世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-09-10 07:45:33 | 月の世の物語・余編

「どうして、ぼくに、そんなにいれこんでくれるんですか?」とジョン・レインウォーターは言いました。彼はぺったりとした黒髪をした、四十前後の男で、背は低く少し太っておりましたが、髪や髭や服などをそれらしくすれば、偉いホビットのようにも見えるような、どこか不思議な雰囲気がありました。それはどういうことかというと、何か、彼の奥に、大切な宝物か、使命を秘められているかのような、強い光を感じるのです。

アーヴィン・ハットンは、田舎町にあるジョンの小さな家の中で、香りのいいお茶をごちそうになりながら、熱い声で言うのでした。
「それはもちろん、ぼくが、あなたの作品をすばらしいと思うからです。ぜひ、弊社から出版してみたい。編集長はなかなかOKをくれないんですが、ぼくはがんばってみたい。あなたの、この今回の作品、読んでみたけど、これは絶対、多くの人に読んでもらうべきです。『燃える月』。悪魔の小人が火をつけて燃やし始めた月の光と命を、小さな小鳥と少年が助けに行く。構想と言い、発想と言い、思いがけない展開といい、すごいと思うんだ。読む者を吸い込んでゆく。筆力とはこういうものかと思う」

それを聞くと、ジョン・レインウォーターは、恥ずかしそうに頭をかき、申し訳なさそうに笑いました。「そんな風にほめてもらうと、返って恥ずかしいです。確かにぼくは、自分には力があると思うことがある。若い頃は、しゃかりきになって自分の作品を出版社に売り込みに行ったこともあるけれど、今は、こんなぼくは、外に出ちゃいけないような気がするんです」
「それは、なぜです?」アーヴィンが問うと、ジョンは悲しそうに笑いました。「こんなこというと、気がおかしいのかって言われるから、ずっと黙っていたのですけど、ぼくはもう、地球と言う世界はなくなっているような気がするんです。テレビなどで、いろんな人がしゃべったり、楽しそうに笑ってたりするけれど、みんな嘘に見える。本当はもう、地球はなくなっていて、みんな死んでいるのに、生きてるつもりで、幽霊になって滅んでしまった世界の幻の中にいるんじゃないかって。ぼくは、児童小説を書くのは好きだけど、こんな世界で派手なステータスは欲しくない。田舎で、ひっそりと書いて、分かってくれる人だけに読んでもらえれば…」

ジョンの言葉に、アーヴィンはしばし、黙りこみました。彼のいうことに、真実があると言う気がするからです。本を出しても、この人は、売れない方がいい。そんな気さえする。下手に売れてしまえば、彼はいろいろなものに利用されて、その才も人生も何もかもをつぶされてしまうかもしれない…。

「ありがとうございます。ハットンさん。今のところ、ぼくの書いたものを理解してくれる出版社の方はあなたくらいだ」ジョンはアーヴィンに笑顔でお礼をいいながら、手をさしのべ、握手を求めました。アーヴィンは握手に答えながら、悲しみに詰まる胸が石のように重くなるのを感じました。

アーヴィン・ハットンは、ジョンに別れを言って家を出ると、タクシーに乗って空港に向かい、空港から飛行機に乗り換えました。飛行機の中で、彼はまだ預かっているジョンの作品のコピーファイルを改めて読みました。

「コール・ネクスターは、洞窟の外に出ると、ふと空から光るものが落ちてくるのに気がつきました。はじめ、それは蛍か、雪かと思いましたが、よく見るとそれは赤く光っていて、地面に落ちると乾いた草に火をつけ、火は光る虫のように歩いてじりじりと草を焼いていくのです。
『火だ、火が降っている!』コールは叫びながら上を見ました。そしてあんぐりと口を開けました。月が、太陽のように燃えていて、そこから火の粉がたくさん落ちてきていたのです。」

アーヴィンはふっとため息をつき、ファイルを閉じました。(いいものなんだ。これはとてもいいものなんだ。もっと多くの人に読んでもらうべきだ。なのになぜ、それを分かってくれる人が、こんなに少ないんだろう。ぼくが間違ってるのか?でも、ダナ・フレッカーのクマの子シリーズより、内容も言葉もずっといい。どうすれば、本当にいいものを、人々に読んでもらうことができるんだろう?)アーヴィンは窓の向こうの白い雲の原を見ながら、思いました。

休日を利用しての日帰り訪問だったので、次の日の朝出社するとき、疲れの残った体が、重く感じられました。アーヴィンは編集室に入ると、皆に挨拶をし自分の机にカバンを置くや、編集長を捕まえて、ジョン・レインウォーターの話をしました。すると編集長は、見るからに機嫌が悪そうに彼を振り返り、唾を吐くように言ったのです。

