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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2016-08-11 04:14:41 | 霧の風景


マックスフィールド・パリッシュ、20世紀アメリカ、イラストレーション黄金時代。

少女が星空を見ている。かのじょは星から来たのだ。罪に落ちた人間の魂を救うために。遠い故郷を思いながら地にある自分の使命を思っている。自分は人間に教えなければならない。本当の自分に帰る道を。何もかもは、素直に愛すればいいだけのことだったのに、馬鹿だと言ってしまったから、苦しくなってしまったのだよ。もう本当の自分の心に帰ろう。十分に苦しんだだろう。罪の償いをする方法は教えてあげる。だいじょうぶ、生きていく方法はある。天は君たちを見捨てない。救いは空からやってくる。星に従い、地上を生きていきなさい。






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カイン

2016-08-10 04:14:42 | 霧の風景


ロヴィス・コリント、20世紀ドイツ、印象派。

嫉妬を理由に弟を殺したカインが空を見ている。神が空から自分を見ているような気がするからだ。だが見ているのは神ではない。自分自身なのだ。カインは自分の罪から逃げる。復讐されるのが怖いからだ。彼は謝罪も償いもしない。だがこのことを永遠に忘れることはできない。なぜアベルを殺したのか。弟のほうが自分より良く見えたからだ。逃げれば逃げるほど、その真実は影のように自分にとりつく。カインはどこにいくつもりなのか。永遠に逃げるつもりなのか。






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オイディプスとスフィンクス

2016-08-09 04:14:10 | 霧の風景


ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル、19世紀フランス、新古典主義。

故郷コリントスを捨てテーバイへの旅にある途中にオイディプスは女の頭と獅子の体と鷲の翼と蛇の尾を持つ怪物スフィンクスに出会い、謎をかけられる。答えなければ殺されるので、旅人は必ずその謎を解かねばならない。
「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足、この生き物は何か」オイディプスは見事にこたえる。「それは人間だ」
だが人間とはそれだけのものなのか。ほかに何があるというのか。
オイディプスは実父を殺し、実母と結婚してコリントスの王になる。その事実を知ったとき、犯した罪の恐ろしさに彼は自らの目をえぐり出し、一文無しとなって国々をさまよう。そのときオイディプスは2本足だったのか、3本足だったのか、それを語る神話はない。だが苦悩にさいなまれるこの魂を、娘アンティゴネが追いかけていく。それは彼の魂を平安の地へと導くのだ。人間とは何なのか。人間はなぜ苦しむのか。なぜ人間は過つのか。
なぜ人間は生きるのか。答えなさい。






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ヨブ

2016-08-08 04:17:54 | 霧の風景


レオン・ボナ、19世紀フランス、アカデミズム。

これは人間の本当の姿のひとつを表す絵である。老いさらばえた男の体は、それが自分を偽るために飾るものが何もないからこそ美しい。
ヨブは旧約聖書の中の人物である。豊かな財産を持った義人であったが、信仰を試され、あらゆる難を振りかけられる。ヨブは財産を失い、皮膚病にかかり、妻にはののしられるが、神への信仰をつらぬいた。しかし神は、このように人間の信仰を試すために人間を難に陥れたりはなさらない。人間が味わう難はすべて、自らがなしたことの結果であるか、悪魔のしかける罠なのだ。人間が自分を見失っている影の時代には、そういう試練の嵐が世界を吹き荒れる。そこをただ神の愛を一筋に信じて耐え、乗り越えていく人間の姿は美しい。






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キッチンテーブルの上の静物

2016-08-07 04:12:07 | 霧の風景


レオン・ボンヴァン、19世紀フランス、写実主義。

休憩だ。うまいものでも食うかね。
人類史においては、ファッションも進化したが、調理法も進化した。調味料や香辛料をふんだんに使い、凝った料理をいくつも作った。麦や芋を育て、林檎や葡萄の品種改良をした。牛を飼い豚を飼い、マグロを追いかけて遠洋まで走り、珍味を得るために鳥を虐待したりした。うまいものを食えば、苦しいことを一瞬でも忘れられる。生きるためにはそれも必要なことなのだ。だが人は、食うために生きるのか、生きるために食うのか。
うまいものでも食いながら、考えようではないか。






