日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

晩秋の大地を行く - 晩酌

2015-09-22 22:06:27 | 晩酌
買い出しを済ませてキャンプ場に戻りました。出発からの走行距離は610kmで、今日一日ではわずか50km足らずという悠長さです。気温は15度、数字の上では昨夜とほぼ同様ながら、体感温度は今夜の方が寒く、道中初めて長袖を羽織りました。
道内第二夜の献立はこちらです。買い出しには事欠かないはずの留萌に泊まっておきながら、コープで買った缶ビールと見切り半額のローストビーフ、それに国稀で買った酒以外は、今夜も全てセイコーマートで揃えました。セイコーマートでほとんどの調達ができてしまう中、スーパーの存在意義といえば生鮮品、とりわけ刺身にありますが、今日はめぼしいものがなかったからです。先ほど設営場所を変えて炊事場が遠くなったため、今夜も調理器具を必要とするものは一切選びませんでした。キャンプの機会はまだあるため、今日のところはこれでよかろうと納得しています。
献立はこれでよいとして、一つだけ痛いことがあります。昨夜の土砂降りにやられてガスランタンのマントルが破れ、今夜は使い物にならないことです。屋内で10分15分かけて作業すれば交換できるとはいえ、朝から晩まで慌ただしく、その時間さえありませんでした。今後の行程を考えてもそのような余裕が出てくるとは思えず、今回の道中はLEDランタンだけで乗り切ることになるかもしれません。

サッポロクラシック・国稀
フライドチキン
海老しゅうまい
きゅうりの酢の物
ピリリとわさび風味白菜の漬物
ご飯にのっけてうまいパリパリ大根
ピリ辛ザンギ焼きそば
ローストビーフうす切り
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晩秋の大地を行く - 浪華湯

2015-09-22 20:38:31 | 温泉
北海道には古い銭湯のある町が多いような気がします。留萌市街に泊まったこともあり、本日利用するのは銭湯です。市内に二軒ある銭湯から「浪華湯」を選びました。木造モルタル二階建ての看板建築、引き戸をくぐった先にある真鍮の手すりを斜めにつけた扉、木製のコインロッカー、細かいタイルで仕立てた浴槽など、随所に残る昔ながらの造りが秀逸です。

★浪華湯
留萌市開運町2-3-16
0164-42-1275
1500PM-2030PM
6-10月 月曜定休
11-5月 月曜及び金曜定休
入浴料440円
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晩秋の大地を行く - 再設営

2015-09-22 19:40:18 | 北海道
よいことづくめと思っていた留萌のキャンプ場ですが、一つだけ難点があるのに気付きました。近くにある工場から装置の動作音が聞こえて、それが相当耳障りなのです。工場が無人になっていることからすると、場合によっては一晩中無人運転されるのかもしれません。これでは晩酌するにも眠るにしても煩わしいため、設営したテントを一旦解体し、最も離れたキャンプ場の北端に再度設営しました。
炊事棟からはかなり遠くなり、手近な場所にはベンチもないなど、利便性には劣ります。しかし、騒音はどうにか気にならない程度になり、周囲には他のキャンパーの姿もほとんどなく、月が浮かんだ空はより広々して見えます。そしてもう一つのよいところは、瀬越駅を近からず遠からずほどよい位置に見渡せることです。段丘の下にある駅が橙色の照明に浮かび上がる様子が様になっています。北陸本線キャンプ場こと海浜公園キャンプ場が、今春の新幹線開業によりすっかり有名無実化してしまった今、線路が見渡せるキャンプ場としては、こちらの方がむしろ上ではないかとさえ思えてきます。とはいえ、この光景もあと少しで見納めです。一期一会の眺めに出会えたことを幸いに思います。
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晩秋の大地を行く - ゴールデンビーチるもい

2015-09-22 18:33:45 | 北海道
昼の部を瀬越で終えられたのは、いくつかの点で好都合でした。明日の活動を切りのよい留萌駅から再開できるのが一つ。目の前の海岸から、日本海に沈む夕日を見届けられたのが一つ。そしてもう一つは、その海岸が無料のキャンプ場になっていることです。その結果本日の宿は自動的に決まり、只今早々と設営を済ませました。
期間外のため炊事場が使えず、何かと不自由した増毛のキャンプ場に対し、こちらには炊事場と洗面所を一体化した建物が完備されており、晩酌にはおあつらえ向きのベンチもところどころに設置されています。敷地もかなり広大で、端から端まで歩けば数百mにはなるでしょう。留萌ならば買い出しにも事欠かず、何から何までよいことばかりです。
あとは昨夜のような天候の急変さえなければ完璧といったところでしょうか。晴れたり曇ったり、時には雨が降ったりと気まぐれだった昨日の空模様に対し、今日は終始安定した晴天でした。気温は20度をわずかに切る程度と申し分なく、日中強めに吹いていた南風も次第に止み、空には半月が出ています。今夜は心置きなく晩酌できると期待しましょう。
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晩秋の大地を行く - 瀬越駅