「いいかげんもうやめろ。この業界は甘くない。ド田舎の素人の相手をする暇はないんだ。今は人気筋のダナ・フレッカーを中心に押していくんだ」「でも、一度でいいから、ジョンの作品を読んでくれませんか。一度でも読んで下されば、彼のすごさがわかると思うんです」アーヴィンは食い下がりました。すると編集長は今度は声を張り上げ、怒りに燃えたゴブリンのような形相で彼に怒鳴りつけたのです。「やめろといったろうが!」

それを聞いたアーヴィンは、柱のように茫然と立ち尽くし、どさりと持っていたコピーの束を落としました。くすくすと、編集室の中から笑い声が起こりました。アーヴィンは、氷に包まれたような寒さを感じながら、足元に落ちた、ジョン・レインウォーターの物語を拾いました。(コール・ネクスターは、背中の弓と矢を取り、すばやくかまえました。とうとう、見つけたのです。あの白い月を燃やした小人、オンネライコントルの、白狐のようなしっぽを!)アーヴィンの頭の中で、最終章の一節が、しばしの間、歌のように繰り返し流れていました。

仕事を終え、自宅のアパートに帰ってくると、疲れがどっと彼を押しつぶし、彼はスーツを着たままベッドの上に横たわり、そのまま寝込んでしまいました。時がたち、ふと目を覚ますと、壁の時計は午前二時を指していました。空腹を感じたので、アーヴィンはキッチンの棚からクラッカーを取り出し、それにジャムを付けて食べました。少し冷え過ぎた缶コーヒーを飲むと、目からぬるい涙が流れるのを感じました。

そうして、またベッドに座ってほっと息をつくと、ふと、彼は、自室の書棚にある本が、ひらりと光って、自分を呼んだような気がしました。彼は何かに導かれるように、ベッドを離れて、書棚の方に向かいました。光っていたのは、シノザキ・ジュウの新しい詩集でした。いつかまた訳そうと思いながらも、最近はジョン・レインウォーターのことで頭がいっぱいで、詩集をろくに開いてもいなかったことを、彼は今思い出しました。彼はジュウの詩集を開きました。アーヴィンの言語力はもうよほど高くなっており、苦労して訳さなくても、だいたい原語で読めるようになっていました。

白雪のごとく麗しき駿馬の風に踊るたてがみを見よ。
それはあなた自身である。
星々の祝福の金の音の鳴るを、その貝の耳を開きて聞くがよい。
私とはすばらしいものである。
すべては愛である。
神が、すべての愛が、待ち焦がれていたその時が、とうとうやってくる。
人々よ、鍵を左に回しなさい

とたんに、アーヴィンは本の奥から強い風が吹き、自分の頬を思い切り叩かれたかのようなショックを受けました。目を見開くと、涙がぽたぽたと本の上に落ちました。
「あ、ああ…?」
何か燃える火の塊のようなものが、自分の中に投げ込まれ、瞬間、自分が爆発したような気がしました。凍った沈黙の姿のままに、割れんばかりに魂が叫んでいました。そしてアーヴィンには、ジュウの言いたいことがいっぺんにわかりました。熱いエネルギィが全身を満たし、自分の輪郭が強く光を放つように厚くなったような気がしました。彼は、生きている自分を発見しました。それはあまりにも簡単でありながら奇跡的な邂逅でありました。そして彼は自分の意志で振り向き、自分の意志で窓を開け、自分の意志で窓の外を見ました。空には、レモンの形をした月がありました。月にかすかに照らされた家並みがまるで灰色の荒野のようにうっすらと浮かんで見えます。アーヴィンは魂が歓喜に震えているのを感じながら、空を見あげ、踊るように片手を振りあげ、指で天を指しながら、喉を殺して叫んだのです。

「わたし、わたし、わたしとは、すばらしいものである…!」

その三週間後、彼は、ある川沿いの公園で、ドラゴンと会う約束をしました。
「やあ、ひさしぶり。どうした、ちょっとやせたんじゃないか、アーヴィン」ドラゴンが言いながら公園のベンチの彼の隣に座ると、アーヴィンは少し笑いながら、言いました。「うん、ちょっとね、一週間ばかり、ろくに寝なかったことがあって、少し体調を崩したんだ」「大丈夫なのか?」「ああ、医者に薬をもらったし。大したことはない。ちょっとがんばりすぎただけだ」「がんばりすぎたって?」「うん、これさ」
そう言って、アーヴィンは、一冊のファイルをドラゴンに渡しました。
「ジュウの新しい詩集の訳詩だ。訳すのに夢中でろくに寝なかったら、ちょっと病気になった。おまけに無断欠勤までして、会社をクビになったよ」それを聞いたドラゴンは、目を見開いて驚きました。
「おい…、どうしたんだ?アーヴィン」
「ドラゴン!!」

