母の死で休んでいたピアノ教室に昨年4月から再び通い出した。最初はピアノが弾けたらと始めたが、今はボケ防止の為と云っていい。この発表会が2月28日市内アゼリアで行われた。弾いた曲はバッハ・グノー作曲の「アベマリア」である。先生からは「貴方にはレベルが高いので、もっと易しい曲にしたら」と云われたが、どうしても弾きたいと云い何とか承諾してもらった。そのようなこともあり自分なりには集中して練習してきたつもりであった。しかし今日午前中数回弾いたが、何処かで閊えてしまい完成度はまだ低い状態で発表会に臨んだ。
今日は知って人は来ていないし、何とかなるだろうと思った。先生からは「始まる前一時間ほどは練習できますから、午後一時ごろには来てください」と云われていた。行くとピアノを舞台に出したり、椅子やてテーブルを並べたりの準備があった。それが終わった後、大人5人はピアノで練習した。私も4番目に弾いたが、途中間違えたりして上手くは弾けなかった。先生から「まだ後の人がいますので、譲ってください」と云われたが、そんなに長く弾いているとは思はなかった。それだけ閊えるところが多かったのだ。
午後2時になり、客席の前列の隅に座って子供たちが弾くのを聴いていた。ふと後ろを振り返ると、保険外交員の女声と目が会った。先日保険のことで我家に来てくれたとき、発表会があることを話してしまったのだ。そして受付に花束を持って来たことを知った。それはそれで嬉しかったが緊張した。休憩が10分ほどあり、子供の年長者と、大人5人の演奏が始まった。私は最後から4番目の18番目に行うことになった。自分の演奏時間が段々近づくと胸がドキドキしてきた。この状態では間違えるのは目に見えてきた。舞台横で前のISIさんの演奏を聴いた。彼は何も間違えることなく弾き終えた。そして私は舞台に立った。事前に姿勢のこと、足の位置、強弱のメリハリを効かせた演奏など考えていたが、ピアノの前に座ると鍵盤以外にことはすべて忘れた。
それでも最初は上手く弾き出したが、今まで失敗したことがなかった中間部で指が止まってしまった。焦ったがまた最初に戻るのはしないようにし、何とかその部分から弾き出した。最終章の盛り上がりを意識することなく演奏は終わった。舞台でピアノに向かうと平常心で弾けない自分がもどかしかった。頭を抱えながら舞台から降りたが、終わった安堵感を感じていた。誰かが「子供達はリラックスして弾いていたが、大人達は緊張してましたね」と云ったが、これは私に云っているように思えた。最後に先生がリスト作曲「愛の夢」を演奏してくれたがそれは素晴らしかった。