…というわけで本日誕生日を迎えたわけだが。
先日亡くなった吉本隆明が八七歳だったとのことなので、このまま無事に過ごしても人生の折り返し地点はほぼ曲がっているのだろうな、という自覚はありつつ、十年前、二十年前を思い返してみると、確実に忙しさ、慌ただしさは増しているのだが、何というか、肩の力はかなり抜けている。
Facebook上の高校の同窓会組織に入っていて、最近、読むともなしに大学生くらいの人たちのパーソナルなつぶやきに触れることがあって、使っている言葉は違えど今も昔も変わらない、主に自意識に起因する悩みに四苦八苦したりするのは、もちろん若者の特権たる世間値の欠如ということもあるのだが、やはりそれに耐えうるだけの体力があるからなのであるなあ、無駄に力を使っても疲れないというのは素晴らしいなあ、と感慨を新たにするのであった。
それにしても、多くの人がツイッターなどで実名で何気なくいろいろな書き込みをしているようだが、あれはネット上に半永久的に記録されているわけで、幾十年か経った後にそれを見たり見られたりするというのは相当恥ずかしいだろうなあ、と、自戒を込めて思ってみたりする。あるいは、過去、もっと言えば自分が発した言葉に縛られ、呪われるというおそれがより強い時代になっているということでもあろう。思い切り卑近なたとえで言えば、いい年になってから「あの部長、あんなエラそうなこと言っててもさ、若い頃はこんなイタいことつぶやいてたんだぜ。ほら」とか陰で言われるのはなかなか辛いものがあるということだが。
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「デジタルには過去も未来もないやうな」 ポツリと言ひてはや寝入りけり
(竹下奈々子、一九八八年)
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