突然、アーヴィンが叫ぶようにドラゴンの名を呼びました。公園にいた人が何人か振り向きましたが、ドラゴンは気付きませんでした。アーヴィンの表情があまりに真剣だったからです。
「それ、ジュウの詩集、全部読んでくれ、君ならわかると思う、絶対に」
ドラゴンは、言われるまま、アーヴィンの渡したファイルを、おそるおそる、開きました。思った通り、紙が燃えるように白く光り、自分の顔を焼くのを感じました。


人なるもの、人なるもの、なせしことのすべては、かよわきその背骨の、風にも揺らぐを隠し、おどけた道化の顔をして、王を殺して自らを王にせんとした。
他人の左腕のすりむいた傷を開き、毒を流しこんで殺した。ああ、どのような小さな陰も染みも見逃さず、人を辱め、おまえなど要らぬものだと言って、全てを下らぬ阿呆にして、自らのみを貴きとした。

人なるものよ、父の胸の銀の壺を壊し、故郷を遠く離れ、荒野に虹で幻の町を描いた。全ての人に、ローマの市民となるために、人を殺せと命じた。楽園に似せて作った町は、今草原の中に、白い柱を横たえて、遠い幻の白骨として、風の音を聞いている。

そこに永遠の幸福はあったか。なかった。なぜならばそれは正しくなかったからだ。愛ではなかったからだ。愛ではないものは、どのような嘘を用いてきらびやかにつくりあげようとも、いずれは虚無の風に冷え、薔薇の根の腐り萎えて行くように、月日の水の中に溶けてゆく。

時が来た。鍵を左に回せ。人々よ。もうお前たちは子どもではない。

美しいものは美しく、正しいものは正しくなる。虚無の風を脱ぎ、耳をすませ若き人よ。帰るべき故郷の声が、波のごとく繰り返し君の耳を洗う。沈黙する星の凍りついた涙を溶かし、いと高き愛を求め、帰って来なさい。


ドラゴンは突然左手に激痛を感じました。慌ててファイルから左手を離すと、手の真ん中に残っていた火傷の痕が、赤く光っていました。アーヴィンが言いました。

「わかった。ぼくには、ジュウのしようとしていることが」
「どうしたんだ?アーヴィン」
「ドラゴン、ぼくと一緒に、出版社を作らないか?」
突然アーヴィンが言ったので、ドラゴンは少し呆気にとられて、アーヴィンの顔を見返しました。
「真実の本を出したいんだ。売れる本じゃなくて。嘘っぱちばかり書いてある本じゃなくて、本物の、本物の本を、ぼくは出したい!」
「ちょっとまってくれ、アーヴィン」
「ぼくにはわかる。君は運命の人なんだ。レモン会社の営業マンなんかじゃない。君がいたら、君さえいてくれたら、ぼくはなんでもできる」
そういうとアーヴィンは眼鏡を外し、ドラゴンにずいと自分の顔を近付けると、言ったのです。

「ドラゴン…、ジュウは、シノザキ・ジュウは、人類を、救おうと、しているんだよ…!」

アーヴィンが、喉のかすれた声で、小さく言った言葉に、ドラゴンは瞬時に、自分の中にあった何かの塊を砕かれたような気がしました。左手の傷がまるで生きているように、ずくずくと震えました。
ふと何かを感じて、彼の目は、アーヴィンの頭上にある青い空に流れました。彼は目を見開きました。

何かが、何かが、降りてくる! …ドラゴンは胸の中で叫びました。青空にある白い大きな雲の中から、透明な人の姿をしたものが、まるで雪が降るように、たくさん地上に降りて来るのが見えるのです。何だ?何が起こっているのだ?ドラゴンは混乱しました。空から降ってくる透明な人間は、ゆっくりと地上に降りてくると、そのまま風の中に溶けて消えて行きました。ドラゴンは周囲を見回しました。川辺の公園にはたくさんの人がいましたが、別に何かに驚く様子もなく、彼が見たことに気付いた人はいないようでした。ふと、一陣の風が起こり、彼の耳に熱いものを吹きこんでいきました。ドラゴンは目をつぶりました。すると瞼の裏に一瞬、青い太陽が二つ光るのを見たような気がしました。そして彼の頭の中で、誰かの声が重く響き、一つの詩をささやきました。

人なるもの、人なるもの、
神の壺をひっくり返し、
真の珠玉を割りてかすめ盗り、
神の衣を着て偽りのラッパを吹き鳴らし、
古納屋の地下の闇で金を数える者よ。
おまえが何に挑戦したのかを、
思い知る時がとうとうやってくる。

「ドラゴン!」アーヴィンの声がドラゴンの耳に刺さり、ドラゴンははっと我に戻りました。アーヴィンの真剣なまなざしが彼の青い目を吸い込むように見ていました。彼はどこかで、何かのスイッチが切り変わり、目に見える世界が、急に変わったような気がしました。そしてあの声は、彼の頭の中でもう一度、言いました。

時は来た。おまえが始まる。


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