日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

キャンプ総括 2019

2019-12-17 22:12:31 | 旅日記
暮れの話題にしてきたことの一つに「キャンプ総括」があります。精力的にキャンプをした五年前、泊まり歩いたキャンプ場、ライダーハウスの印象を振り返ったのが始まりでした。そもそもの発端は歯の矯正治療にあります。まともな飲み食いができなくなり、宿泊して居酒屋へ行く楽しみが減じられてしまったことから、それ以外の部分でも楽しめるキャンプに注力していったのが真相です。つまり、自分にとってキャンプとは、一夜を明かす手段に過ぎず、それ自体に目的はありませんでした。翌年以降キャンプの頻度は次第に減って、今年のテント泊はとうとう一回にまで減少しました。これは、恒例としてきた北海道への遠征が10月中旬に延び、もはやテント泊ができる気候ではなかったこととも関係します。直後に転戦した北陸で、二度にわたりキャンプ場の世話にはなったものの、いずれもキャンプ場から居酒屋へ行くという奇策を採ったため、サイトで晩酌する機会はただの一度もなかったという結果です。いよいよ形骸化してきた感はありますが、今年も順に振り返ってみます。

・天塩弥生駅(北海道名寄市)
上陸二日目の宿としたのが、三年前に連泊した天塩弥生の旅人宿でした。キャンプ総括という趣旨からして、旅人宿まで取り上げることに我ながら違和感はあるものの、その年の総括において例外的に振り返っていることから、今年も同様の扱いとします。
大型台風が東日本に甚大な被害をもたらしたその晩、難を逃れた北海道でも、一部の地域では多少の影響が出そうでした。その予報を受けて旭川から北上するも、早々と日が暮れてしまい、この宿を再訪するか、音威子府でキャンプを張るかの二者択一となりました。薄ら寒い曇り空という、キャンプには今一つの条件だったこともあり、こちらの宿に落ち着くという顛末です。
そのようなわけで、宿を手配したのは夕方になってからでした。当然夕食にはありつけないため、名寄の市街でいただいてから向かうつもりでした。ところが宿の好意により出してもらえることになり、サッポロクラシックの瓶ビールとともに晩酌するという、貴重な機会を再現することができました。

・計呂地交通公園(北海道湧別町)
天塩弥生を出た後は旧名寄本線沿いに東進し、興部からオホーツク海の沿岸を南下しました。紋別での宿泊を挟んだ翌日に泊まったのが、四年ぶりの再訪となった計呂地のライダーハウスです。
その名の通り、かつての湧網線の駅を公園にしたところで、駅舎、ホームが保存され、ホームには機関車と二両の客車が据え付けられます。客車に泊まることもでき、自身は通算三泊したことがあります。しかし、鉄道車両の断熱性が家屋に比べ劣るのか、明け方には意外に冷えることがそのときの経験から分かっていました。そこで今回泊まったのは、駅長の家と称するかつての保線小屋です。寒さこそ前夜ほどではなかったものの小雨が降り、屋外で晩酌できる状況ではなかったため、この選択は結果として正しかったことになります。

・さろまにあん(北海道佐呂間町)
計呂地からは引き続き湧網線の沿線を南下していき、その日のうちに釧路へ行こうと企てました。上陸後の経過を考えると、走りきれるか微妙なところではありました。しかし、10月の後半ともなると、天候が崩れれば峠で雪になりかねません。そうなる前に道東を出るという前提で逆算すると、その日のうちに釧路へ行っておきたかったのです。その目論見はあえなく破綻し、釧路どころか網走にすらたどり着かずに終わったものの、印象的な出来事もありました。その舞台となったのがこちらです。
活動仲間の一人が絶賛していた浜佐呂間の旅人宿です。計呂地に泊まったその晩も、もう一人の仲間からこの宿のすすめを受けました。ただしその時点では、久々に計呂地駅を再訪したいという考えが第一でした。翌日も釧路へ向かうつもりでいたため、泊まる機会はなかろうと思っていたのです。ところが、網走市街にすら至らずに日が暮れたとき、この宿の存在が俄に浮上してきました。たちまち日が暮れて寒くなる北国の晩秋、暗い中を延々走り続けるよりも、手近なところで投宿したい気分になります。とはいえキャンプをするには寒すぎました。網走、北見のいずれかに投宿する手もあるにはあったものの、浜佐呂間まで戻っても決定的な違いまではありません。ならば噂の旅人宿に泊まってみるかと思い立ち、その場で一報入れたのでした。
仲間が絶賛することからして、天塩弥生、計呂地などと同様の、いわば鉄分の濃い雰囲気を勝手に想像していたものの、蓋を開けるとそれほどでもありませんでした。しかし、あの晩キムアネップ岬で眺めた月夜のサロマ湖は実に印象的でした。道中一の名場面になるかもしれないと、その時点では思ったものです。しかし、これに勝るとも劣らない印象的な出来事が翌日以降次々に起こり、今振り返れば長年にわたる渡道歴の中でも出色の旅となりました。ここを境に局面が大きく変わったという点でも、道中を語る上で欠かすことのできない一夜でした。
ちなみに、鉄分低めに感じられたのはたまたまでもあったようです。去り際に、以前泊まった連中の仲間だと打ち明けたところ、その晩は館主を交えてかなり白熱していたと女将に聞かされました。仲間内では来年もやろうという話が持ち上がっているようです。湧網線の跡たどって数十kmも歩くという活動の一環だけに、軟弱者の自分としては辞退の公算大ですが、それはさておきもう一度泊まってみる価値はあるかもしれません。

形骸化もここまで進むと、今更綴る話題もないかと思いきや、旅人宿とライダーハウスの記録だけでもそこそこになりました。残りについては日を改めます。おやすみなさいzzz
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