世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-03-27 07:14:49 | 月の世の物語・上部編

「ふぃゆ」と、上部人はつぶやき、一息、口から風を吐いた。むん、彼は熟考した。はたしてやってみるべきかどうか。やってみても、結果は見えていることだが、あえてやってみることも、よいかもしれない。と彼は思ったが、一方で、また同じ結果を見るだけだという思いもあった。実験は、何度やっても同じだ。この幻想の魔法実験は、いつも同じ結末に落ちる。

「お、るぃ」、彼はまたつぶやいた。…しかし、真実を何度も見るのは、そう悪いことでもない。なぜこれを、度々わたしがやりたいと思うのか、そこに、何を求めているのか、本当はそれこそが、大事な問題なのかもしれない。彼はやはり、過去に何度も繰り返した実験を、もう一度、試みてみることにした。

「いゅ」彼は言うと、杖を振り、風を一息、糸のように巻き込んだ。大地は、青い鋼でできていた。空は、月のない鉄紺のはてしない虚空だった。星もなかった。暗闇の中で彼は自ら光を放ち、世界でただ一つの星のように、燃えていた。彼は杖に巻き込んだ風を、ふわりと青い玉に巻き、呪文でそれを燃やして、小さな白い月を作り、風の上に放った。小さな白い月は、鋼の大地の一隅を、青白く照らした。

その次に彼は、ある呪文と唱えた。「ないはずの大地よ、あれ」という意味の呪文だった。すると、小さな白い月の下に、透き通るはずのない黒曜石の、透き通った絹のようなひとひらの大地が、幻のように浮かんだ。それは、あるはずのないものを、あるとして仮定して、強引にこの世界に創りだしたものだった。それは存在するはずのないものだが、仮にあるものとして、一時、呪文によって、創られたのだが、本当は、創られてはいなかった。つまりは、創ったのだが、本当は創っていないのだ。あるはずのない、ものだからだ。しかし、それはあるものでなければならなかったので、仮にあるとして、そこに出現したのであった。だが、本当は、ないものなのだ。しかし、それをあるとしていなければならない、そういうものであった。だからそれは、実際に、目で見ることはできた。

上部人は、ひとひらの、ないはずの大地の上に、呪文で光の柱を立て、何本かの青い竹を創った。竹は、ないはずの大地の上に次々と現れ、いつしか青くしなやかな美しい竹の林となった。竹林は、彼が創りだしたひとときの白い月の光の下、それは美しく、清らかに、青く盛り上がった。んりぃ、と彼は言った。…おお、まさに、幻想的だ。美しい。さて、これから、何を試みてみようか。

彼はまた、杖で風を呼び、それを指でよじって、小さな光の糸を作り、呪文を吹きこんで、一匹の白いトンボを作った。そしてそのトンボを、竹林の中に放ってみた。彼はもう一度、風を呼び、またトンボを作った。またそれを竹林に放った。そうして彼は、同じような魔法を繰り返し、ほかにも、バッタや、タマムシや、透き通ったカゲロウなどを、何匹も作り、竹の森に放った。また、風に火を燃やして、黄金色の小さな花を、竹の根元に散らしたりもした。そうやって彼は、着々と、ないはずの大地の上に、美しい竹林の世界を創り上げていった。

水晶のような風が吹き、竹林を通り過ぎていった。涼やかな青い竹の香りが満ちた。やがて竹林の奥で、小鳥が歌い始めた。夜啼き鳥であった。また、影の中をすべる、瑪瑙の縞のような青いトカゲも現れた。それは黒水晶の小さな目に、月の光を宿して、竹林の影の中を、かすかな光の糸のようにもつれうごめいた。真珠を水に溶かしてその水面を切り取ったかのような、虹色につやめいた白い蛾が、花のように風に飛んだ。白い月の光は、竹林の中に透き通った布のように降り注いだ。竹林は、それはそれはみごとな、美しい世界となった。何もかもが、愛の光の元、つつましやかに命を営み、華麗にも端正な神の歌を語り始めた。

