だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。ですから、今までこれほどひょうばんのいい服はありませんでした。
「でも、王さま、はだかだよ。」
とつぜん、小さな子どもが王さまに向かって言いました。
「王さま、はだかだよ。」
ハンス・クリスチャン・アンデルセン「はだかの王様」
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馬鹿というものは、ただ自分がよいものになりたいという、動物的な欲望だけで、あらゆることをする。
人から徳も富も姿も盗み、自分とは全く違う人間になって、いい目に会おうとするものなのである。人のためによいことをするという勉強などほとんどしたことのない、勉強の段階としては赤ん坊に等しい人間が、盗みだけで、王侯になろうとする。
ひどく気高いよいものになって、権力をかさにきて、主に動物的な性欲を満たそうとするのである。要するに、いい女とセックスをするためだけのために、神を盗むようなことでもしてしまうのだ。
人類史は、このような無知無明の段階にいる人間の、暴虐の嵐による苦悩の歴史だったと言ってよい。
馬鹿はあらゆる技術を弄して、自分を王侯に似せ、人々の尊崇を集めようとし、それを利用して我欲を満たそうとしてきたのである。人民の苦しみなどまだ感じることさえもできないような馬鹿が、王位になどついては、国に苦しみが満ちる。何万の人間の苦しみより、自分の一時的な快楽を優先するからだ。そんなことをしていてはいずれは崩壊するという予言を受けていながらも、馬鹿はそれをやめることができなかった。
ゆえにこの究極の時代になり、人間の感覚が進化し、その馬鹿を見抜くことができるようになっても、まだ王侯の位から降りることができないのである。
米国大統領という名を背負い、世界中の注目を浴びているあの男の正体を、世界中の人間が見抜いているのだ。だのに彼は、そこから降りることができない。降りればみにくい馬鹿を認めることになる。あまりに愚かなことをした馬鹿が自分だということを、認めねばならなくなる。
自分を見ている人間の目が、あの王様は裸だぞ、と言っていることに気付いていながらも、王様をやめることができないのだ。
それが馬鹿の結末である。嘘で真実の王からあらゆるものを盗み、王というものを馬鹿なものにしてきた人間の馬鹿の、成れの果てなのである。
人類は彼を、永遠に記憶するがいい。
そして二度と、同じことをやる馬鹿が出ないように、真実の王を国の中心に立てる体制を立てるべく、努力していくのだ。