牛込日乘

日々の雜記と備忘録

2015年仕事始め

2015-01-05 21:53:34 | Weblog

 昨年は肉体的にも精神的にも多忙を極め、ここはほとんど放置状態だったのだが、そしてこのまま行けば今年はさらに忙しくなるのがほぼ確定しているのだが、とりあえず新年の所感を。

 年末は三〇日まで出社、三一日に年賀状を片付けようと思っていたところ、ついに発熱してダウン。年が明けてから仕事で必要な賀状を二五〇枚、自宅用を一〇〇枚ほど印刷し、二日から三日まで佐久に帰省した間も合わせ、コメントを書き入れては投函するの繰り返しで休みも終了。仕事用の方は、とにかく出すことに意味があるという、まあほとんど選挙運動のようなもので、さすがにこれは一一月くらいから少しずつ進めておくべきではあった(年賀はがきは当然会社から支給される)。とはいうものの、これまで在籍したことのある会社ではここまで「社交」に熱心なことがなかったので、三年目になるとはいえ、どうも身に染みていないのであった。

 今日は仕事始めではあったが、全社員合同の新年会(昼間から大量のアルコールあり) だったので実質的な仕事はほとんどせず。エライ人の挨拶で「今年は創業六五年を迎え…」などと言っていたのを聞き、ちょっと意外な感じがする。私が子供の頃に読んでいた本は、まだ会社ができて三〇年も経っていない頃に発行されたものだったということか。今時珍しい昭和な文化の会社なのでずいぶん歴史があるような気がしてしまうが、実際はそうでもない。

 ただし、商売をめぐる環境がこれだけ変わっているのにも関わらず、組織形態やいわゆる年功序列的な人事制度もほぼ古き良き昭和のそれを引きずっているので、かなり歪みが出てきていると(外部から来た私のような人間には)思われる。業界自体がドメスティックかつ参入障壁が高いので、プレイヤーは何十年もほとんど変わっておらず、いわば鎖国状態の中で昔ながらの国盗り合戦に明け暮れている感じである。ただし、領土(つまり市場規模)はすでに全盛期からほぼ半減しており、これがこれから拡大することは全くありえない。その他諸々の環境変動要因も見え始めているので、このままずっと同じことを繰り返していくつもりなのだろうかと本気で心配になる。

 社員は元学校優等生が多いせいか皆マジメで、まるで戦時中の勤労奉仕の生徒のように、自己を犠牲にして献身的に働いている。それは、幸か不幸か、民間企業としてのゴールである売上や利益といった数値的な指標に追われてのものだとは思われない。私が見るところ、そこに最も強く働いているのは、はやはり日本的・ムラ社会的な相互監視システムのようなもの(自覚や悪意はないにしても)であり、ドライな数値的管理も、またメタレベルでは本当は最も必要なのだと思われる精神の自由さというものも、残念ながらあまり感じられない(エライ人たちは否定するだろうが)。こうした数値的な(言い換えれば客観的な)評価軸と精神の自由さが欠如しているという状態は、実は私の勤務先だけでなく日本社会全体ともシンクロしているように思われる。


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