ゅる、上部人は目を細めながら言った。ほむ、と言った。彼は常に杖を揺らしながら魔法を行い、その大地の基盤を支えつつ、小さな竹林を創り続けた。竹林の中では、不思議な生と死の輪廻が繰り返され、静かな繁殖と殺戮が起こっていた。命は喜びと悲しみを味わった。それらの声は切なく、胸に響くものがあった。愛は幻想のような白い月から降り注いだ。そうして、光と影の彩なす見事な竹林の世界を、彼は魔法で織り続け、同時に大地の基盤を支え続けた。時々、魔法をする杖をもつ手に、氷のささるような痛みが走った。彼はそれに耐えて、魔法を続け、大地を支え続けた。しかし、痛みはどんどんと激しくなった。杖が、鉛のように重くなり、持っていられないほどになった。だが、彼は持てる力を振り絞ってそれを持ち上げ、骨にきしる痛みに耐えながら、魔法を行い、大地を支え続けた。竹林は在り続けた。多くの虫やトカゲや蛇や小鳥が、その中で動いていた。凄惨な死があった。幸福な誕生があった。月がすべてを許し、愛をふりまき、抱きしめた。あまりにも美しい世界だった。

上部人は、鉛よりも重くなった杖を、かろうじて両手で支え、呪文を唱えつつ、魔法で大地を支え続けた。どれほどの時間が経ったか、やがて、月が、ふと、陰った。う、と上部人は言った。月が、気付いた、という意味だった。彼は顔を歪めた。杖を持つ腕が、もう千切れそうだった。呪文を唱える声も、途切れがちになり、喉がかすれ、やがて、舌も凍りついた。彼はとうとう、ごとり、と杖を鋼の大地の上に落とした。それと同時に、あるはずのないものをあるとして仮定して創った、透き通るはずのない黒曜石の透き通った大地が、消えた。すると、あれほど、あでやかにも清らかに美しかった青い竹林の世界が、一斉に砂のように崩れ、霧のように砕け散った。そして、すべてが灰となって鋼の大地の上に流れ落ちたと思うと、一瞬、それは青白い光の炎をあげ、すぐに風に溶けて、消えてしまった。後には、何も残らなかった。ただ、小さな白い月だけが虚空に浮かび、静かに光っていた。

つぅ、と上部人は言った。やはり同じか、という意味だった。幻想の虚数魔法実験は、いつも同じ結果になる。常に、ないはずの大地をあると仮定する虚数の魔法を行っていなければ、どんな創造を行っても、すぐにすべてが無に帰する。だが、その仮定の魔法を、永遠にも似た長い時間を行っていくことは、少なくとも、自分にとっては、不可能だ。ないはずのものを、無理にあるとして行う創造は、結果的に、こうならざるを得ない。どんな大数にも、0をかければ全てが無に帰するように、大地があるはずのないものであれば、その上にある何もかもが、無いことになるのだ。

「ひ、みゅ、ぃ」彼は、無理な魔法を長い時間行って強い疲労を覚え、大地の上に腰をおろしながら言った。…一体なぜ、わたしはこうまでして、何度もこの実験を続けるのか、人類よ、おまえたちが悲しすぎるせいなのか。彼はしばし腰を鋼の大地に預け、白い月を消し、自らの光も消し、闇の中に溶けていくようにして、自分を抱えた。時々耳に忍び込む自分のため息は、まるで自分のものではないように聞こえた。悲哀は氷のように胸の中に凍えた。孤独の眠りに、彼はしばし目を閉じた。風が彼の額を、冷たく濡らした。時が過ぎた。

「くゅ」…ここにいたか。誰かの声が、上から落ちてきた。上部人が目をあげると、光をまとって、黒い髪と髭の聖者の姿をした上部人が、上空から自分のところに向かって降りてくるところだった。聖者の姿をした上部人は、鋼の大地に腰を下ろした上部人のすぐそばに降り立ち、挨拶をすると、しばし、ふたりで会話を交わした。

「るり」「てゅ、に」「ほみ」…
「交代の時間だが、疲れているか?」「いや、そうでもない。もうそんなに時間が経ったのか」「また例の実験をやっていたのか?何度やっても同じだろうに」「ああ、わかっては、いるのだが…」「君の気持が、理解できないわけではない。君にとっては、悲しすぎるのだろう、この真実が。それは、実に君らしいことだと、わたしは思う」「君の理解に感謝する。交代しよう」…

