べログ等のネット情報によって、一見さんが多くなった。
多くなるのは店にとっては良いんだが・・・

こないだ店に来たカップル(20代半ばと見た)はお品書き見て
「えーーーっと、ラーメンひとつ」
二人でひとつ?まあ「一杯のかけそば」の話もありますし
フトコロ寂しいのかもしれないし、知らん顔して
来たチャーシューメン食べようとすると
こっちに指さして「あ、あれに換えてください!」
私が機嫌良ければ「そうやね~~、人の食べてるの見たら
欲しくなる時って、あるよね~~」などと
喋ってあげるが、何かそんな気にもならず。

で、その二人にひとつのチャーシューメン来たら
おもむろにデジカメ出して撮りだした。
多分この二人は今日、京都のラーメン巡りをして
何軒目かなんやろう、それをブログか何かにあげて
感想★★★☆☆ とか書いて。

ブログやネットで紹介するのは、全く構わないが
せめて二人で二杯食べれんかな~~
そんなんで評価低かったら怒るよ(笑)。

さらに機嫌悪かったのは、♂がラーメン食ってる♀の
腰や尻をしきりに触ってたのもカンに触ったんやけど。わはは。

まあ、情報は人と人との直接得た話でないと信用出来ないよ
それも人によるけど。


頑張れ四条大宮

2012-01-21 11:00:27 | 京都
「四条大宮ジャーナル」というブログ名を名乗ってて
最近四条大宮について書かないが、ここは昔京都で1、2を争う
繁華街だったのだ。

西院~大宮間の阪急の地下は関西でも一番早く出来たもので
その昔は大宮駅、阪急京都駅と名乗った時代もあった。
東西は四条通、南北は大宮(後院)通が千本通と交わり
上へ行った西陣の織物関係が賑やかやったころの繁栄は
「上七軒の方が祇園よりお茶屋としては活発やった」
と今も地元の年寄りは言う。
上七軒は北野天満宮の門前に出来たお茶屋街で
八坂神社の前に出来た祇園よりも歴史は古い。

ちょうど朝鮮動乱(S25年~)の頃でしょうか。
繊維関係では「ガチャマン」という言葉があり、
機織り機をガチャンと倒せば一万円転がり込んでくる
そんな俗語が出来るぐらい、ここ大宮~西陣界隈は
旦那衆が景気良く闊歩していた。

やがて阪急は大宮から東、河原町まで延伸し
八坂神社や祇園観光で大宮駅は通過する駅となり
繊維景気も後退、西陣は第一勧銀や住友銀行など
都市銀行も撤退、ATMだけ残して。

それでも往時の名残はそこここに残っている。

西陣の飲食街、朝方まで灯火が残る店もあります。


千本日活、今はエロ映画しかやってませんがたまに行きます(笑)。


喫茶店。ウェイターはじいちゃん、ずっとやってきてるんやろね。


地元の油店、西陣御用達やったらしい。

かなりの店が無くなった今でも、焼肉江畑や、すっぽん大市
天ぷらの天喜などは今も健在であり、一度は行って見たい店だ。

阪急大宮駅にも旧跡でなく今も賑わう、昭和色の強い「寛遊園」という
一角がある。小さな雑居ビル、路地に寿司屋、バー、スナック、オデン屋
どこも10人も入ればキッチキチで、常連でないと入り辛い風情ではあるが
ネット情報が発達して、ここも新規のお客さんがボチボチ来ているらしい。
(ドラマロケで昭和の飲み屋街を撮影されるのに、ここは度々使われる)
私がちょくちょく使わせていただいてる店、ほっこりBar KAJUさん。


JBが鎮座してます。

京都の夜はどうしても河原町、祇園を希望する方々が多いですが
こういった穴場的な場所をクネクネするのも、何に当たるか判らん
楽しみがあってええですよ。観光コースの一考に
四条大宮(もより壬生寺もうすぐ節分祭)~西陣(北野天満宮)は
どないでしょう。

2012-01-17 18:32:00 | 人間
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
ボーヴォワールの一説。

今朝、何気なく胸を触ったら女のような肉厚でびっくりした(←アホ)
ただ肥えてるだけなんやけど。

女性の生態と男性の生態は、同じ人間でありながら全く異なる。
それは出産という大イベントが女のみ乗り越える作業であり
男が体験したいと思っても出来ないことだろう。
また、出産するまでの女性は異性の注目を受けるために
(出産準備の為が第一なのだが)身体に丸みを帯びるようになる。

かたや男の外見はさほど変わりなく、多少筋肉が付くが
「毛」が生える、声変わりがするぐらいで面白くもない。
挑発的な女であれば、シャツのボタンを一つ二つ外して
こちらの泳いでる目を見て笑うとか、わざと乳触らすとか
そんなの中学生の時で居たから、如何に同世代の女が男よりマセてたか。

そんな中にもチョイ悪オヤジが高校生の分際にも
まれに居た。わざわざどこそこのホテルに彼女と行った話を
わしに報告しに来て、プレイ内容とか克明に言うのだ腹立つ。
また、女っ気全然ないよ!てなヤツに彼女がこっそり居たら
えも言えぬ不快感がこみ上げたが、大したこと無い女なら
心を込めてオメデトウと言った(笑)。