2015-09-22 17:39:14 | 北海道
留萌本線の駅めぐりは、図らずも切りのよいところで終了と相成りました。本日最後に訪ねるのは、留萌の一つ手前の瀬越駅です。
増毛駅と並んで、この駅は自分にとって思い出に残る留萌本線の駅の一つです。増毛に行ったのは乗りつぶしを目的にした一度だけだと申しましたが、その手前の区間にはもう一度だけ乗車したことがあります。留萌にできたMOSを訪ねるという、端から見ればどうでもよい目的があってのことです。時期は今回と同じ九月、やはり今日と同じような清々しい秋晴れの一日でした。前後の記憶が曖昧な部分はあるものの、留萌駅で降りてMOSに立ち寄り、その後瀬越まで歩いたとすれば辻褄が合ってきます。なぜ訪ねたかも今となってはあやふやながら、海沿いにあるこの駅で列車を撮ろうとしたのかもしれません。
このように、かなり覚束ない記憶ではありますが、駅の情景は印象的でした。海岸段丘を行く国道から急坂を下りたところにホームだけの無人駅があり、目の前の日本海に夕日が沈もうとしていたのです。そして今回、目の前には奇しくも同じ光景が広がっています。
いかにも撮影向きのように見えながら、いざ写真に撮ろうとしても様にならないことは、当時の経験から分かっています。折しもやってきた増毛行の普通列車は、カメラを構えずこの目でしかと見届けました。遠き日の思い出が甦る一幕です。
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晩秋の大地を行く - 礼受駅

2015-09-22 16:55:50 | 北海道
一つ隣の礼受駅を訪ねます。初見では駅の入口とはまず気付かない、細い砂利道が国道から高台へ斜めに通じ、民家の庭と見紛うような一角に貨車駅舎が鎮座していました。しかし、駅舎の基礎が残っていることからして、かつてはここにも木造駅舎があったのでしょう。眼下に広がる日本海を一望する、風光明媚な駅だったのだろうと想像します。
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晩秋の大地を行く - 阿分駅

2015-09-22 16:41:11 | 北海道
続いて訪ねるのは阿分駅です。小学校の裏の踏切に接する形で「朝礼台」があり、その脇には今日何度か見かけた規格型の待合室が佇んでいます。仮乗降場の雰囲気を色濃く残すこれらの駅も、遅かれ早かれ跡形もなく姿を消す運命です。
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晩秋の大地を行く - 信砂駅

2015-09-22 16:23:37 | 北海道
再び駅に寄りつつ留萌方面へ向かいます。訪ねるのは信砂駅です。鉄骨と鉄パイプを組んで造ったホームと、それに接したスーパーハウスそのままの待合室は見事なまでに味気なく、簡素に見える「朝礼台」も、あれはあれで味があったのだと気付かされます。
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晩秋の大地を行く - 後ろ倒し

2015-09-22 15:58:23 | 北海道
その後増毛駅に戻って駅舎を撮り、すぐさま留萌方面に引き返して、舎熊で上り列車を撮りました。
駅舎は順光ではないながらも、光が側面から当たっており、午前中よりはるかによい条件で撮影できました。見物客の多さはいかんともしがたかったものの、取り付く島もないほどの状況ではなく、どうにか納得しうる画が撮れたのは幸いです。
早々に増毛を出て留萌本線沿線を進み、時間が余れば石狩平野を周遊して、旭川の近辺でキャンプをしようというのが本日の予定でした。ところが、増毛の町を見物し、さらに列車撮影まで始めたことによって、かなり時間が押してきました。日が暮れるまで前進あるのみとはいえ、起点の深川まで行くのはまず無理でしょう。峠を越えて空知側まで行くことができれば沼田でキャンプし、翌日続きにとりかかりますが、それさえできなければ留萌でのキャンプとなる可能性が大です。明日残りを片付けても、実質一日の遅れが出ることになります。予定していた内容の半分も消化できず、一日単位で日程が後ろ倒しになるという、北海道の旅らしい展開になってきました。

ちなみに、先ほどの上り列車は、単行の車内に通路まで立ち客を詰め込んで走り去りました。廃止公表後の連休ともなれば、相当数の乗客が出ることは明らかなわけで、本来なら二両、三両に増結してもよさそうなものです。北海道各地のローカル線が次々姿を消して行った国鉄末期、お別れ列車はどこへ行っても長編成の立派なものでした。それすらできないほどJR北海道は疲弊し切っているのでしょう。留萌本線以前に、この会社の存続自体が危うくなってきたようです。
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晩秋の大地を行く - 増毛小学校再訪

