ヴァレンティン・アレクサンドロヴィチ・セローフ、19世紀ロシア、印象派。
こうした北方的父性をよく描くロシアの絵画は、わたしの好むところであるが、今回語りたいのはそのことではない。
古代ギリシャの時代は、男は平気で裸で表を歩いていた。男の裸体がそれは美しいものであったからだ。だが時代が進むと、男は衣服に身を包み、滅多に裸体を見せなくなる。だんだんと醜くなってきたからだ。男は暴虐をなしあらゆる罪を重ねた結果、恐ろしく滑稽な姿になってきたのである。それを補うために、衣服のデザインが進化した。男は様々な装身具を身につけ、体臭をごまかすために香水もつけるようになった。近現代の男が着るスーツというものは、そういう男のファッションが最も進化したものである。そのデザインと機能性は、絶妙に美しい男の姿を完璧に表現している。それを着れば、どんな男も美しく見えるというものなのである。だがそういうものを是非とも必要としているということは、男にとって非常に悲しいことだと言える。真実の男というものは、どんな服を着ていても美しく見えるものだからだ。