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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

わたし

2015-11-23 03:30:02 | 月夜の考古学・本館


よろこび かなしみ
やりたいこと できること
みんなそれぞれに ちがう
でも
わたしが わたしだってことは
みんな おなじ

みんなおなじで みんなちがう
そんな「わたし」が せかいじゅうに
ひしめいている



(2008年頃。入院中のノートから)







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貝の中に

2015-11-14 04:17:12 | 月夜の考古学・本館

路地裏のちいさなものかげに
だれかがなくした
じぶんじしんが落ちていました

それは半分土に埋もれ
ひろいあげてみると
少し欠けていました

うちに持ち帰り
きれいに洗ってみましたら
それは深い色をした悲しい珠玉でした

秘密の水槽の中に
そっと落とし込み
小さな貝の中にかくしました
いつか だれかが
とりもどしにくるでしょう
そのときまで

だれにもいわずに
そこにかくしておきましょう


(2006年11月、南野珠子詩集「ひとつの星」より)





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やってます

2015-11-09 03:50:03 | 月夜の考古学・本館

だれかに
きみがいちばんだと
いってもらわなくては
ぼくは なにもできません

でも
きみがいちばんだと
いってくれたら
もうなにもしません
だって いちばんだから

せかいじゅうでいちばん
えらくなったら
もうなにもしなくていいから
ぼくはそのために
なんでもしました
いっぱいいっぱいしました

いちばんえらくなるために
すごいこともやりました
それで えらくなって
なんにもすることがなくなったら
もうなにもない
なんにもなくて なんにもなくて
なんでこんなにくるしいんだって

やってきたことが みんな
ばかなことになるのがいやで
いまもやっているのは
おんなじことをずっと
くりかえしていることです

まいにち まいにち
いみもない カードに
うそをかいて うそをかいて
うそをかいて
いやになるほど ずっと

とりがないても はながさいても
なにもみないで
ちいさな うその
かべのなかで
ずっとそればかり
やってます




(ノートに残っていた詩、タイトルはわたしがつけた)





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お花

2015-11-05 03:50:30 | 月夜の考古学・本館

お花に声をかけると 
お花が笑う
それはね 神さまがやってくれているの
お花に 返事をさせてあげたくて

木の下で休んでいると こずえがゆれて
木漏れ日がちらちら光る
それはね 神さまがやってくれているの
木が やさしくしたいって思っているのを
知っているから

のっぱらに独りで立っていると
雲が割れて
日差しが肩にふれる
それはね 神さまがやってくれているの
ひとりぼっちの君の心を
ずっと見ているから




(2006年ころか、ミクシィに発表したもの)






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はじまるよ

2015-11-04 03:54:53 | 月夜の考古学・本館

そらから摘んで来た すみれの花束を
輪に編んで 輪に編んで
青いタンバリンを作ろう
ぱんぱんぱん
はじまるよ はじまるよ

海からすくってきた 人魚のたまごを
たばにして たばにして
清らかな鈴を鳴らそう
しゃんしゃんしゃん
はじまるよ はじまるよ

のばらに隠れてた 小さな旅人を
呼んできて 呼んできて
らっぱの楽隊をつくろう
ぱーぷーぷー
はじまるよ はじまるよ

ちょうちょがかくしてた 天使の赤ちゃんを
つれてきて つれてきて
野原の祭りをしよう
とんたんたん
はじまるよ はじまるよ

何かが はじまるよ




(2007年ごろ、旧ブログより)







