★手品師さんの悩み
詩人さん、画家さん、手品師さんは、高校時代からの友達である。何となくうまがあって、学校を卒業しても連絡を取り合い、定期的に会ってきた。
今日はその、三人が行きつけのカフェで会う日。仕事の一番忙しい手品師さんの休みに合わせて、二人がスケジュールをあわせてくれた。
手品師さんは、三人の中で、唯一、社会的成功を手に入れている人である。まだ若手だが、人気も高い。もちろん、収入も高い。手品師さんはそれを、少し、友人に対して遠慮している部分がある。画家さんはいまだに売れない画家だし、詩人さんは無職で病気療養中。自分だけ、若くして突出してしまったことを、友人たちに自慢してないか、態度に少しでも偉そうな感じが出てないか、手品師さんはいつも自分に言い聞かせている。この二人の友達だけは、一生失いたくないからだ。
都会にある彼のマンションの一室には、リビングの壁に、画廊を通して内緒で買った画家さんの風景画が飾ってある。本棚にはもちろん、詩人さんの詩集もある。手品師さんは、詩人さんが詩集を出した時、それを三〇冊も買って、仕事関係の人に配ったことがある。でもそんなことは、ふたりには何も言っていない。何となく、傲慢な感じがするような気がして、二人には知られたくないのだ。
仕事から、疲れて家に帰ってきたとき、画家さんの絵を見ると、なぜだかほっとする。暇なときに詩人さんの詩を読むと、ああ、自分と同じ仲間がいると、感じる。手品師さんは、きらびやかな世界にいるけれど、そこは、本当に、みんなが孤独な世界なのだ。だから。
ともだちだけは大切にしたい。どんなに忙しくても、一年に一回くらいは、二人に会いたい。
ともだちとはいいものだな。
★画家さんの悩み
画家さんの悩み。それは…
かっこいいことです。(ふっ)
もてることです。(なぐってもいいです。)
でも本人にとっては、とても真剣な悩みなのだ。
今までにも、何度か女の子のことが原因で辛い目にあったことがある画家さんであった。画家さんは女性がとっても苦手なのだ。いろいろと面倒くさくて、女の子と遊んでいるよりは、気の合う男友達と駄弁っている方がいいと言う人である。いまだにね。
実は画家さん、ある画廊の協力の元、今度、個展を開くことになった。こちらからもいくらか出費しなければならないが、条件は良い。場所もかなりいいところだ。それで、勇んで画廊に作品を持っていったりして、いろいろと準備していたのだが…
途中で気がついた。どうやら画家さん、画廊の女主人にほれられてしまったらしい。
これはまずい。と画家さんは思う。今更個展をキャンセルするわけにはいかないし、自分としても個展はぜひやりたい。けれど、なんだかんだで、女性と妙なことになってしまうのは困る。どうすればいいか。
カフェへの道を歩きながら思い浮かぶのは、やはり詩人さんの顔であった。やっぱりあの暇人に頼んで、今度から画廊についてきてもらおう。カフェのコーヒー券もたまっていることだし…
ちなみのこのコーヒー券、カフェの常連によく配られるのだが、詩人さんや手品師さんは一枚しかもらえないのに、なぜか画家さんだけいつも三枚もらえるのだ。
ともだちとはいいものだな。
★詩人さんの悩み
詩人さんの悩みは、たくさんある。無職であること、心療内科に通院中であること。いろいろあって、まともに職につけないこと。
一応詩など書いてるし、詩集も出版していて、ある方面には、ペンネームがかなり知られている。けれども、実際のところ、彼の社会での身分は、家事手伝いなのだ。
詩人さんは気が弱すぎるのだ。他人に良い顔ばかりしてしまって、率直に自分の意見を言うのが苦手だ。それで、仕事で失敗ばかりして、心のバランスを崩し、どうしても出社できなくなり、会社を辞めた。もう何年前になるか、あの頃は詩人さんにとってどん底だった。
自分が、この世界にいる必要のない人間だと言う気がして、いない方がずっといいような気がして、生きているのが苦しかった。病院でもらった薬を飲みながら、何とか心を安定させようとしていたけれど、日を重ねるにつれ、心はカビで膨らんだ蜜柑のように、重くなってくる。
ある日、詩人さんはとうとう、自殺することを決めた。自分をこの世界から消してしまおうと考えたのだ。頭の中に、近くにある川と、よくその上から人が飛び込むと言われる古い橋が浮かんだ。今から思うと、何かお化けのようなものにとりつかれていたのかもしれないと思う。詩人さんは、ぼんやりと上着をひっかけながら、その橋に行こうと玄関に向かったのだ。
玄関先の電話が鳴ったのは、そのときだった。何気なく受話器を取ると、画家さんの勢いのいい声が耳に飛び込んできた。
「コーヒー券あるんだけど、おまえヒマ?モデルやってほしいんだけど」
詩人さんは、泣いていることに気がつかれないように、できるだけ明るく声を上げて答えた。
「ああ、いいよ。ただし上着以外は脱がないからね」
「脱ぐな、馬鹿野郎」
そして詩人さんは、玄関を開けて、町に出かけた。川の方ではなく、画家さんの家に向かって。
今でも、時々画家さんが言う。「お前が一番先に死にそうだな。おれもずいぶんだけど」
すると手品師さんは、少し苦しそうな顔をして、詩人さんを見つめる。知っている。手品師さんは、画家さんよりずっと、わかるのだ。何かがあったってこと。
詩人さんは笑って、画家さんに答える。
「そんなことはないよ。ぼくみたいのが、けっこうしぶといんだ」
あのとき、電話があったのは、偶然じゃないかもしれない。
とにかく、詩人さんはまだ生きている
ともだちが、いてくれたから、生きている。
(つづく)