消灯までわずかな時間を残して夜桜見物を切り上げ、呑み屋街に繰り出しました。二軒ある教祖の推奨店を差し置いて訪ねたのは「河岸や」です。教祖の推奨店をも素通りしたからには、よほど嗅覚に訴える店だったのかとお思いかもしれません。しかし、この店を選んだ理由は違うところにありました。
順を追って申しますと、米沢で呑むという自身にとって初の、なおかつ貴重な機会であることに鑑み、まずは夜桜見物に先立って教祖の推奨店を下見し、さらには呑み屋街を一通り歩いて、他にめぼしい店がないかどうかを探りました。その結果最も直感に響いたのが、上杉神社にほど近い路地裏にある一軒の小料理屋でした。夜桜の見物客が行き交う上杉神社の濠端から細い路地へ入ると、およそ飲食店などなさそうな生活道路に面して、小料理屋と割烹が向かい合っていたのです。こんな場所に行きつけの店ができれば最高だろうと思うような、実に情緒のある佇まいでした。そこでしばし思案を巡らせた結果、比較的敷居の低そうな小料理屋を一軒目に選び、期待通りの店ならばそのまま腰を据えて、万一外した場合は手堅く教祖の推奨店に移るという戦術を立てたわけです。しかし、このような行動は「策士策に溺れる」の典型に終わりましたorz
というのも、その小料理屋というのが、風情のある店構えとは裏腹に、実態としてはスナック同然の店だったのです。要は、常連客がママを相手にくだを巻いたりカラオケで唄ったりする場所であり、酒と肴を楽しむ居酒屋とはまるで異質な場所だったということです。これでは自分が楽しめるはずもなく、レンジで燗した酒一本と、最小限の肴だけをいただいて退散しました。飛び込んだ酒場が期待外れだったという経験が数ある中でも、これほど見事に外したのは初めてのような気がします。しかも誤算はこれだけでは終わりません。次いで向かった「加津」の明かりは無情にも消えており、もう一軒の「のり蔵」も同じく看板という始末。やはり教祖の導きに従うべきだったか、それとも向かいの割烹にすべきだったかと後悔しても後の祭り、店選びは振り出しに戻りました。このような状況に至って浮上してきたのが、呑み屋街を歩いたときに目星を付けておいた「河岸や」だったという次第です。
あらかじめ目星を付けておいたからには、直感に訴えるものがいくつかあったのは事実です。しかしながら、いくつか外した末に流れ着いたという経緯からもお分かりの通り、この店に対して過剰な期待をしていたわけではありません。まず違和感を覚えたのは、トロ箱と一升瓶で飾り付けた、いかにも若い店主が造ったと思しき店構えです。全国津々浦々の地酒と、魚介を中心にした豊富な品書きからして、ある程度の期待はできるでしょう。しかし、酒も肴もよりどりみどりで万人受けしそうなところが、都会にあってもおかしくない店に映ったとでも申しましょうか。「米沢で呑む」という目的に照らした場合、この店が唯一無二の存在とは思えず、余力があれば最後に寄るといった程度に考えていたわけです。それがやんごとなき事情により、事実上唯一の選択肢となったわけなのですが、結果としてはこれが今までの敗北感を吹き飛ばすほどのよい店でした。
玄関をくぐると左手に折れ曲がったカウンターが六席分、奥にテーブルがいくつか置かれ、ざっと20人少々も入れば満席という店内を、丸刈りの若い店主と助手が差配します。目の前に貼り出された日替わりの品書きは、屋号の通り魚介中心。酒田のガサエビなど県産、東北産を主役に据え、他にも「くきたち」なる聞き慣れない山菜など、季節に応じた地場の食材を織り交ぜるところは心憎いものがあります。そのガサエビの頭は揚げた状態で供され、刺身と頭で二度おいしく、なおかつ酒の肴としても好適です。
酒の品書きもあるにはあるものの、冷蔵庫には品書きにない一升瓶がいくつも並んでいます。ここは店主に任せるのが吉とみて、県外から来たことを有り体に伝え、地酒をいくつか見繕ってもらうことにしました。冷酒は錫を叩いた器に注がれ、燗酒はカウンターに埋め込んだ湯煎の燗付け器で温められるなど、酒の注ぎ方一つとっても只者ではありません。これはとりもなおさず、店主が酒好きかつ居酒屋好きということでもあり、一家言を聞くうちにすっかり意気投合。酒、肴、器、居心地のどれをとっても申し分ない名店の出現により、一軒目の敗北は完全に取り返しました。しかもそれが自ら探り当てた店というところに一層の価値があります。この店に出会えただけでも、今回米沢に泊まった甲斐はあったといえそうです。
★河岸や
米沢市中央1-4-15
0238-40-0252
