四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

予想だにしない笑い

2009-01-31 22:45:23 | 野球
甲子園試合後のインタビュー


「九回にも盗塁を刺しました!
笑いとは、笑わそうとするお笑い以外で予想だにしない笑い
一生懸命やってるのに申し訳ないが笑ってしまうケースがある。
これはその一例、You Tubeでの感想で「伊武雅刀さんと小林克也さんに
ぜひ、やって欲しいですね! 」というのがあったが
まさに的を得ているコメント。
スネークマンショーを彷彿とさせるが、仕込みなしだからね。

当事者の方、ごめんなさい。


乗峯栄一研究・オペックホース

2009-01-27 12:42:34 | 競馬
関西スポニチに異彩を放つ『乗峯栄一の賭け』
今年で18年目の長きに渡って掲載され続けている、関西スポーツ紙でも
古株となってきているが、本尊自身はちっとも重鎮の意識が無く
フレンドリーなのが、非公式ファンサイトを見てもよく伝わってくる。

私が氏の作品と実質初めて遭遇したのは、H6年に発行された
「別冊宝島193 競馬名馬読本2」で
オペックホースを担当したのが氏であった。

昭和55年のダービー後、全敗したこの馬を、氏は越前藩の悪名高き
松平忠直卿と重ねて紹介している。これが私のツボにはまった。
( 競馬名馬読本2を読む機会がある方、是非。これはほんまに面白い)

菊池寛の小説で忠直卿は、家来と剣術の稽古をするが
いつも家来に勝ってしまう。ご機嫌な忠直卿にある日、家来たちが
「わざと負けるのは大変だ」などという声が聞こえてくる。
これでご乱心の殿、次から次へと家来と真剣の稽古を積むが
家来はみなわざと?負けて死んでいく、ついには蟄居の身となる忠直卿。

オペックホースもダービーの後、馬たちが「わざと負けてやった」
の声を聞いてしまい、乱心めされたのか???
という内容である、最近ではダービー後勝てなかった馬で
タヤスツヨシあたりが居るが、オペックは7~8歳まで走っている。
オペック=忠直卿(笑)
他の競馬作家、コラムニスト、競馬ライターが血統やら当たったの
外れたの内容の中、あきらかに異色だった。

それまでもスポニチを読んでいたが、失礼ながら氏のコラムを
流し読みしていた(レッツゴーターキンの天皇賞は同病相哀れむで
私も昏倒しましたが)ことに気づき、もったいないと思った。
(当初4~5年は「新進作家 乗峯栄一の賭け」がタイトルで
いつ新進が抜けるねんと一人ツッコミをしていた)

スポニチの氏が書いているコラムも同様、
文面に割く予想は5%くらいで、あとはオペックのノリであった。
そう、競馬予想紙なんて当たらぬのがほとんどなんで、
面白い文章がないと面白くないのである。
馬柱を参考にして、あくまでファクターとしてしか
予想紙を見ないのは大概の競馬ファンなら当たり前。


先日の日曜関西スポニチで書かれていた
まいど1号→地球から宇宙へ飛び越えていく大変さ→阿南大将の
。「不服のものは自分の屍を越えていけ」→
「この乗峯の予想に不服のものは乗峯の屍を越えていけ」→
きっとドドドと越えていくやろうという関西テーストの
オチまでつくが、この短いコラムで凄い転化である。
シロウトがやると大怪我する内容で、久々にオペックを思い出した。

有名人やチャらい競馬ライターを選択せずに、
本当に競馬が好きな作家を指名した
当時のスポニチ・デスク氏の慧眼もさることながら
マンネリに陥ることなく、今もあのオペックの時と変わらない
洒脱な文章を書き続ける氏の情熱は今も安珍清姫のような
熱いトグロを捲いている。

これからも初心の「純粋な競馬ファンを引きずり込む」
でやっていって欲しいもんです。

もうすぐ春競馬も近づく睦月に 京都にて。

 

金沢の道をたどると②

2009-01-21 16:52:01 | 金沢
ノドグロ。何でこんなに高くなったのか・・・

下宿時代の町からタクシーで10分(昔は歩いていった)
兼六園を通り過ぎていくと、すぐに金沢の繁華街、片町・香林坊だ。
大阪在住の方ならば片町=片町線だが金沢では繁華街を指す。
同じく金沢でキンダイといえば金沢大学のこと、近畿大学ではない。

ここにも昔お世話になった店、さわのがある。

新年のご挨拶程度に済ますつもりが色々ご馳走なりました、
ノドグロは金沢の清酒「天狗舞」がよく合う(禁酒・・・)
その節も今も世話なりっぱなしですいません。
お年賀は薬だけやけど堪忍ね。

