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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-09-04 07:36:22 | 月の世の物語・余編

「これはやはり、我々が出ていくより仕方ありませんね」
と、ひとりの月の世の役人が、知能器の画面を見ながら言いました。すると斜め前の席に座り、机の上に山のように積んだ古文書に顔をつっこむようにして、新しい呪文の意と作用と力を確認していた役人が、ふと顔を上げ、それに答えました。
「若いものにまかせるわけにはいかないだろう。新しい紋章がどう働き、どう反動が返ってくるかもわからない。聖者様にお頼みすれば完璧にうまくいくだろうが、我々ができることは我々がやらねばならない」

それを聞いた知能器の前の役人は、唇を噛み、前を見る眼光を強くしました。彼は、磨いた黒曜石のような黒い肌をしており、縮れた黒髪を丁寧に結いこんで後ろで結んでいました。対してもう一人の役人は、こげ茶色の髪に、少々赤らんだ白い肌をしていました。二人は、これから地球上で行うある実験のための、相談をしていたのです。

黒い肌の役人は、知能器の画面に浮かんだ、見事な赤い紋章に目をやると、その計算の見事さに感嘆しつつ、少し考え込みました。「これが、浄化というものか」と彼がつぶやくようにいうと、白い肌の役人は「どうした、君らしくない。神は甘くないと、いつも言うだろう」と、少し語気を強めていいました。辛い気持は、自分も同じだったからです。黒い役人も彼の気持ちを感じ、少しすまなそうな顔で微笑みしました。
「確かに。だが、どうしても捨てきれないものがあるのは、わたしが未熟だからですね。彼らが悔悛してくれることを、どうしても心の中のどこかで願ってしまう」
「その可能性はゼロだ。悲しいがね。さて、これは我々による最初の実験だ。実験地点は?」「G-2659-3610、別名『蛇の蟻塚』です」「…ああ、いわゆる『組織』というところか」「地上の俗語でいうところの『危ない所』です。薬と女性を売り、暴力、暗殺、詐欺など、あらゆる悪事で暮らしている。かなり大きな怪がいますが、神より新しい魔法もいただきましたし、我々の手で何とかできるでしょう」

ふたりは知能器を休ませ、封じの鍵をかけると、同時に椅子から立ち上がりました。白い役人が言いました。
「今回の試みにはちょうどいい規模だ。準備は整ったな」「はい。認可もとりました」「ではいこう」
ふたりはいっしょに役所を出ると、ふわりと空に飛び出し、地球に向かいました。

それから数十分後には、彼らはもう地球上の目的地の前にいました。そこは都会の真ん中にある大きな高級マンションの最上階の、最も広い、最も豪華な部屋でした。太陽は十一時のあたりにあり、マンションの住人は留守なのか、中に人影はありません。
役人たちは空を飛びながら窓から中を覗き込み、ほう、と感慨にも似たため息をつきました。
「すごいですね。これは」黒い役人がいうと、白い役人は眉を歪めつつ、言いました。「地球の人間の目には、きれいに見えるだろうが、…まあ、よくやったものだ」

彼らの目には、マンションの床の上に、黒い記号や文字や紋章を複雑に歪めて組み合わせ、からみあわせたものが、まるで蟻塚のようにかたまってそれが何本も林立し、小さな森のようになっているのが見えたのです。それは、強い毒性の黒カビを樹木にしたような毒気と腐臭を放ち、時々、柱の奥で、蛇の舌のような赤い炎がひらめくのでした。

「この蟻塚は、通常の人間が使える魔法の紋章や印、記号などを歪めたり、逆にひねったりして、複雑に組み合わせ、何重ものぺてんの理論を作って重ねた、悪の紋章だ。彼らはこの、自分らでひねりにひねって作った紋章で、何とか自分たちが正義になるように、道理を無理やり歪めてきた」「長い時をかけて、それがここまで積もってきたわけですが…、ところどころ、破たんした部分がありますね」「無理に無理を重ねた結果だ。このまま放っておいても、いずれは総崩れになるが、そうなると、被害が甚大になる」「その前の、洗浄ですね」黒い役人は心を動かさないよう自分を制御しながら、言いました。

「やれ、手間のかかることだ」と白い役人は言いながら、窓ガラスを透いてマンションの中に入って行きました。黒い役人もその後についてきました。彼らは『蟻塚』と言われているこのペテン記号の柱の中を、しばし林の中を歩くように歩き回りました。血肉が腐ったような臭いがあたりに立ちこめていました。「まるで腐乱地獄だ」と黒い役人が言うと、白い役人は、乾いた表情を変えず、「ここに来る人間は、ほとんど、死後そこにいくことになっている」と言いました。