1800PM-100AM(日曜定休)
上喜元・飛露喜・磐城壽・錦爛・麓井
お通し二品(いかげそ・菜の花)
ガサエビ
カサゴ
くきたち
カニクリームコロッケ
順を追って申しますと、米沢で呑むという自身にとって初の、なおかつ貴重な機会であることに鑑み、まずは夜桜見物に先立って教祖の推奨店を下見し、さらには呑み屋街を一通り歩いて、他にめぼしい店がないかどうかを探りました。その結果最も直感に響いたのが、上杉神社にほど近い路地裏にある一軒の小料理屋でした。夜桜の見物客が行き交う上杉神社の濠端から細い路地へ入ると、およそ飲食店などなさそうな生活道路に面して、小料理屋と割烹が向かい合っていたのです。こんな場所に行きつけの店ができれば最高だろうと思うような、実に情緒のある佇まいでした。そこでしばし思案を巡らせた結果、比較的敷居の低そうな小料理屋を一軒目に選び、期待通りの店ならばそのまま腰を据えて、万一外した場合は手堅く教祖の推奨店に移るという戦術を立てたわけです。しかし、このような行動は「策士策に溺れる」の典型に終わりましたorz
というのも、その小料理屋というのが、風情のある店構えとは裏腹に、実態としてはスナック同然の店だったのです。要は、常連客がママを相手にくだを巻いたりカラオケで唄ったりする場所であり、酒と肴を楽しむ居酒屋とはまるで異質な場所だったということです。これでは自分が楽しめるはずもなく、レンジで燗した酒一本と、最小限の肴だけをいただいて退散しました。飛び込んだ酒場が期待外れだったという経験が数ある中でも、これほど見事に外したのは初めてのような気がします。しかも誤算はこれだけでは終わりません。次いで向かった「加津」の明かりは無情にも消えており、もう一軒の「のり蔵」も同じく看板という始末。やはり教祖の導きに従うべきだったか、それとも向かいの割烹にすべきだったかと後悔しても後の祭り、店選びは振り出しに戻りました。このような状況に至って浮上してきたのが、呑み屋街を歩いたときに目星を付けておいた「河岸や」だったという次第です。
あらかじめ目星を付けておいたからには、直感に訴えるものがいくつかあったのは事実です。しかしながら、いくつか外した末に流れ着いたという経緯からもお分かりの通り、この店に対して過剰な期待をしていたわけではありません。まず違和感を覚えたのは、トロ箱と一升瓶で飾り付けた、いかにも若い店主が造ったと思しき店構えです。全国津々浦々の地酒と、魚介を中心にした豊富な品書きからして、ある程度の期待はできるでしょう。しかし、酒も肴もよりどりみどりで万人受けしそうなところが、都会にあってもおかしくない店に映ったとでも申しましょうか。「米沢で呑む」という目的に照らした場合、この店が唯一無二の存在とは思えず、余力があれば最後に寄るといった程度に考えていたわけです。それがやんごとなき事情により、事実上唯一の選択肢となったわけなのですが、結果としてはこれが今までの敗北感を吹き飛ばすほどのよい店でした。
玄関をくぐると左手に折れ曲がったカウンターが六席分、奥にテーブルがいくつか置かれ、ざっと20人少々も入れば満席という店内を、丸刈りの若い店主と助手が差配します。目の前に貼り出された日替わりの品書きは、屋号の通り魚介中心。酒田のガサエビなど県産、東北産を主役に据え、他にも「くきたち」なる聞き慣れない山菜など、季節に応じた地場の食材を織り交ぜるところは心憎いものがあります。そのガサエビの頭は揚げた状態で供され、刺身と頭で二度おいしく、なおかつ酒の肴としても好適です。
酒の品書きもあるにはあるものの、冷蔵庫には品書きにない一升瓶がいくつも並んでいます。ここは店主に任せるのが吉とみて、県外から来たことを有り体に伝え、地酒をいくつか見繕ってもらうことにしました。冷酒は錫を叩いた器に注がれ、燗酒はカウンターに埋め込んだ湯煎の燗付け器で温められるなど、酒の注ぎ方一つとっても只者ではありません。これはとりもなおさず、店主が酒好きかつ居酒屋好きということでもあり、一家言を聞くうちにすっかり意気投合。酒、肴、器、居心地のどれをとっても申し分ない名店の出現により、一軒目の敗北は完全に取り返しました。しかもそれが自ら探り当てた店というところに一層の価値があります。この店に出会えただけでも、今回米沢に泊まった甲斐はあったといえそうです。
★河岸や
米沢市中央1-4-15
0238-40-0252
1800PM-100AM(日曜定休)
上喜元・飛露喜・磐城壽・錦爛・麓井
お通し二品(いかげそ・菜の花)
ガサエビ
カサゴ
くきたち
カニクリームコロッケ