その「さわの」から歩いて犀川まで散歩。
街になじむ川の情景は鴨川に似ているが、雪積もってるので
河原に均等に座るカップルなんてぇのはございません。
ま、今の時期は京都も寒いからおらんか。

最後に(まだ行く!!!禁酒わぁぁぁぁ??)
ドイツビール&ソーセージを食べさせてくれる「ぴるぜん」へ。
チェーン店のビアホールと違って、調度品のアイテムが個性的、
ここも学生の時、先輩とさんざ飲んだ店でフェイバリットなのね。
メニュー持ってきた女の子に「ザワークラウトたっぷりね」
とソーセージの注文の際に言うと、てんこもりにしてくれた。うれし。

意外とこの金沢、全国から学生の集まる町で、店のその子も
K大の学生さん、関東から来られているらしい。
住めば都よね。
かくして数年来の夢(チンケな)であった温泉&オデン&
和食&シメにドイツビールを制覇した。
したたか酔いしれて金沢の夜は更けていく・・・

翌朝早々に胸焼けを抑えながら帰京したのは言うまでもなく・・

でもまぁ慌ただしくも充実の一泊二日でした、
金沢お越しの際には、ええところ紹介しまっせ。


金沢の道をたどると①

2009-01-19 16:47:10 | 金沢
金沢。

日中は相手先を回り、夕刻には学生の頃住んでいた
下宿近くの銭湯・石引温泉へ。
なぜゆえに銭湯というと、関西の銭湯と違って金沢の銭湯は
ほとんど温泉が湧いているのだ。
しかも源泉かけ流し。濃い色の湯にどっぷり浸かると
一日の疲れた体が芯から温もります。
金沢市内は意外に銭湯が多く、自らチョイスして銭湯(温泉)と安宿と
美味い店を組み合わせたらちょっとした温泉宿より安く付く。

風呂上り、その銭湯から徒歩3分、湯気を立てたまま懐かしの石引商店街
オデン屋「若葉」
で20数年来の友人と合流。
大きいおでん棚にはダイコン、厚揚げ、ちくわ、コンニャク
玉子、つみれetcの定番はもちろん、
刺身やカニなどあるのも金沢らしい。
学生時代バイトの給料入ったら、食べに来ていたこの店も健在でした。
決して繁華街ではない学生街で、子供も年寄も来る店で
常連さんならナベ持ってきて、そこにオデンを入れてもらってます。

昔は大概食べて2~3000円やったやろか?金沢のオデンは薄味ながら
材料によ~~く出汁染みてホックホク、沢山作るのに濃くならないので
放っとけばナンボでも食べてしまいます。

まずはビール、ハーフ&ハーフ、お後熱燗でいただきました(禁酒は???・・・)
大のオッサンがさんざん食って飲んで10.000円しません。
これを大阪の有名な某オデン屋で食うと・・・・・・

風呂屋、オデン屋、造り酒屋と昔ながらの町内が
変わらないのが嬉しい、時間止まった錯覚を覚える。
食後、雪道をクネクネ散歩。
ついでに昔住んでた坂の上の下宿まで歩いていくと・・・・
あった、あった!私が住んでいた頃で築60年くらいのウチが
今もそのまま!!ここは寺(墓場)の裏で狸が生息してたとこなのだ。
一ヶ月、8畳1間(おばぁちゃんのウチの二階の一室)8000円也。
それが4年間(昭和~平成元年)私に与えられた「城」であった。
今から思うと人生で一番のんきな晴耕雨読の日々を与えてもらったのだ。

その②へ



久々金沢出張

2009-01-16 16:02:42 | 金沢
1年半振りに金沢へ出張
大雪である、がちょーーん

長靴買おうかいな・・・・
最初の頃はスーツに長靴の人を笑ったが
普通の靴は凍みていかん、見場より実用である。

それでも雪の金沢は懐かしい
冬厳しいところは暖かいものが一杯ある。
人、風呂、酒、魚・・・
貧乏学生でも気持ちは裕福だった若い頃を思い出す。


飛梅・子供たちからお年玉

2009-01-13 18:34:56 | 競馬
今年は受験もあり、北野天満宮へお参り
そんなこともあって正月競馬は自粛状態も
PATに2000円ほど残っていたため&禁断症状を堪えきれずに
京都競馬3日・飛梅賞が本年初レースとなった。

スポニチの■のレースで確実な鉄板と穴三頭の運試しである。
馬連ボックスと三連復、どちらも4頭で1000円・・・
何てことはない、3-1-8は子供の誕生日なのだ、
平成10年3月18日。この数字に有力馬が絡むとき、或いは
小額で買うときはよくやる手法だが、宝くじみたいなもん。
当たった試しがありゃしない。


