Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

町内運動会の準備

2010-04-29 23:25:00 | Weblog
 平成22年度の町内会は副会長は降り、本部役員として残るようになった。
当面の行事として、町内の運動会が5月9日に計画されている。この打ち合わせが4月29日PM6時30分から前会長の家で行われた。これは最終打ち合わせであり、役員全員が揃った。
 前会長のSさんは碁会所を経営していて、前年度の役員会等は、この場所を借りることがよくあった。公民館が1、2丁目の共有の建物としてあるが、その場所が1丁目の中にあり2丁目からは、遠い所となっている。人数が少ない会議等はここを借りて行っていた。
 新体制になっても、この考えは同じで、前会長の厚意でここを借りることになった。
前回の会合に出席出来なかったが、既に役員の役割等は決められていて、私は庶務担当となっている。運営上の手続とか、景品の受け渡し等をやるよう言われた。
 昨年は大会副会長として、準備から実施そして跡整理まで気が抜けなかったが、今回はあまり気を使わなくても良さそうである。
 既に景品等の準備は出来ていて、当日使うテント等小道具の確認、その運搬手順も出来ていた。後は当日雨が降らないことを願うだけである。
 今回の参加者は、106戸220名が参加することになっている。これは昨年より増えているとのこと、みんなの努力が浸透してきていることを感じた。
 あとは細かい、プログラムの確認や、ペアーゲームで行うカードの作成、福引券づくり、年代別の人員把握等を行った。年代別人員は何故必要なのかと思ったら、幼児、成人の大人、それに65歳以上に分けて、出場する項目が決まっていて、各年代の人が平等に出られるよう、プログラムが出来ているので、分けて集計しているとのことであった。
 これで最終確認が出来た。前祝にと酒が出された。ちょうど新会長が、宮崎県産の焼酎「百年の孤独」を持ってきてくれて、これを呑んだ。
 このアルコール度数は40度で、焼酎と言うよりブランデーと言った高級酒の香りがした。
 私も現職時代に、九州支店長のMさんに、無理を言って何本かを注文したことがあった。中々手に入らない焼酎であった。それを手に入れたときはMさんに感謝して、静岡の酒を送ったことを思い出した。その焼酎は人にあげたり、会社で飲んだりして、いつの間にかなくなった。その刺激ある香りは忘れられなかった。
 久しぶりに飲んだが旨かった。これが効いたのか舌も滑らかになり、雑談は、盛り上がった。あまり話題にならないことまで話し、帰ったのはPM11時ごろであった。

 

 

鉄道OBの月例部会

2010-04-28 21:45:05 | Weblog
 新年度になって始めての鉄道OBの「月例部会」がPM5時から支部事務所開かれた。
月例部会とは、1ヶ月に一回支部役員等が集まり、当面する事柄を話し合うところであり、それを確認周知するところでもある。
 支部長になって始めて臨む会議であり緊張もした。始まる30分ほど前に着いたが、既に何人かの人が見えていた。出席者は10名であったが、今後の支部活動をどのようにしていくか私の考えを聞いてくれた。
私の話は概ね以下の通りである。
「前任者の皆さんが築いてくれた組織を守り発展させていくため、会員の皆さんと意思の疎通を大切にして、誰もがOB会に入っていることに、安心と暖かみを感ずる組織にしていくことを目指す。
 そのため
 ① 地区のリーダーである地区幹事者会議及び系統別責任者会議を適宜開催情報を共有する。(概   四半期毎)
 ② 毎月支部の「行事予定等」を発行し、行事と会員情報等を皆さんにお知らせする。
 ③ 「支部だより」を四半期毎に発行し、支部活動等を皆様にお知らせする。
 ④ 会員交流として実施している、納涼会、忘年会、バス旅行を行うほか、定期的に実施している   グランドゴルフ、ウオーキング、ゴルフ、囲碁会を行うと共にカラオケ、マージャン大会も
   計画実施する。
 ⑤ インストラクター制度を活用した交流の輪を広げる。
 ⑥ 会員の把握に努め、病気見舞いや、慶弔を行なう。
 上記のことを言った。
 これ等のことは了解されたが、こんな意見があった。「魅力あるOB会にするには、それだけでは上手くいかない。努力にも限界がある。目に見えた形のメリットが必要である。
 OB組織は、静岡県でも4千人程がいるし東海地区だけでも、10千人以上の組織である。数は力であることは親会社にもあるはずだ。それが減少する傾向にある時、それを食い止める努力は、親会社にもあるはずだ。それを上部に言って、親会社から何らかのメリットを引き出すことも考えてほしい」こんな意見もあった。
 鉄道を愛する気持ちは、みんな持っていて、現職もOBもない。しかしそうした話があっても、今までは親会社に伝わっていないようだ。
 そうしたことを上層部に伝えてほしい、こんな意見であった。まだ支部長になったばかりの私は、気持ちは分かるが、それを上部に話すには躊躇する。そこで「そうした話は、他の地区にも立派な人がいるので、その人から言うような根回しをしたい。それがダメなら、別の方法を考えていく」こんなことを言った。上記ことは、OB会に入らない人が、考え直す切欠にならないかとの想いからである。
 最初の月例部会であったが建設的意見が多く出たし、宿題も残った会議となった。
 1時間ほどで終わったが、その続きは、近くの居酒屋で行った。何とか最初の月例部会は、良い形で終わった。どのようにしてOB活動を進めるかの方向が少し見えてきたような気がした。

