牛込日乘

日々の雜記と備忘録

金子光晴「絶望の風土・日本」(一九六五)より

2015-06-22 23:06:42 | Weblog

 突っ立った岩や、ねそべった岩が、まわりの海を拒絶し、はねつけている。海は見わたす限り凪ぎわたっているが、日本から外へ出ようとするものの意志をはばみ、また、破壊や混乱や、過剰な刺激を外から運んでくる、外国の船舶の近寄るのを警戒していた。

 そのために、長い年月日本人は、海のかなたに、国々のあるのを忘れていた。忘れていないまでも、無関心でいた。拓本や薬、文房具などを日本へ運ぶ朝鮮や、中国をのぞいたら、ほかの土地は蛮族の住家だとおもいこまされていた。「民をして知らしむべからず」の政策の、それも一つのあらわれである。江戸時代は、この政策で、三百年の平安の夢を見たが、日本人の性格はそのためゆがめられた。「見ざる。言わざる。聞かざる」の消極的な小天地のなかで、よそへは通用しない、横柄で小心、悟りすましているようで勘定高い、ちぐはぐな性格ができあがった。性格ばかりでなく、すわりつづけてばかりいるので、胴長の、足の曲がった、奇型な体質までつくりあげた。

 今日の日本人のなかにも、まだ残っている、あきらめの早い、あなたまかせの性格や、「長いものには巻かれろ」という考えからくる、看板の塗替えの早さ、さらには、節操を口にしながら、実利的で、口と心のうらはらなところなどは、江戸から東京への変革のあいだを生き抜けてきた人びとの、絶望の根深さから体得した知恵の深さと言っていいものだろうか。

 日本人として生まれてきたことは、はたして、祝福してよいだろうか。悲運なことなのだろうか。その答えは、だれにもできないことであろう。しかし、僕が、防波堤や、虫食った岩礁の上に立って、黒潮の渦巻くのをながめながら、「とうてい、逃げられない」と感じたことは、日本がむかしのままの鎖国状態とあまり変わらないことへの絶望とみて、まちがいはないだろう。

金子光晴『絶望の精神史』 (講談社文芸文庫、一九九六)所収


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