大学行ったらちょっとは女とキッカケあるかと言えば、そうでもなく
やっと合コン(昭和60年前後が使われ始めの言葉かな)OKを貰って
映画館の前で男5人立ってたら、向こうから女の子1人で来て
「ゴメンなさい~、今日都合がみんな悪くなってダメになったの」
・・・今ならその女1人捕まえてでもやってたやろうけど(笑)
立ちすくむ残念な男5人は、やむなく居酒屋でヤケ酒あおるのであった。
携帯もメールも無い時代、ほんま女性と会うだけで難関やったのだ。

いざデートと言っても、喫茶店行って他愛も無い話をしながら
相手がどの話で食いついてくるか様子伺いながら。
今では考えられん純粋さやったのだ。

おんな~おんな~おんな~~言うてた時代が実は一番幸せなんかも。
今、彼女の話をしてちゃかされてる学生君とか見ると可愛い
長男は朝の髪型をやたら気にしだして、どうやら好きな子出来たらしい
「お父さんに見せぇや」「お父さんに見せたら終わりやで」家内。
10代20代シャイやった私が50前ではケダモノ呼ばわり
これも時代の流れ、男は・・・オッサンになるのだ!

江戸っ子の初鰹、京の鯖

2012-01-14 14:46:16 | 

若狭、小浜は朽木屋の焼き鯖。
焼き鯖寿司やNHK「ちりとてちん」で有名なって
人気商品になってしまいました。

京都は出町から、若狭小浜まで「鯖街道」と呼ばれる道がある。
昔は小浜から海の無い京都へ、獲れたての鯖に一塩振って
約80kmの街道を走って京都へ着く頃にはちょうど良い塩加減に
なっていた、そんな話がある。

江戸っ子の初鰹ほどメジャーではないが、都人は鯖が好き。
流石鯖街道の起点だけある。
もっとも、鯖寿司ともなると何であれだけ高いんやろう?
と思うぐらい一本三千円とか五千円の値段を取るのが、
京都老舗の鯖寿司はぜんたい高い。

対照的に先ごろ東京・築地で5600万ほどでマグロが
競り落とされたが、この社長は宣伝も兼ねてであろうが
普段の値で客に食わしていた。
これは多分京都人では出来ないだろう、どちらが良い悪いではなく
宵越しの金は持たない、縁起担ぎが好きな江戸っ子の話だ。
一攫千金狙って当たって豪快にやってというバブリーな話は
ミカン船で江戸に乗り込み、財をなした紀伊国屋文左衛門の時代から
ある話で、江戸(東京)で派手にやる話は昨日今日ではない。

京都は決まった相手さんに遊んで、食べてもらって
気に入らへんかったら来てもらわんで結構どす、そんな風潮が
何百年も続いている奇跡の街だ。
もちろん現在では「いちげんさんお断り」は少なくなったが
ホンマのお茶屋とか入れても一度や二度では単なる
観光客の「体験ツアー」であって、地の客人には程遠い。
だから値段云々ぬかす間は、用事ないやろなぁそんな店。

安価で鯖を食べるなら、無愛想な暖簾だけで通り過ぎそうになる上賀茂神社側の
今井食堂は「サバ煮」が旨いが、このようにネット口コミになってから
すぐ混みだす人気店になってしまった。
だから本当に教えたい店は書かない(笑)。

写真は、ちょくちょく食べさせてもらってる店の鯖寿司。
祇園や老舗でなければ、こと値段に関しては良心的なお店は
沢山あります、高いとこで一切れ500~1000円の鯖寿司が
150円~300円くらい、まあそれなら食べてみようかと(笑)。
腹一杯食べる、というよりつまんでは日本酒で鯖の脂を落とす
そんな食べ物です(ここは安い)。

利便性は必要か?

2012-01-10 14:51:13 | 文化

近所の味噌屋、今も樽で量り売りしている。

豆腐屋が通れば鍋を持って走っていって、一丁入れてもらった。
ゴハンは冷や飯をザルに入れて、匂いをかいで喰えるかどうか判断した。
暑い時は水を浴びて寝、寒い冬にはベンジン入れてハクキンカイロ。
便所は汲み取り、夜中は虫が出てきそうで恐怖さえあった。
それでもその当時、不便でたまらん、暑くて死にそう寒くて凍えそう
そこまで思わなかった。

車も当然エアコンは無く、パワステではない重いハンドル
ドアもパワーウインドなどなく、くるくる回して開けて走り
ミッション4速クラッチ踏み甘くギヤ鳴りさせながら
カセットテープはTDK、サザンやスタカン鳴らせば
気分も上々、運転覚えたては少々下手でも
走ること、それだけでも楽しかった。

そう思うと今は過剰に便利なのであって
衣食住生活や車、交通機関は既に昭和40年代ぐらいで
ほぼ出来上がっているのだろう。
その当時のモノをコンパクトにするとか、クオリティ向上させるとか
マイナーチェンジの繰り返しでここまで来た。
新幹線も大阪~東京3時間が2時間半に短縮されてるが
デビューの劇的さに比べると大したものではない
むしろ大好きやった食堂車が無くなって不便に感じる。

