Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

「支部だより」の編集準備

2012-02-13 21:16:24 | Weblog

 鉄道OB会の情報誌として、四半期ごとに「支部だより」を発行している。次回は4月1日発行のもので、その準備にそろそろ取り掛からなければならない。紙面のレイアウトから、記事の内容、広告、印刷から配布までOB役員が手分けして行っている。まず2月の月例部会までに、大まかなレイアウトを決め、その各々の編集担当を決める。そして3月の月例部会には「支部だより」の素案をつくり、多少の修正の後印刷する。そして4月1日に各会員の手元にに届けるようにしている。

 この作業は、大きな労力が必要であり、役員の負担になっている。しかし10年ほど続いたものであり、これが活動の原点であり、何とか続けようとしているのが現状である。2月22日がOB会の月例部会であり、午前中大凡のレイアウトをつくった。その紙面に、OB会員で「地域で活躍している人」を紹介する欄がある。その個人に約1000字程の、原稿を書いてもらい掲出すことになっている。それと「JRの関連会社」を紹介する欄もある。これも800字程度で纏め写真など添付するものである。これについては前もって、掲出について依頼しなかればならない。この依頼文作成して届けることにした。

 依頼するのは「地域で活躍している人」は駿河区の某町内会長のMIさんと「JRの関連会社」は某不動産の静岡支社である。事前に電話を入れると大筋了解をもらった。午後5時ごろ、訪ねて行くと、MIさんは「これから町内の集会があるので、丁度良い時来てくれた」と、書面を受け取ってくれた。3月15日に受け取りに伺うことを話し、次の某不動産に向かった。この所在地は今まで分からなかったが、我家から歩いて15分ほどの近くで、APITAグルメ館の3階にあった。JR関連企業は、駅周辺にあるものと思っていたが、静岡地区の関連不動産が集中するこの場所にあった。

 支社長に会って話したが、気さくな方で直ぐ引き受けてくれた。彼はJR時代静岡に在住したのは、ほんの一時期であり大阪地区が長かったと言った。JR時代関連事業関連が長く、鉄道の本業からは離れたところで仕事をしていた。それ故私と同類の仕事をしていたが、互いに知らないで来た。そんな話になり、現在は静岡に在住し、且つJRを退職していることから、OB会に入ることを進めた。即答はもらえなかったが、原稿が出来た3月15日までには、はっきりすろことを約束した。私と一回り程離れていて若いが、仕事をしているので目が輝いていた。