夏蜜柑収穫

2010-04-26 21:10:54 | Weblog
 庭には二本の夏蜜柑の木がある。これは生前父が植えていったもので、既に30年以上は経っている。その木は毎年100個ほどの夏蜜柑をつけるが、今年は70個ほどしかつけていない。
 その内、1本の木は最盛期を過ぎたのか、今はあまり大きな蜜柑はつけなくなったし、実の数も少なくなった。2本は同じ時期に植えたものが、何故このようになったのか。
 考えるに、この木は、物置小屋の近くにあり、5年ほど前に、犬小屋を造ったとき、使ったセメントの余りを、物置小屋への通路として、モルタルを敷き詰めた。それは厚さ3cmほどの薄いものであったが、夏蜜柑の木の根元の半分ほどが舗装で覆ってしまった。その後も変わらず実をつけていたが、2年ほど前から、枝の伸びが悪くなり、葉も少なくなった。これが木を弱らせている原因ではないかと思い、今年の正月開けのころ、モルタルを剥して、肥料を与えた。
 それでも20個ほどの実を付けたが、色も悪く小さいため人に与えるようなものではない。
もう一本の木は、20年前家を立て替えるとき、業者が間違えて、地上50cmぐらいのところで、切ってしまった。それでも残して置いたところ、芽が出て、今では色合いの良い大きな実を付けるようになった。今は50個ほどの実をつけている。樹高が低いので、実の重さで、枝がたれ地面に届きそうになっているものもある。
 植えたのは同じ時期であり、20年ほど前までは、樹高が2m以上の木に育っていた。
 1本は、根元にモルタルを敷かれ、別の1本は、幹から切られてしまった。しかし夏蜜柑の生命力は強く幹を切ったほうは、10年ほどは木の成長のため実はならなかったが、その後は50個近い大きな実を付けた。それに引きかえ、もう一本の木は、たくさんの実をつけていたが、根の張る部分の地表の一部分にモルタルで固められたためなのか、弱ってよい実をつけなくなった。
 養分を取るべき根が、一番肝心で、養分を葉や実に送る幹は、生命力があれば、多少傷つけても大事に至らないものだ。植物の根幹は根にあることを思った。
 今日は合唱団の仲間とのゴルフコンペがあった。場所はFゴルフ倶楽部であったが、良い天気に恵まれ、楽しいゴルフができた。その上優勝までした。
 家に帰ったのはPM4時前であった。まだ暮れるには時間があるため、夏蜜柑を収穫することにした。既に新しい芽が出ていて、花も咲きそうになっている。
 この時期ちょうど良い収穫時と思い、二本の夏蜜柑の木の実を全て採った。
全部で76個あったが、大きな実を付けるほうは、色艶が良く全然違う。食べると、どちらの実も甘味があって美味しいが、実が小さなほうは、橙色の色も薄く、黒ずんで見える。
 その中から良いものを選んで、直ぐ近所の家にお裾分けした。
 
 

