一六日で娘が無事に四歳の誕生日を迎えた。このブログを始めたのも娘の成長を記録しておこうと思ったのが発端ではあったが、当然ながら子供がいる生活が日常になるとそうそう記録すべきことが起こるわけでもなく、いや、面白いことは喋れるようになった今の方がむしろ多く起きているのだが、忙しさを言い訳に「当初の高揚感を持続できるわけでもなくなってくるのでね」などと嘯き始める始末なので、やはり少しは自分の身を省みた方がよいのかもしれない。
ゼロ歳児から保育園に通っていると、自分の子供だけでなく同じくらいの子たちの成長を目にする機会も多く、それはそれで微笑ましい。近所を歩いていると、ついこの前までよちよち歩きだった気がしていた子から「○子ちゃんのパパ!」と声を掛けられることが頻繁にあり、悪いことはできませんなあと思ったことである(別にしてませんがね)。
昨日この四年間でいろいろなことが変わってしまったと書いたのは、具体的には娘が生まれたときには邪心もなく物心両面でお祝いをいただいた多くの人の中にも、(鬼籍に入ってしまった方々も含め)すでに何人も自分の生活圏内にはすでにいない、あるいはこれから生涯会うことも連絡を取り合うこともないだろうという人々が結構いることに気づかざるを得なかったということである。ただ単に会っていないがずっとつながっている感覚の人々も多く、あえて慨嘆するつもりもないのだが。ともかくも各方面から色々とお祝いもいただき、有り難い限り。この場を借りて御礼申し上げます。
ゼロ歳児から保育園に通っていると、自分の子供だけでなく同じくらいの子たちの成長を目にする機会も多く、それはそれで微笑ましい。近所を歩いていると、ついこの前までよちよち歩きだった気がしていた子から「○子ちゃんのパパ!」と声を掛けられることが頻繁にあり、悪いことはできませんなあと思ったことである(別にしてませんがね)。
昨日この四年間でいろいろなことが変わってしまったと書いたのは、具体的には娘が生まれたときには邪心もなく物心両面でお祝いをいただいた多くの人の中にも、(鬼籍に入ってしまった方々も含め)すでに何人も自分の生活圏内にはすでにいない、あるいはこれから生涯会うことも連絡を取り合うこともないだろうという人々が結構いることに気づかざるを得なかったということである。ただ単に会っていないがずっとつながっている感覚の人々も多く、あえて慨嘆するつもりもないのだが。ともかくも各方面から色々とお祝いもいただき、有り難い限り。この場を借りて御礼申し上げます。
成長するのがひとしお楽しみでしょうね。
こどもって日々、充実してるしなあ。見てるだけで面白い。
しかし。人と出会い別れていくのは仕方ないっス。
花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ
というのは本当じゃのう……と最近、わたしもよく思います。
人生が儚いと思うなんて、今が充実してないからだとも思うが。
致し方ないっス(いや、そんなことないね…)。