
もうすぐ、夏休みも終わりですね。
これは、末っ子四男坊の夏休みの宿題です。「美しい心」みごとなできなので、冷蔵庫に飾ってくれました。ああ、わたしはこれを見て、ほんとうにいいなあと思って、あ、いいねえ、と言いました。
え?一画足らない?やっぱりそう思うでしょうね。でもね、わたしは、この「美しい心」に、本当に美しい心を感じたので、そんなの、どうでもいいと思ったのです。だって、この「美しい心」は、ほんものの「美しい心」だったからです。本当にきれいなんです。「美しい心」が、真実のことばになって書かれていることのほうが、一画足らないことよりずっと大切だと感じたのです。この作品は、本当に、「美しい心」なんです。
でも人はやっぱり、一画足りないっていうだろうなあ、とも、思いました。きっと心が、見えないから。そしてやっぱり、思った通り、夫が末っ子に、一画足らないことを教えたらしく、冷蔵庫に飾られていた「美しい心」は、いつの間にかなくなり、四つに折られて、捨てられてしまいました。残念だな。仕方ないことだとは、思っていますけれどね。
でもこうして、写真に残しているから、いいでしょう。捨てられてしまった美しい心、ちゃんとここにあるから。大人になって末っ子がこれを見たら、どう思うかな。本当に、美しい心が見えたっていう、この母の気持ちを、わかってくれるかな。
きっと今は、誰にもわかってもらえない。いえ、もしかしたらわかる人、いるでしょうか。この字の中に住んでいる、ほんとうの美しい心。見える人、いるでしょうか。