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青いりんご

2015-10-26 04:12:38 | 月夜の考古学・本館

リンゴ(セイヨウリンゴ) Malus domestica

 リンゴの詩を書くのは二度目ですが、今度のは青いりんごです。
 店頭などでは、王林などの品種が、青リンゴとして売られてますが、「祝い」などの種類もあるそうです。
 といっても、詩の中のイメージは、青空にとけているあわせ鏡のような地球のイメージなんですが。青空の向こうにあるもう一つの美しい地球。魂の地球。
 それを香り深い青いりんごに託してみたかったのです。
 苦しみの後で、一枚殻が脱げたように心が軽くなって、ひといきに越えられなかった壁を越えられるってことがあります。それは要するに、自分を知るってことなんですけれどね。
 若い頃は何でもできると思っていて、どん欲にあれもこれもと吸収し続けていました。本を読むのが好きで、自分の中にいっぱい知識をほうり込むのが楽しかった。映画もアニメも好きだった。たくさんの人が群がるおもしろそうな価値の周りを、わたしも物欲しそうな目で跳び回っていた一人でした。
 でも年をとって、ひとつもふたつも、山なんぞ越えてみると、今度は要らぬものを捨てにかかります。本当に必要なものしか、生きることには必要でないと思い始めます。だから本も、本当に魂に心地よいものしか読まなくなる。テレビで毎日のように叫んでいる歌や人のコメントも、心地よくないものは聞かない。
 で、だんだん世界が狭くなる。いや、もともと広くはなかったんですけどね。
 人生の折り返し点にさしかかると、人はそれまで自分に取りこんできたものを、深化させてみたく思うらしい。やたらと外に広がるのではなく、ひとつひとつを大切にして、見てみたくなるものらしいです。
 そこにどんな美しい魂の暗号が隠れているのか。
 知り尽くしていると思っていた季節と世界が、未知の不思議に満ちていることを知る。世界にこめられた愛の鍵のなんと無数にばらまかれていることか。
 もうわたしも若いと胸を張れる年ではありませんが、また新しい学びの段階に、招き入れられたような感じもしています。おもしろいことが始まりそう。
 これからだなあ、何もかも。


(2006年7月、花詩集38号。一応原稿は作成されたが、発行はされなかった。)




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小さいもの

2015-10-16 04:07:48 | 月夜の考古学・本館

小さいものは 哀しい
自分の小ささが 哀しい
だから
とどかない星を
憎む ねたむ のろう
毒を吐くことしか できない
だから
よけいに 哀しい

小さいものが 救われるには
どうしたらいいのだろう



(2003年11月、種野思束詩集「種まく人」より)





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光の実

2015-10-12 04:05:16 | 月夜の考古学・本館

わたしは
世界の入り口に立ち
ミノムシのように
硬い毛布にくるまって
一粒一粒 光の実を食べていました

まだ少し 眠いな

おかあさん
わたしが目を覚ますのは いつ?



(2006年11月、南野珠子詩集「ひとつの星」より)




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リンゴ

2015-10-07 03:46:41 | 月夜の考古学・本館
リンゴ(セイヨウリンゴ) Malus domestica

 バラ科リンゴ属。
 あれは私がまだ学生だった頃。私は、ある少女の失恋の場面に出くわしたことがあります。何げなく入った喫茶店で、軽い昼食をとっていた時、たまたま座った席の、隣の席で、一組のカップルが別れ話をしていたのです。いけないとは思いつつ、つい耳をそばだててしまいました。
 話の内容から、男性は医学部の学生のようでした。女性は、色白でふくよかな顔をした、かわいい人でした。そして、一方的に別れを突き付けているのは、彼のほうでした。タバコをふかしながら、彼は、彼女の欠点をつき、過去の失敗を例にあげて、いかに自分の言っていることが正当かと言うことを、言い立てていました。彼女はただ、うつむいて、黙って聴いていました。
 話を聞きながら、私は彼の高飛車な話し方に、げんなりしたものです。なぜ彼女は、あんな男とつきあったのでしょう。多分、それは、彼が医学部だから…。当時、医学部の学生は、ただそれだけの理由でもてていたものでした。多分彼には、ほかにもたくさん寄って来る女性がいたのでしょうね。だから、まるでガムを噛み捨てるように、いらなくなった彼女を捨てることも、できたのでしょうか。
 美形なアイドルやお金持ちがもてはやされる、この世間を見て育った私たち。誰でも一度や二度は、そういう表面的な価値に迷うことがあるのです。そこで失敗を経験してこそ、人生や愛について深く考えるようになる。長い人生から見てみれば、何と言うことはない、学びの過程です。
 彼も彼女も幼かった。目先だけの価値しか見えず、愛について何も知らなかった。若さ故の、惨憺たる恋。彼女はそこから何を学んだでしょうか。
 真実の愛を、本当にわかるためには、人は何度か奈落に落ちなければならないんです。一度は、本当に深く傷ついてみなければ、人は愛する事の本当の意味を、わかることができない…。だから、愛に傷ついたことのない人の方が、傷ついたことのある人よりも、本当はずっと不幸なのです。
もう二十年も前の話。彼も彼女も、今はいい大人です。あれから、彼らは、どんな人生を歩んだのかな…。


(2004年12月花詩集19号)





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紫陽花の葉陰で

2015-10-02 04:24:15 | 月夜の考古学・本館

(2003年7月、花詩集2号)









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