しかし、だ。本命■10が飛んで3-1-8が来てしまった ひー
子供達にあげたお年玉が数倍返しで返ってきた・・・・・・
しかも仕事で縁のある南井厩舎の馬だ。
「飛梅」だけに北野天満宮参りが効いたのか?
翌日メイン東西もこの数字のBOXで買った・・・
こんなんで運使わずに受験で使ってくれー

当たっても絶対ブログに書かない私だが、子供馬券の時は
一度書きたかったのでお許しを。
今度こそ2/8受験終了まで禁酒・禁競馬なのだ。

すべてのわざには時がある

2009-01-10 15:21:48 | マスコミ
Bluebird - McCartney and Wings

しかし、デニー・レインはやる気ないし(笑)。

「すべてのわざには時がある」
聖書の一説である。

喜びも悲しみも生も死も
全ての民に平等なのは「時」である。

今年はこの言葉を念頭において反復していた。

リストラを敢行した会社の人間にも
漢字読めない政治家にも
リストラで困っている人にも
戦闘に抗えない人にも
武器商人にも
時は平等、時には冷淡で 時には輝き。

見えない、暗いというよりもまず
自らの足元から見つめなおすいい時期ではないだろうか?
泥臭い仕事でもいいし、人が酒飲んだり女と寝ているときに
仕事してもいい。
それでも理不尽な闘争に巻き込まれてるかの国よりは
幸せなのだ。

学生の頃、バイトをしていた。
その当時はフリーター(フリーアルバイター)という言葉(カテゴリー)は無く
「バイトくん」だった、深夜の工場、新幹線の売り子、
新聞配達、バーテンetc・・・ バイトは学生がするものやった。
勤める職種に共通点はなく、漠然と金になればいいやと
仕事を求めていた、その先には卒業したら就職して勤めるという
思いがあった。

「フリーター」以降のバイトは、若いうちから達観したスタイルで
今稼いで海外へ行くんだ、あるいは会社の枠にはまりたくないといった
自由な感性が認知?され、拘束されたくないといった人が多くなった。
そういった枠にはまりたくない人たちが今回大変だ。
国が悪いという者も居れば、本人たちが選んだ道ではないかと言う
者も居る、企業も悪けりゃバブルの頃フリーターを煽った
マスコミも悪いだろう。

みんな悪けりゃ自暴自棄になって、昨年の事件の二の舞もあるだろう
そんな時こそ、自らの足元を見つめなおして歩を進めて欲しい
いや、一歩下がってもいいかもしれない。
そのためには仕事をあっせんする政府や役所よりも、話を聞いてくれる
親でも友人でも居て欲しい。

そのひとびとは、一人では生きて来れなかった私の、貴方の原点だから。

幸せのBluebird は案外側にあって、
気づかないのは今も変わらないのかもしれないが
それを探す行動があるやなしやで次の新たな展開が生まれるはずだ。
頑張れみんな、頑張れ、わし。





初・初・初

2009-01-02 16:38:44 | 京都
京都の元旦・二日は雨雪混じり。
本日は初風呂、近所の風呂屋は朝8時から。

ウチ風呂のない時代はもちろん、ある現代でも
初風呂は楽しみ、長男坊主に昨日から「明日朝、行くで」
と宣言しておいて、今朝たたき起こして行った。

近所の風呂屋は昔ながらのベーシックな設備しかない。
サウナ・薬湯はないが、風呂の湯が熱い。
江戸っ子の私は(嘘)この熱さが気持ち良い。
熱い風呂⇔冷水風呂の往復3回で風邪知らず、
まわりに健康ランドみたいなでっかい風呂屋が出来てるが
京都でやってる個人経営の銭湯さん
負けずに頑張っていただきたい、中央湯さん!

今年の我が家は人口増えて初の四人で迎える正月
にぎやかしいが、次男がまだ小さいので家族そろって
出歩くことは不可能、せいぜい近所のジャスコ行く位だが
ジャスコでも初売り福袋求めて行列が並んでいた。
この福袋でいい思い出がない・・・

独身の頃、紳士服売り場の福袋を買った覚えがあるが
そのそれは明らかに在庫処分に詰めまくったというシロモノやった。
虹色のニット帽(わしはマーヴィンゲイか)
べっ甲のタイピン・カフスボタン
桃色ネクタイ
茶色のベスト
漫才コンビにあげたいわ。

とにかく数は多かった、10点以上あった。
それがトラウマとなって未だに福袋買えない・・・
ええもん入ってた人は教えてください。

明日は北野天満宮へ初詣、受験も控えた初春である。