鉄道OB会総会

2010-04-24 21:15:18 | Weblog
 平成22年度鉄道OB会静岡支部の総会が4月24日(土)AM10時からT会館で開かれた。
今年度は役員改正の時期であり、新しく役員を選出しなければならない。
前支部長は、身体に自信がないとのことから、降りることになっている。その後任に推薦すると言われていて、現在まで来ている。
 私自身、こうした役は向いていないと思うが、受けなければならない状態となっている。
現在まで副支部長として支えてきたが、活動的ことはやらなかった。それはシガラミが多くて動けなかったとの思いもあった。
 AM9時にT会館の3階の会場に行くと、既に受付の人が何人かいて準備をしていた。支部長、もう一人のO副支部長、N事務局長も来ていて、資料等の配布をしていた。
 はじまる前に三役で意見調整をし、総会の議事の進め方を協議した。その中で、私は、平成21年度の活動実績、平成22年度の活動方針を説明すること、及び支部長と推薦するので挨拶するようい言われた。
 そのことは予想していたことであり、私が考えた、新しい人事の構想を話したが、今までの慣例から異論が出て、それが生かされなかった。残念であったが、最初から揉めてもしょうがないと思いみんなの意見に従った。
 総会は、JRから何人かの人が来て来賓として挨拶を受けた後、議題の説明と審議が行ったが、「顧問」と言う制度を設けた以外、大きく修正することもなく無事終わり、新年度の人事が発表された。
 支部長と会計監査員の一人が変わるだけで、後は留任し、顧問は別途支部長が決めることになった。この顧問は三役を補佐し、助言、進言する人を当てることにする。
 私は新支部長として挨拶したが、内容は簡単にした。
 その概要は、『平成22年度活動方針に則り、その実現に努力してまいりますが、その基本は「魅力あるOB会にする」ことにあります。その対策は直ぐ見つかるものではありませんが、地道に努力しますので、皆様のご指導とご協力をお願いします。』である。
 最近のOB組織は、減少の傾向にある。それは国鉄時代と違って、JRになって定年が伸びたこと、それに効率化によって要員が少なくなったことから、OBとなる人が少なくなっている。
 その上OBに対する魅力がなくなってきていることも挙げられる。
そうした観点から、少なくとも魅力あるOB会組織にして、未加入者をなくすことが、当面の課題である。
 その後懇親会が行われたが、60名ほどの人は、全ての人が先輩と思える、老齢の方ばかりである。それを見ても若い人(60代)に魅力が感じない組織になっていることが分かった。
 これからどうするか、考えることが多くなりそうだ。 
 

二本の庭木

2010-04-22 12:51:05 | Weblog
 昨日は初夏のような暖かさであったが、今日は、また冬に戻ったような天気である。雨が一日中降っていて、そのしずくの音が聞こえてくるような静けさである。
 仕舞いかけたストーブを出して、温かくなった部屋から窓越しに外を見ていると、ちょうど庭の木々は新芽が葉を広げ、薄緑色の若葉で覆いつくされている。各々の木が葉を広げているので、私の目線の2m~3m位の高さは、若葉が絡みあって、空間が見えないほどになっている。
 そんな中に、二本の木が群を抜いて見下ろすように立っている。高さは8mほどであるが、これは木が大きくなって家の高さより、大きくなるのは良くないと、教えられたからである。それが誰であったか思い出せないが、記憶にあり、毎年剪定する時、木の先端を切り落としているから、今の高さを保たれている。
 その木の間隔は、10mほど離れているが、互いに競っているように立っている。
 その木は「ヒノキ」と「ヒバ」である。庭木としては、あまり価値はない木であると思うが、樹齢30年以上は経っている。
 この「ヒノキ」と「ヒバ」は両方ともヒノキ科に属していて、学術的には同類の木とみなされている。葉のかたち等、外形は似た所があるが、違いのほうが多いような気もする。
 「ヒノキ」は、真直ぐ上に向かって伸びていて、剪定して樹形を乱しても、自然に樹形を整え、いつの間にか円錐形の形となっている。あまり手は掛からないし、どっしりした風格すら感ずる。
 それに比べ「ヒバ」は、密集する木であり、剪定もしないでおくと、内側の葉が枯れて、棘のようになった葉でいっぱいになる。枝はしなやかで、葉の重みで垂れるようになるが、折れることはない。そのため毎年枝を半分近く剪定し、樹形を保たせている。そのようにすると「ヒノキ」に対峙するような風格を感じるような木になる。
 この木は父が植えていったものであり、どうして庭木に、この木を植えたのか考えた。
 以前ブログで書いたが「ヒバ」は、別名「あすなろの木」と言われるように、私達子供達に『いつの日か「ヒノキ」になろうとの気持ちを持って生きてくれ』との暗示であったような気がした。
 それ故、その近くに「ヒノキ」を植え、それに見習えと言っているのかもしれない。
そうしたことは、この年まで考えたことはなかったが、雨の庭木を見ながら思った。
 針緑樹であり、新芽を出す時期は少し先になるが、秋に剪定したこれらの木が、動き出す息吹を感じている。

