牛込日乘

日々の雜記と備忘録

橋本治『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』(集英社新書・2017年2月)

2017-02-23 00:01:52 | Weblog

超久しぶりに橋本治の本を読んで得心するところがあったので、超久しぶりに書き込もう。

*** 備忘メモ ***

 グズグズしてなんにも決まらないから「決断力」ってことを言われて、「強いリーダー」が望まれるようになっちゃった。独断でなんでも変えられるのが「強いリーダー」なら、それは「ファシズムでもいい」ってことですよ。どうしていいかよく分からなくなって方向を見失っているのは、日本だけじゃなくて世界的傾向だから、へんにイデオロギッシュな「強いリーダー」はあちこちで出て来る。アメリカのトランプとかね。 (p. 134)


 …昭和って実質は、「復興経済の時代」なんですよ。その初めは大正末の関東大震災からの復興で、続く昭和の前半は「このまま西欧列強の帝国主義に負けるわけにはいかない」って戦争を始めて、それが敗戦という形で破綻する。で、負けたら今度は「復興しなくちゃ」ってことになるから、戦後は基本的に「復興経済」なのね。
 ただ、本物の戦争と違って今度は「経済の戦争」だから、日本は負けないの。なにしろ、焼け野原から新しい社会を作るんだから、なにも失うものはない。後はともかくどりょくすりゃいいんだもん。 (pp. 100-101)


 …八〇年代までの日本って 「地動説」なんだよね。まず最初に「社会」があって、その上に人間が乗っかっている。個人は社会の一部で、自分は復興を成功させるために働くんだと、ごく自然に思えたんです。
 ところが 、八〇年代に入ると、もう豊かな社会が出来上がってしまっている。それが当然の環境で育った若い人は、自分たちが汗水垂らして社会を作ろうなんて意識はなくなる。自分の幸せのために社会があるっている、自分中心の「天動説」になったんです。 (pp. 137-138)

 …論理って一種類じゃないんですよね。「心のある論理」と「心のない論理」の二種類があるんですよ。…
 昔は「心のない論理」ってなかったの。つまり、人間のあり方からしか理屈って生まれなかったんです。それが地動説から天動説に変わって、人間と社会の関係がぶち切れてしまって「社会の中での人間のあり方」なんてものが、どうでもいいものになってしまった。それで、頭の中で考えられただけの「心のない論理」ってものが生まれたんですよ。
 …官僚の言葉ってほとんどの場合「心のない論理」なんですよね。言葉は間違っていないし、論理としても実に整然としているんだけど、明らかに間違ってる。中身がないから、なにを言いたいのか理解できないっていう。
 でも、このことは本当に分かりづらい。二つの違いは何ですかって聞かれても、説明できないんですよね。なぜかというと、「心のある論理」で生きる人は「心のない論理」が理解できなくて、「心のない論理」で生きる人は「心のある論理」が理解できない……。だから、その二つは決して交わらないんですよね(笑)。  (pp. 164-165)

 もう一つ間違いやすいものに、「心の論理」ってのもあるんですよね。…
 「心の論理」っていうのは、いわば「きれい事の論理」であり、同時に「欲望の論理」なんですよね。「心」ってのは「自分の中にあるもの」だけど、余分な「その他」を扱えるかどうかも、「心」の問題だよね。  (p. 166)

 「心のない論理」や「心の論理」で生きる人たちは、自分が絶対に正しいと思っているんだよ。でも、「心のある論理」の人は、自分の正しさを相手に認めさせたいわけでもないんだ。 (p. 168) 

<続く> 

 


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