日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

世知辛い世の中 2013春

2013-04-18 22:39:40 | 旅日記
年度末に際し、フィルム写真派にとってまたしても痛い知らせが入ってきました。富士フイルムによる値上げと一部製品の販売終了が発表されたのです。自身に関わりのあるところでいうと、主力のプロビア100Fに次いで愛用していたベルビア100Fが9月までに出荷終了となり、残るプロビア100Fについても今月から一本当たり200円近い値上げとなります。デジタル写真の普及により、年を追うほど先細りが続いていたフィルム写真ですが、これほど大幅な値上げとラインナップの縮小はありませんでした。度重なる値上げと分煙化で追いやられる愛煙家のような肩身の狭さを感じています。
もっとも、「一箱千円でも吸う」などと公言してはばからない愛煙家と同様、私自身この程度の値上げでフィルム写真を見限るつもりはなく、フィルムが生産される限りは撮り続けるつもりでいます。格好をつけていうなら、フィルム写真は一つの文化だと考えるからです。

フィルム写真に対するデジタル写真の利点がいくつかある中でも、少なからぬ人がいの一番挙げるのは、「撮った画像をその場で確認できる」ということではないでしょうか。これは、一発勝負の列車撮影ならともかく、絵柄や露出が意図した通りでなかった場合にはその場で撮り直しがきくということでもあり、私自身、二年前にデジタルを使い始めてからというもの、何度となくその恩恵にあずかってきました。
しかし、いわゆる「一発録り」にも通じる楽しみがフィルムに存在するのは事実であり、「便利さ」と「楽しみ」はあくまで別物と実感します。多少光量が落ちても感度を上げれば撮影できること、色温度の補正が要らないことなども、あくまで「便利さ」の表れに過ぎないのであって、本来なら早めに三脚を立てるなりフィルターを使うなりして対応すべきことです。デジタル写真でしかできない楽しみといえば、撮った画像を自由自在に加工することだけではないでしょうか。目の前の光景を記録するという目的の範囲内では、デジタル写真が優れているなどということは決してないというのが実感です。
経年劣化がないというデジタルの特徴についても、最近では懐疑的になってきました。というのも、「保存性」という観点から捉えた場合、デジタル写真の危うさというものが明確になってきたからです。デジタル写真を撮る方なら、メモリカードやハードディスクが壊れて撮った画像が全滅したという経験を、誰でも一度や二度は経験したことがあるのではないでしょうか。私自身、メモリカードが損傷して読み取り不能になり、五万円以上もかけて修復する羽目になったことがあります。これがフィルムなら、自宅が火事で全焼でもしない限り、フィルム何本、何十本にも相当する画像を一度に失うことはありません。そんな不測の事態に備えたバックアップという観点からしても、私自身はデジタルで撮ったものをフィルムでも記録するようにしています。極論すれば、デジカメの役割とは、絵柄と露出を事前に確認することと、フィルムで撮るには値しないつまらぬ写真を記録することの二点にあるというのが現在の位置づけです。

デジタル写真が便利さはもとより画質の面でもフィルムを凌駕するようになって、フィルム写真を撮る者など変わり者扱いされかねない今日ですが、幸か不幸か私は紛れもなくそのような変わり者の一人です。デジタルオーディオがどんなに普及しようともレコードがなくならないのと同様、「便利さ」を犠牲にしても余りあるほどの「楽しみ」がある以上、フィルム写真はなくならないでしょう。ベルビア100Fで撮れる桜は今年が最後、値上げ前に買いだめたフィルムで余すことなく記録したいと思っています。
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