留萌本線の駅めぐりは、図らずも切りのよいところで終了と相成りました。本日最後に訪ねるのは、留萌の一つ手前の瀬越駅です。
増毛駅と並んで、この駅は自分にとって思い出に残る留萌本線の駅の一つです。増毛に行ったのは乗りつぶしを目的にした一度だけだと申しましたが、その手前の区間にはもう一度だけ乗車したことがあります。留萌にできたMOSを訪ねるという、端から見ればどうでもよい目的があってのことです。時期は今回と同じ九月、やはり今日と同じような清々しい秋晴れの一日でした。前後の記憶が曖昧な部分はあるものの、留萌駅で降りてMOSに立ち寄り、その後瀬越まで歩いたとすれば辻褄が合ってきます。なぜ訪ねたかも今となってはあやふやながら、海沿いにあるこの駅で列車を撮ろうとしたのかもしれません。
このように、かなり覚束ない記憶ではありますが、駅の情景は印象的でした。海岸段丘を行く国道から急坂を下りたところにホームだけの無人駅があり、目の前の日本海に夕日が沈もうとしていたのです。そして今回、目の前には奇しくも同じ光景が広がっています。
いかにも撮影向きのように見えながら、いざ写真に撮ろうとしても様にならないことは、当時の経験から分かっています。折しもやってきた増毛行の普通列車は、カメラを構えずこの目でしかと見届けました。遠き日の思い出が甦る一幕です。
増毛駅と並んで、この駅は自分にとって思い出に残る留萌本線の駅の一つです。増毛に行ったのは乗りつぶしを目的にした一度だけだと申しましたが、その手前の区間にはもう一度だけ乗車したことがあります。留萌にできたMOSを訪ねるという、端から見ればどうでもよい目的があってのことです。時期は今回と同じ九月、やはり今日と同じような清々しい秋晴れの一日でした。前後の記憶が曖昧な部分はあるものの、留萌駅で降りてMOSに立ち寄り、その後瀬越まで歩いたとすれば辻褄が合ってきます。なぜ訪ねたかも今となってはあやふやながら、海沿いにあるこの駅で列車を撮ろうとしたのかもしれません。
このように、かなり覚束ない記憶ではありますが、駅の情景は印象的でした。海岸段丘を行く国道から急坂を下りたところにホームだけの無人駅があり、目の前の日本海に夕日が沈もうとしていたのです。そして今回、目の前には奇しくも同じ光景が広がっています。
いかにも撮影向きのように見えながら、いざ写真に撮ろうとしても様にならないことは、当時の経験から分かっています。折しもやってきた増毛行の普通列車は、カメラを構えずこの目でしかと見届けました。遠き日の思い出が甦る一幕です。
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