「さて、まずは、紋章の方から試してみるか」白い役人が言うと、黒い役人は「はい」と答え、口の奥で清めの呪文を唱えつつ、左手をひねらせ、そこから赤い光を出して、中空に赤い紋章を描いていきました。しかし途中、蟻塚が放つ邪気が邪魔をして、線が歪み、紋章は霧のように消えてしまいました。黒い役人はふうと息をつき、清めの呪文を一段階上げると、もう一度紋章を書き始めました。白い役人も清めの呪文を唱和しました。そして黒い役人は、複雑に線と図形の交錯する赤い紋章の最後の一画までを、見事に正確に書きあげました。すると紋章の奥から、かすかに鐘のような音が響いてきました。

とたんに、周りにあった何本もの蟻塚が、蛙がつぶされるような悲鳴を上げて、あれよあれよという間に砂のように崩れ去り、空気に溶けるように消えてゆきました。紋章は太陽のように光り、あたりを明るく照らして、間違いを正確に正してゆきました。生きている人間の目には、何も起こっていないように見えるでしょうが、しかし、役人たちの目には、そのマンションの壁や天井が、まるで水に溶けて行く薄紙のように消えていくのが見えました。マンションは、地球上にまだありましたが、しかし、こちらの世界の道理では、もうありませんでした。役人たちがマンションの本当の姿を見てみると、そこは、なにもない赤土とがれきの荒地でした。どの方向を見ても、何も見えず、ただ風が渇いた土を吹きあげるばかり。草一本生えず、蝿一匹すらもいない。しかもそれだけでなく、土はかすかに流砂のように流れており、だんだんと大地が陥没し始めてきていました。そしてその穴の奥から、何か黒いものが染みだしてきたのを見ると、白い役人が合図をして、黒い役人はすばやく左手を動かして赤い紋章を消しました。

白い役人は、黒い役人の目に少し疲れを見出して、「大丈夫か?」と声をかけました。黒い役人は笑いながら、言いました。「大丈夫です。しかしすごいですね。紋章の威力は」「ああ、神が下さったすばらしい愛の贈り物だ」

そのとき、マンションの隅から何か物音がし、二人が振り向いてみると、床の一部が異様に膨らみ、それが卵のように割れて、中から、大蛇のように大きな一匹のムカデが現れました。白い役人が目を強く光らせ、高い声を上げて呪文を投げました。するとムカデの顔に、鋭い水晶の刺が何本も刺さり、ムカデは、ぎいい、と声をあげました。

「あ、ああ…、いたい、いたあい、つ、つらい、つらあい…」
ムカデはしゃべることができるらしく、刺の刺さった顔を振りながら、床の上をもがき暴れました。はあ、はああ、と激しくもだえ苦しむ声が、腹のあたりから聞こえます。

「一匹じゃない。これは、三千匹はいる。集合個体ですね」「ああ、まさしく軍団(レギオン)だ」「ええ、弱きものは皆、集団でやる」
黒い役人は、清めの呪文を吐き、ムカデの腹のあたりに投げました。するとムカデの苦しみはややおさまり、ムカデは、はあううう、と声をあげ、力弱く床に横たわりました。
白い役人が、詩を読みあげました。

白雪のごとく麗しき駿馬の風に踊るたてがみを見よ。
それはあなた自身である。
星々の祝福の金の音の鳴るを、その貝の耳を開きて聞くがよい。
私とはすばらしいものである。
すべては愛である。
神が、すべての愛が、待ち焦がれていたその時が、とうとうやってくる。
人々よ、鍵を左に回しなさい。

その言葉は、魔法のようにムカデに作用を及ぼし、集合個体のしっぽのほうが、ばらばらに崩れ始め、小さなムカデがわらわらと床の上を散っていきました。すると頭の方が、ぎいっと声をあげ、逃げて行く小さなムカデに戻れと命じました。しかし小さなムカデはそれに従いませんでした。

「つ、つ、つらい、つらい。お、おまえらを、ころして、ころしてやる。ばかめ、ばあかめ。おれは、おれは、かみだ。かあみなのだ」

黒い役人が返しました。「あわれにも弱き怪に落ちしものよ。その言葉を言っているそのものは誰だ」そういうとムカデは、ききっと耳をつく声を上げ、怒りにざわざわと足を動かしました。その間も、しっぽのほうから、次々と小さなムカデが逃げて行きます。白い役人は、逃げて行くムカデに導きの呪文を振りかけ、彼らがどの道に逃げようとも結局は怪の地獄に向かうようにしかけました。

