少年は、豆のさやのような形をした船に乗って、雲の上を羽のように軽く飛んでおりました。そこは、月の世をよほど離れたところで、深緑色をした空には太陽も月もなく、ただ変わった形をした星座が天頂にあって、それが電球のように世界を照らしていました。
「やあ、おばあさん」少年は船をある岩山の洞窟の前に止め、笑いながら、洞窟の入り口に座っている老婆に声をかけました。老婆は、魚と人間の真ん中のような顔をしており、長く裾をひいた白い服の下には、鱗におおわれた体を隠していました。何かはわかりませんが、彼女は何万年の昔の古い罪を持っていて、永遠の長いときを、ここで暮らしていなければならないそうでした。
「このまえ頼んだもの、できてますか?」少年は老婆に聞きました。老婆は、風にかすれた声で言いました。「頼まれたのは…、いつだっけね?」
「二百四十二年前です。お役所のしるしをお預けしてるはずなんですけど」
「ちょっとお待ち、探してくるから」そういうと老婆は、岩穴の奥に姿を消しました。少年は船に乗ったまま、しばらく待つことにしました。
少年はかけていた眼鏡をはずし、周りの風景を見まわしました。大地に一面綿のように敷かれた雲の上に、たくさんの岩山が、筍のように突き出していました。風にはかすかに薬香のような匂いがしました。
「このまえきたときと、ほとんど同じだなあ」少年は風景を見ながら言いました。
岩山はたくさんありましたが、その中で岩の色が微妙に違うものが五つありました。その五つのうちのひとつは、深緑の空の中に、巨大な船のように浮かんでいました。それは、松かさのような形をした、山のように大きな魚でした。全身は灰緑色で、岩を柔らかくした大きな胸びれや尾びれを蝶のように揺らし、動くたびに岩のきしむ音を空に響かせながら、山々の上をゆっくりと泳いでいました。
目は、頭の上に突き出した角のような突起の上に、ただ一つあり、それが星のように光って、くるくる回っておりました。あの光る目は、なんでも見ており、魚は、どこの世界のどんな小さなことでも知っているそうでした。
そんな恐ろしく深い知恵を持つ賢い魚が、ここには五匹いるのですが、今は他の四匹は山となって眠っており、あと一億年くらいせねば目を覚まさないと言われていました。
「あったよ、これだったかね」老婆は岩穴の奥から、猫の頭ほどの大きさの青い水晶をもってきました。その水晶の中では、複雑に組まれた古い時代の金の文字が、三つほど浮かんでいました。少年はそれを老婆から渡されると、文字の下に見覚えのあるしるしをすばやく見つけ、ああ、これだ、と言いました。二百四十二年前、月の世に様々な怪が暴れてその呪いに汚される者が後を絶たなかったとき、月のお役所が悩んだ末、ここの魚に、怪についての質問をしたときの、その答えでした。山の魚は空気の声ではなく、石の声で答えるので、一つの問いに答えるのに、相当時間がかかるのです。
「ありがとう、おばあさん。お魚さまにもお礼を言いたいんだけどどうしたらいいかしら」少年が言うと、老婆は、「わたしが代わりにやっとくよ。あれに声をかけるのは、一苦労なんだ。それよりも…」と言いながら、何かを請うように目を細め、手をこすりました。少年は、ああ、と言って、船の中から白い布袋を取り出しました。
「特別なんですよ。醜女の君がおやさしいから、こんなにたくさんくださるんです。ほんとはこんなことに使ってはいけないんですよ」少年は念をおしながら、老婆に白い袋を渡しました。その中にはぎっしりと月珠がつまっていました。老婆は大喜びで、それを一つ口の中に入れ、飴のようになめ始めました。老婆によると、それはそれは、涙の出るほどおいしいのだそうでした。
少年は水晶を船に載せると、老婆に挨拶をしてから、船を動かしました。
(さて、この石の文字を解読するのには、何年くらいかかるものかな)思いながら少年は船を高く空に昇らせ、遠くで泳いでいる魚に深く一礼すると、すっと方向を変え、まっすぐに船を走らせました。