2015-09-22 15:03:03 | 北海道
三駅訪ねたところで下り列車の時間が迫ったため国道の跨線橋に戻り、日本海と留萌市街を背にした列車を狙い通りに押さえました。しかしそれだけでは終わりません。さらに引き返して増毛小学校を再訪します。
実は、先ほど訪ねたときに校舎が逆光となっていて、条件としては必ずしもよろしくなかったのです。あれから三時間ほど経ち、そろそろ正面に光線が回ってくるのではないかという期待がありました。その期待通りに、木造校舎と正面に立つ大木をカメラに収めました。
逆光といえば、増毛駅も午前中は強い逆光で撮りづらかったため、現状がどうなっているか確かめてみる価値はあります。その後時間が経つに連れて見物客が続々訪れ、町を出る間際には駅前の駐車場にも入れない混みようになっており、今行けば先ほどの下り列車で着いた乗車目的の連中が加わっているはずです。よって、駅については撮影に耐えうる状況かどうか疑わしいものの、後がない駅だけに四の五の言ってはいられません。ともかくもう一度駅前に行ってみます。
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晩秋の大地を行く - 舎熊駅

2015-09-22 13:57:34 | 北海道
増毛町内の住宅街だった箸別、ごく小さな集落しかなかった朱文別に対し、郵便局とセイコーマートがあって、少なくとも北海道では「市街」と呼べる規模なのがお隣の舎熊です。かつては木造駅舎もあったようで、その駅舎が建っていた基礎の上には、国鉄末期に量産された貨車駅舎が鎮座しています。
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晩秋の大地を行く - 朱文別駅

2015-09-22 13:34:36 | 北海道
留萌から増毛にかけての駅間は短く、早くも次の朱文別駅が現れました。カーブした線路、板張りのホーム、少し離れた簡素な待合室の組み合わせは、箸別と全く同様です。しかし、こちらは地平の駅という違いがあります。築堤だけは残りそうな箸別と違い、こちらの痕跡はなおさら希薄となりそうです。
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晩秋の大地を行く - 箸別駅

2015-09-22 13:24:02 | 北海道
そのようなわけで、沿線の駅に寄りつつ留萌へ向かいます。増毛の次に現れるのは箸別駅です。
駅とはいっても、留萌から増毛の間に駅らしい駅は皆無に近く、仮乗降場同然、あるいは実際に仮乗降場だった駅ばかりです。箸別も仮乗降場を出自とする駅で、カーブを描いた築堤に枕木の階段が造られ、それを上がったところに「朝礼台」と俗に形容される板張りの短いホームがあります。増毛駅はともかく、こちらは路線が廃止されれば跡形もなく消え去る運命でしょう。訪ねておくなら今しかありません。
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晩秋の大地を行く - 留萌本線

2015-09-22 13:03:03 | 北海道
前泊地に午前いっぱい滞在するという、ありがちな展開となりました。しかし、忘れてはならないのは、本日の主役が留萌本線だということです。増毛の町を出たところで、国道に列車撮影向けの跨線橋があり、折しも列車の通過時刻に重なるという僥倖があったため、始発に次ぐ二本目となる普通列車を仕留めました。
僥倖と申した通り、もともと列車を撮ろうとしていたわけではなく、各駅に立ち寄れれば十分という考えでした。しかしこの好天で、おあつらえ向きの跨線橋まであるということになると、二時間後にやってくる三本目を狙うにもやぶさかではなくなってきます。まずは留萌方面へ駅をたどり、三時前までに戻って来られるようならここで再び列車を撮ります。もちろん、さらによい場所を見つけることができれば、そこで撮るのも一案でしょう。
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晩秋の大地を行く - 増毛小学校

2015-09-22 12:01:00 | 北海道
國稀酒造に勝るとも劣らない名建築が増毛小学校です。ただし、國稀と違うのは、この校舎が現役ではないということです。三年前に閉校となった高校の校舎に小学校が玉突きで入り、戦前に建てられた木造校舎は空き家となったのでした。
木造校舎が貴重となりつつある中、これほどの立派な校舎が全国にいくつ残っているのでしょうか。U字型をした二階建ての本館を中心にして、裏手に体育館、脇に平屋の別棟を置き、渡り廊下でつないだというのが全体の造りです。いずれも無塗装の羽目板で仕上げられ、特に本館と体育館の威容には感嘆させられます。ただ大きいだけではなく、正面の左右と中央に三角形のファサードを造り、左右のファサードには明かり取りの窓を、中央のファサードには校章と丸時計を配するといった意匠が秀逸。二重になった木のサッシと、側面から立ち上がるコンクリート製の煙突からは、日本海の風雪の厳しさが偲ばれます。
かくも立派な校舎ではありますが、今では訪れる人もなく静かに眠っており、中央の玄関と向かい合う大木だけを話し相手にしているかのようです。一段下がった場所にある校庭は草むし、片隅にある職員用と思しき住宅はもぬけの殻。まさに「兵どもが夢の跡」というべき光景です。
これだけの名建築を、風雪にさらされ朽ちて行くままにするにはあまりに惜しく、どうにか活かす手段がないものかと考えたくなるのは人情です。そうしたいのはやまやまながら、あまりに巨大すぎて維持できないのでしょうか。だからといって、なまじ観光地化されてしまえば、この校舎の価値も減じられてしまうわけです。朽ちて行くのは惜しい、しかし下手に変わってほしくはないという、何とも複雑な心境にさせられます。
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