聖夜といえば毎年どこかを旅しており、去年についても同様でした。数少ない例外は四年前とその前年ですが、いずれも職場の事情によるものでした。しかるに今年は、そのような事情もなくあっさりと活動を見送りました。終業も遅くなり、新元号下で初の聖夜は侘しく過ぎようとしています。
直近の活動にあたり、週末の前後のいずれを休むかという選択がありました。週明けの二日を休めば、今年も夜汽車で聖夜を迎えられたのです。結果論ではありますが、天候を考えてもその方が明らかに得策でした。その割に敗北感が乏しいのは、夜の部に関する限り上々の結果だったからですが、もう一つの要因として、寄る年波から来る自身の心境の変化があります。聖夜の華々しい雰囲気に高揚するということが、年々少なくなってきたのです。
自身の内面に加えて外的な環境も変わりました。具体的には改元により天皇誕生日がなくなったことです。聖夜の前日にあった祝日の恩恵は、「なくして分かるありがたさ」の典型ともいえます。たとえば、今年の暦に元の天皇誕生日を当てはめると、土曜から祝日までの三連休になっていたところであり、一日休めば聖夜を含む四連休にすることができました。来年は水曜が元の天皇誕生日となるため、直後の二日を休むことにより、聖夜を含む五連休が実現していたわけです。祝日と土曜が重なるあいにくの暦だったとしても、今度は聖夜が日曜となるため、少なくとも小旅行には出られます。大抵の場合は連休、または飛び石の連休となり、なおかつその間、あるいは直後に聖夜が来ていたのは、偏に天皇誕生日の恩恵でした。
ところが、その祝日がなくなったことにより事情が変わりました。今年と来年のいずれについても、休みを二日とることにより、前後の土日を含む四連休にすることはできます。しかし、祝日との相乗効果がない状況で、二日の休みをとるとすれば、それ相応の動機がある場合に限られてくるでしょう。しかるにその動機が弱まってきたことについては既に述べました。
そのようなわけで、寄る年波から来る心境の変化に天皇誕生日の移動が追い打ちをかけ、旅先で迎える聖夜は今後少なくなっていくと予想されます。しかし、当日が土日に重なる場合はもちろんのこと、土日の前後いずれかを休めばよい条件なら、むざむざやり過ごす手はありません。再来年は聖夜を休むと土日につながり三連休となります。その翌年は土曜が、明くる年は日曜にそれぞれ聖夜が重なるため、一泊二日の小旅行にはお誂え向きでしょう。そのような年を選んで活動するのが、新元号下における聖夜の過ごし方となりそうです。
直近の活動にあたり、週末の前後のいずれを休むかという選択がありました。週明けの二日を休めば、今年も夜汽車で聖夜を迎えられたのです。結果論ではありますが、天候を考えてもその方が明らかに得策でした。その割に敗北感が乏しいのは、夜の部に関する限り上々の結果だったからですが、もう一つの要因として、寄る年波から来る自身の心境の変化があります。聖夜の華々しい雰囲気に高揚するということが、年々少なくなってきたのです。
自身の内面に加えて外的な環境も変わりました。具体的には改元により天皇誕生日がなくなったことです。聖夜の前日にあった祝日の恩恵は、「なくして分かるありがたさ」の典型ともいえます。たとえば、今年の暦に元の天皇誕生日を当てはめると、土曜から祝日までの三連休になっていたところであり、一日休めば聖夜を含む四連休にすることができました。来年は水曜が元の天皇誕生日となるため、直後の二日を休むことにより、聖夜を含む五連休が実現していたわけです。祝日と土曜が重なるあいにくの暦だったとしても、今度は聖夜が日曜となるため、少なくとも小旅行には出られます。大抵の場合は連休、または飛び石の連休となり、なおかつその間、あるいは直後に聖夜が来ていたのは、偏に天皇誕生日の恩恵でした。
ところが、その祝日がなくなったことにより事情が変わりました。今年と来年のいずれについても、休みを二日とることにより、前後の土日を含む四連休にすることはできます。しかし、祝日との相乗効果がない状況で、二日の休みをとるとすれば、それ相応の動機がある場合に限られてくるでしょう。しかるにその動機が弱まってきたことについては既に述べました。
そのようなわけで、寄る年波から来る心境の変化に天皇誕生日の移動が追い打ちをかけ、旅先で迎える聖夜は今後少なくなっていくと予想されます。しかし、当日が土日に重なる場合はもちろんのこと、土日の前後いずれかを休めばよい条件なら、むざむざやり過ごす手はありません。再来年は聖夜を休むと土日につながり三連休となります。その翌年は土曜が、明くる年は日曜にそれぞれ聖夜が重なるため、一泊二日の小旅行にはお誂え向きでしょう。そのような年を選んで活動するのが、新元号下における聖夜の過ごし方となりそうです。