「だれだ、だれだ、だれだ、おれは、おれは、かみだ。かあみだ。かみだ。かみだ。だから、なにもしなくてよい。いやだ。はらうのは。いたいめにあうのは、いやだ。おれは、いやなんだ。だから、おれがただしいことに、するんだ。なにもかも、おれがせいぎにするんだ。わるいやつが、ただしいんだ。すべてはおれのおもうとおりになる。みな、ばかになってしまえ、おれのいうことをきけ、ころしてやる、すべて、ころしてやる、ばかめ、ばかめ、ばあかめえ!」

ムカデは自分の言いたいことを言いつくすと、ぐぉ、と喉を絞められたような声をあげました。役人たちは声を合わせて呪文を唱えました。すると、もう半分ほどの長さになったムカデは、蟻塚のように立ったまま凍りつきました。黒い役人が、一瞬喉を詰まらせました。押さえていた涙が噴き出てしまったのです。白い役人は黙りこみ、後を彼にまかせました。黒い役人はその意を感じて、涙を捨てて、詩を歌いました。

「人なるもの、人なるもの、怪に落ちし人なるもの、おまえを愛す。ゆえに、これをせねばならぬ愛の神の涙の海を、荒波をくぐるごと泳いでくるがよい」

とたんに、大ムカデの内部で、ばん、と弾けるような音がしました。大ムカデは砂のようにざらざらと音をたてて崩れ、やがてそれのいたところに、砂山のような小ムカデの山ができました。元の小さな個体に戻ったムカデたちは、からからに乾いて、まるで死んだように動きませんでしたが、詩に感じてしびれているだけで、死んではいませんでした。黒い役人は、ほっと息をつきました。怪を、一匹も殺さずに済んだからです。ここで怪が皆倒れなければ、後は殺すしかなかったのです。

白い役人は呪文を吐くと、ムカデの山から、一匹の小さなムカデを引きずり出し、手元に呼びました。「これだな。核個体は」「小さいですね。やはり」「ああ、集合個体の核になるやつは、たいてい、中で一番進化度の低い魂だ。何も知らぬから、なんでもできると思っている、子どものようなやつが、中心にいる。それで、あらゆる悪をやる。すべては、何も知らないから、できることだ」

役人たちは、核個体のみを水晶のカプセルに封じ込めると、床の上に倒れたまま動かない他のムカデたちを、すべて怪の地獄に送りました。そうして、マンション全体にしみついた邪気を呪文で可能な限り洗浄すると、あちこちの壁や天井に紋章を描き、一番大きな窓の真ん中に赤い目を描いて、ここで起こる全てのことが、お役所の知能器で観察できるようにしました。白い役人が言いました。

「これで、彼らが作った、悪を正義とする複雑怪奇な紋章はすべて無効になった。彼らを影から操っていた怪もいなくなった。救いの紋章も導きの印も全て描いたな」「ええ、残りはあと一つだけです」

二人の役人は、最後に、神の愛の紋章を、白い小鳥の形に封じて飛ばしました。紋章の小鳥は、鈴のような歌を歌いながら、マンションの中を飛び回り、やがてリビングに置いてある小さな観葉植物の上にとまりました。その紋章は、ここに来る人々の魂に作用して、ある程度彼らの運命を良き方向に導くはずでした。こうして、やるべきことはすべてやったことを互いに顔を見合わせて確認すると、白い役人は、まるで駅員が列車の出発の合図をするように言いました。「第一段階は終わった。我々はこれから、彼らの破滅がどういう風に起こっていくか、見て行かねばならない」
彼らはマンションの外に飛び出ました。黒い役人がふと言いました。「一応結界を張っておきましょうか」白い役人は答えました。「ああ、そうだな」そして二人は、マンションの周りに結界を張り、縁のない人間がここに近寄れないようにしておきました。

ふと、その部屋に、明かりがともりました。マンションの持ち主が帰ってきたからでした。白い役人が窓からマンションの中をのぞき、その人間を見ながら言いました。「ほう、もう変化が出ている」すると黒い役人も彼の隣にきて、言いました。「ほんとうだ。わずかだが、背骨に影ができている」

二人はそっとマンションを離れ、空に飛び出しました。もうとっくに日は沈んでおり、桔梗色の空にかかる白い月が、静かに彼らを見下ろしていました。黒い役人が言いました。

「どうなって行くんでしょうね、彼らは」「アルファ。すべてはこれからだ。彼らは奈落に落ちて行くだろう。だがそれこそが、本当の幸福への最も近い道なのだ」「わかっています。けれども、神のお気持ちは、おつらいことでしょう」「そうとも。だが、我々はやっていかねばならない」

ふたりの役人は白い月を目指して飛びながら、これから浄化の波をかぶるであろう人間たちのことを思い、しばし悲哀をともに噛み、愛を送ったのでした。



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