
ユリ科ユリ属。Lilium longiflorum
奄美、沖縄諸島が原産。九州、四国の一部で野生化しているそうですが、うちの近所でも、あちこちの空き地で、雑草に混じって咲いてます。アスファルトの隙間に根を下ろして、少しこわばりながら咲いている花もあります。
暑さでストレスがたまりがちなときは、更新の回数が増えます。ごめんなさいね。ネタが満載なもので、待ちきれなくて書いてしまうってこともあるんですが。
これ、正直に言って、わかるものもわからないものもあるでしょう。ランタナやつげ、ハマボウなどは、けっこうわかりやすいんですが、バラや、ゆり、つゆくさなどは、わかりにくいと思います。自閉症の詩人くらいしかわからない花は、たくさんありますが、ガザニアなどになると、わたしにもわかりにくいです。ガザニアに心寄せて、話を聴こうとすると、あなたにはまだわからないと、つっぱねられてしまう。花には、かなり、人間にはわからない高度なことを話しているものもあるようです。
テッポウユリは、ほんとは、この世界が苦手です。嘘がいやというわけではない。きれいに咲けないのがいやなのです。白いユリは、ほんとうに、澄み渡るように美しく、純粋に白くありたい。けれどもこの世界でそれができることは、とてもまれなのです。
ユリは咲いても、すぐに汚れてしまう。形が崩れてしまう。それがユリには恥ずかしい。苦しい。ユリの仕事は、純粋に白く、清らかにあることなのに、それがこの世界では、不可能に近いのです。
ではなぜ、ユリはこの世界に咲いているのでしょう。それは、人間がそれを必要とするからです。純真に白く美しいものの存在を、心のどこかでいつもほしがっているからです。その象徴として、ユリにこの世界に生きていてほしい。ユリの存在があれば、純真に白く清らかなものの存在を、人間は感じることができる。
人間にはそれが必要だとわかったとき、ユリは、汚れてしまうからと、咲かないでいるわけにはいかないのです。たとえ汚れてしまうことがわかっていても、咲かなければ。咲かなければ、つらい。それが、ユリの、純真さなのです。
ユリの、美しさなのです。
彼女はユリみたいだな…と思うことあります。
「形が崩れてしまう」としても、人の心の中にはそれに似た何かが存在している気がします。
でも、自分の心の中にあっても、それは自分のものではなくて……人類共通に持っている「畏敬の念」で、常に遠くにある。
そういう遠くにあってつかめないものは、すぐ、人間って忘れちゃうから、時々生活の中で出会う様に、神様が「ユリ」としてこの世に生み出してくれたのでしょうかね。
あらゆるものが、人間に教えてくれている。目に見えないものの中に、真実がある。
「畏敬の念」というものは、遠くでなくて、たいていの場合、すぐ後ろにあります。人間は、頭にめがねをかけたまま、めがねを探してるっぽいことを、よくやってます。大切なものは、いつも、すぐそばでささやいている。