実は携帯もネットも便利なのではあるが、それがあることによって
(いい意味で)サボることが出来なくなった人、多いのではないか。
隠れたいのに隠れられない人が居るはずだ。

情報ツールは別として、新しい商品を作ることによって消費を拡大させて
景気を向上させた時代はつまり、昭和で終わっているのかもしれない。
何もかもスピードが向上したお陰で地方の店舗は
いわゆるシャッター通りになり、大型店舗のみ残るが
小売店舗にしか出来ない小回りやサービスを利かして欲しいもの。

例えばネットでの買い物が出来る以前は、電話注文で
買っていた若狭小浜・朽木屋の焼き鯖、今はネット注文が出来
また「焼き鯖」ブームが一時あったこともあり、知れ渡り
今では中々すぐに送られなくなった。

なんか、自分が知ってる店や商品がネットによって
皆に知れ渡るのは、秘密が暴かされるようで悔しい(笑)し
昔と違い、クール宅急便代を取られるので少々高く感じる。
便利は不便の典型だが、地方の小売業は店舗とネットを使って
頑張って欲しい、ネットオンリーは寂しいので一度その店へ、
その土地へ行ってみたいなぁという人のために出来る限りは店舗を
閉めないで欲しい。

凶のち大吉

2012-01-04 10:36:12 | 京都


ここ5年ほどは初詣、伏見稲荷に行ってる。
有名だからとか縁起がええとかではなく、ここが一番
駅から歩いて近いのと、ウチから安い(180円)から行くのだ。
八坂神社でもバスで220円する上に大渋滞だ、ここは電車混むが
わずか4~5分我慢すればええだけなので、今年もお稲荷さん。
ただ毎年空いている朝7時過ぎに行ってるのが、今年はスケジュールが
無かったので(というより昼前まで惰眠をむさぼってたので)
2日の昼過ぎ、めっちゃ混んでる時間に行った。
行列と混雑が死ぬほど嫌いな私にとっては大失態。

コラ!おばはん押すな~~(大体押し入ってくるのはオバハンだ)
小さい子供連れの親も困る、ウチも小さいの居るが
こういう人込みになると危険を感じるので連れて来ない。
こんな状況で将棋倒しにでもなって神社の責任にされてもなあ、と
思ったりする。


賽銭箱の前まで10分かかった。
「家内安全」「商売繁盛」「学業成就」「交通安全」「火の用心」
沢山お願いして45円、毎年しじゅうごえん。ええねん別で買いもんするさかい。

昨年、一昨年と大吉を引いたおみくじ、今年は

え?凶後大吉?なんじゃこりゃ。
40数年おみくじ引いてきて「大凶」も「大吉」も引いたことはあるが
こんな天気予報みたいなの、引いたことがない。
ということは、今年前半は凶なんか?
空は晴れているのに雨がパラパラ降るし
(これを狐の嫁入りとここらでは言うが)
更に稲荷のみくじで狐につままれた気分・・・

それからウチに戻って初風呂行って、サウナと冷水風呂の往復ビンタ
もうビール飲みとうてたまらん!状態に持って行って
新年会の西院「ホルモン くれや」に突入。

男前マスターのお郷、呉から直送の瀬戸内の焼き牡蠣美味し~。
いつもの飲んで喰っての新年スタート
今年も毎日大変やけど、凶のち大吉で頑張ろか!

四度目の年男

2012-01-01 13:56:12 | 家庭

いつもは白っぽいライトアップの京都タワーが
今回の大晦日~元旦にかけてはオレンジ色でした。
被災地への鎮魂をこめて、らしいが中々不気味な色でした
例えば、いつも白いお月さんがたまにこんな色ある時の
不気味さ、というか。暗闇にぼーーっと立ってたって感じ。

12歳の時は大阪(河内)で迎えた。
24歳の時は金沢で迎えた。
36歳の時は京都、3人家族で
そして今年は4人家族でオメデトウ。

12歳の時、36年後なんて想像も出来なかった。
24歳の時はその日しのぐのが精一杯やった
その年の大晦日カウントダウン~三が日はラブホでバイトしていた
1日二万ならやらんと損と、ラブホ泊まりこみ(笑)
皆、正月ぐらいは帰省したいとか遊びたいとか言うが
その当時は、冗談じゃない正月稼ぎ時やんけ~と働きまくった。
金稼がしてくれることなら貪欲に喜んで行った。
大学病院で、検体のホルマリン漬けの管理バイトがあるという
噂を聞いたら真剣に探しもした(都市伝説やったが)。

36歳~今年は、なんかあっちゅう間やった。
結婚して子供持って仕事に追われるということは
それだけ時間の流れに鈍感になるというか
余裕がないんやろうなあ。


次迎える時は還暦だ。それまで生きていればの話、だが
24歳当時の私がどこかに居るなら、今の私を見て
残念がってるかなぁ、どうなんやろう。
(当時と今とで体重差+30kg!)

何はともあれ今年もよろしくです!