腰をおろしていた上部人は、立ち上がり、黒髭の聖者の姿をした上部人と、杖を重ね合わせた。すると、またたく間に、二人の姿が変わった。虚数実験を行っていた上部人は、飛んできた黒髭の聖者と、全く同じ黒髭の聖者の姿となり、代わりに、黒髭の聖者の姿だった上部人が、元の上部人の姿に戻った。彼らは、二人で、一人の聖者の姿を共有していた。そして、その姿で日照界に降り、若者たちの指導をするのが、今の彼らの大切な仕事のひとつであった。

「の、ゆぇ」…虚数の魔法は、体力を消耗する。本当に疲れてはいないか。無理をすることはない。引き続き、わたしがやってもいいが。「るち、る」…だいじょうぶだ。心配することはない。大事な弟子を放っておくわけにはいかない。「にに」「きと」「いふ」…

「今回は、何を創ったのだ、一体」「竹林を創ってみた。実に美しいものができた。だが、結果はいつもの通りだった」「すべて無に帰したか」「ああ、虚数の大地は、常に魔法を行って支えていないとすぐに消滅する。その上に、どんなすばらしいものを創造しても、大地を支える魔法が続かなくなると、みな塵と消える。いや、塵さえ残らない」「そう。だが、人類は、そういうことを今、実際やっているのだ」「ああ、そうだ。何万年と、同じことを繰り返している」「あるはずのない大地の上に、世界を作り続けている…」

「とぅい、とぅい、むえ、のる、ひ」黒髭の聖者の姿となった上部人が、ため息とともに、何もない鉄紺の空を見上げながら言った。…神よ、神よ、あなたは、今も、あの、重い魔法を、行い続けているのですか。人類を助けるために。虚数でできた、存在しない大地を、あるものとして支える、あの千本の指が奏でる音楽のように繊細な呪文と、長く重い忍耐の要る、恐ろしく困難な魔法を。地球と言う、壮大なる世界で。あまりにも、長い、長い時を。あなたには、それができるのだ。なんと、美しいのだろう。なんと、大きいのだろう。そしてそれは、どんなにか、悲しいことだろう…。

すると、それに答えるように、もう一人の上部人が、ある一つの詩の音韻をささやいた。「しき、いぇ」…登る者は、死ぬ。下る者は、生きる。

「しき、いぇ」黒髭の聖者の姿となった上部人もそれを繰り返した。そして悲しげに視線を大地に落とした。人類はまだ、虚数の大地の上に自ら築いた、幻の砂の山を登り続けている。その先に何があるかさえ、知らずに。あのまま登り続けていれば、いつかは、全てが無に帰する時が来る。その前に、なんとかしなければ、ならない。そう思うと、彼は、何かに焦る気持ちに、自らの魂を焼かれるような思いがしたが、深いため息でそれを吐き、平静を取り戻した。

「い」…では、行ってくる、と彼は静かに言った。もうひとりの上部人は答えた。「とる、ぃ、しゅ」…ああ、今はそうしたまえ。だが、君の思いを、神は知っている。何かのお導きがあるだろう。わたしも、君と心をともにする。きっと、そう遠くない未来、今まで君の試みてきたことのすべてを、役に立てねばならぬことを、君はせねばならぬだろう。「いむ」…ああ、ぜひ、そうであってほしい。

黒髭の聖者は、友人に別れを告げると、ふわりと大地から飛び上がった。疲れは残っていたが、仕事のためには、それを問題視することはできなかった。彼は空を飛びながら、再び言った。

「しき、いぇ」…登る者は、死ぬ。下る者は、生きる。
それは、遠いはるかな昔から、上部に伝えられてきた、神より持たされた詩のことばだった。そのことばを、聖者たちは常に、見えないところから人類に語り続けてきた。しかしその真の意を、魂の感性の中に受け取る人間は、ほとんどいなかった。そして今も、人類は登り続けている。あるはずのない、虚数の山を。

わたしも、やらねばならぬ。いつかは。この胸に焼けつく思いのすべてをぶつける、何かを。神の愛のために。そして、人類を、あの幻の虚数の山から、下ろすために。

鉄紺の空が、やがて青みを帯びてきたかと思うと、不意に空に白い月が点った。首府の光が、地平線の向こうに見えてきた。黒髭の聖者は、風に乗って首府に飛んで来ると、そこから日照界に降りていった。光に満ちる日の都が眼下に見えてきた。彼は空を下りながら呪文を唱え、言語を切り替えた。風に彼の灰色の衣服がはためき、それはかすかに、竹林の青い香りを放った。


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