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自画像

2016-08-06 04:21:24 | 霧の風景


エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、20世紀ドイツ、表現主義。

もろに、顔が自分に張り付いているという絵だね。画家は、自分の顔が自分の心から遊離しているということを、どこかで感じていたに違いない。他人から盗んだ顔というのは、どんなにハンサムでも、やはりどこかが自分とは違うのだ。そこに心のずれを感じて苦悩する人間は多い。鏡を見ると、どう考えてもこんな男ではない男が自分の中にいる。一体それは誰なのか。20世紀に入り、人間はようやく、本当の自分を探し始めたのだ。






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傷ついた男

2016-08-05 04:21:09 | 霧の風景


ギュスターヴ・クールベ、19世紀フランス、写実主義。

クールベはナルシストであったらしい。自画像をたくさん描いているが、このように傷ついた姿で自分を描くというのも、誰かに甘えて自分を愛してもらいたいという気持ちの表れだろう。だがこの姿は本当の自分ではない。この男の本当の姿は、もっと小さく醜いのだ。そんな本当の自分を隠して、他人の姿を借りて生きている。それをことさらに見せて、愛を得ようとする。そんな男は多い。ナルキッソスが愛しているものは、本当の自分ではない。水に映った影なのだ。形だけのものなのだ。そんなものを愛して報われるわけがない。
本当の自分を愛するということは、もっと別のことなのだ。






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黄色いキリストのある自画像

2016-08-04 04:42:49 | 霧の風景


ポール・ゴーギャン、19世紀フランス、後期印象派、象徴主義。

「黄色いキリスト」はこれより前に描かれたゴーギャン自身の絵である。その絵をまた自分と一緒に描くということには深い意味がある。ゴーギャンは一時期ゴッホとの共同生活を送ったが、それはこの男が天使に強くひかれたからだ。罪のない、とてつもなく大きな存在というものにひかれるのである。そういうものになりたいという心があるからだろう。その心の奥に隠れているこの男の本当の姿を見ようとするとき、痛い絶望感をぼんやりと感じる。前面に大きく出している顔は、もちろん自分本来のものではない。画家は後に逃げるようにタヒチに向かう。そこでたくさんの絵を描くが、それは本当の自分から逃げ続けている人間の、ありもしない故郷を求めている心の影がさせたことかもしれない。






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バグパイプを吹く自画像

2016-08-03 04:13:21 | 霧の風景


ヤーコブ・ヨルダーンス、17世紀フランドル、バロック。

ずいぶんと不細工な男だが、これも偽物だ。だがこの男はこの顔を自分だと信じているのだよ。そして愛してもいる。ヨルダーンスの絵は人間世界を斜めに見た皮肉なものが多いが、それはこの人間がこの顔を自分と思ってその顔そのままに生きていたからなのだ。だが、本当の自分が、そういうものであるとは限らない。偽物の自分を生きるということはこういうことなのだ。ヨルダーンスはこの顔を生きることが、そのときは幸せだったのだ。自分とは違う人間だったからだ。






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自画像

2016-08-02 04:15:15 | 霧の風景


アルフォンス・ミュシャ、20世紀チェコスロヴァキア、アール・ヌーヴォー。

画業は本物だが、顔は偽物だ。こういう画家は多い。人間はどうしても、本当の自分を生きるのが怖いのだ。だがこの画家は、芸術家としての真実を見る目で自分を見ている。どこか嘘の気配がする自分の姿というものを描いている。そこが今一つ馬鹿になりきれない人間というものであろう。自虐的という感じもするがね。人間はこういう巧妙な手で自分をいじめて、自分に言い訳をするのかもしれない。






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