町内の集会から

2010-04-20 21:47:42 | Weblog
 新年度が始まり町内会活動も動き出した。今日は自主防災会及び社会福祉協議会それに運動会の準備会が開かれた。その第一回目の合同会合がPM6時から町内公民館であった。
 各々の委員が参加したため、30人ほどの会議となった。私は前年度で副会長を降りたものの、上記の3つの会の全てに委員として加わることになっている。
 役職は降りたので、仕事量は少なくなるかと思ったが、そのようにはならないようだ。
 しかし今回の会合は30代の男性も何人か入ってきたし、全体が若くなった感じである。
 最初は、自主防災会の平成22年度の活動計画が話された。会長はまだ会社勤めをしている60歳ぐらいのIさんであったが、新しい目で災害を想定したシュミレーションを計画の中に入れることになっていた。
今までこうしたことに踏み切れなかったが、新会長の決断で、良い活動計画をまとめるものだと感心した。
 しかし災害には地震であっても津波や火事も起こりうるし、台風等であったら、風水害等がある。そうしたことを考慮した実地訓練が必要であるがそうではなかった。先ずは住民に意識を浸透させることを目的に実施することになった。秋ごろに計画するとのことであるが、私も手伝うことにした。
 次は社会福祉協議会の事業計画が示された。これは昨年と同じようなものであったが、高齢者を呼んでの「ふれあい広場」は皆さんに好評であり3回行うことになった。今度も私はマジック等で役に立てたいと思っている。
 それに5月には環境緑化推進のため、花壇を造りもある。毎年一つずつ増やし、今年で3個目の花壇ができるが、その設計を頼まれた。現在2つの花壇は花が咲き頃で、きれいになっている。通る人がそれを眺めて通っているが、3個目ができるとより美しい花の広場が出来そうである。
 運動会は5月9日(日)に計画することになった。それでも雨天の場合の予備日も一週間遅れの16日なった。これも準備が大変である、景品の購入から、当日のテント張りからライン引き、それに実施に当たっての、委員の配置等、中々骨の折れる仕事である。これも何とか決まった。そして私の希望も組み入れてくれ、あまり目立たない裏方の仕事で済みそうである。
 今日の会議は、あまり質問も出ないで、1時間ほどで終わった。その後は、最初の顔合わせであり、会食となった。
 副会長を降りて最初の会合であったが、新会長のもと、委員も若いくなって、フレッシュな感じのする会となった。自分では若いと思っているが、段々追いやられるような、寂しい感じも受けた。

鉄道OB会での挨拶(案)

2010-04-19 11:16:31 | Weblog
 人前で話すことが苦手な私ですが、4月24日の鉄道OB会総会では、支部長として挨拶することになっている。気が重いが如何に話すか、素案を纏めることにした。
 『前支部長の○○さんから引き継ぐことになった○○です。未熟なものですが、会員の皆さんの親睦と福祉の増進のため努力してまいりますので、よろしくお願いします。
 私は現職時代○○管理局施設部の工事課、保線課等で防災工事や線路保守等の仕事をしてきました。
 特に昭和49年の七夕災害や昭和59年の富士川の橋脚流失の時はその復旧に昼夜寝ずに働いたことを思い出されます。その後現場長を経験し、昭和61年新幹線の職場を6年経験させていただき、平成4年関連会社に出向しました。そして平成17年そこを退職し現在に至っています。
 根が技術屋であり、計画や設計等に長く携わってきたので、人を纏めたり、話すことは苦手でありますが、縁あって大役を受けることになりました。微力でありますが皆さんの意見を拝聴して、重責を全うしたいと思います。
 先刻採決された、平成22年度活動方針に則り、その具現化に努力することはもちろんでありますが、その中でも以下に話す3つのことを重点的に取組みたいと考えます。
 1つは、組織を守るための、会員増強に努力します。かって日本有数の組織を誇った時期もありましたが、社会の変革、鉄道の民営化等で、現在は減少する傾向が続いています。しかしOB会に入会していない人も、まだ多くいます。そのためにはOB会を魅力あるものにする必要があります。
 その策は直ぐ見つかるものではありませんが、地道に努力していきたいと思います
 このためには、地区幹事の皆さん及び系統別責任者の皆さんと私達支部役員が連携して、会員増強のためのベクトルに向かって努力して行こうと思います。
 2つ目は、会員相互の親睦、交流に努めてまいります。
 現在行っている、定例的に行っている交流行事、クラブ活動、それに「支部だより」等はもちろんのこと、昨年出来たインストラクター制度を活用した交流等実施したいと思います。
 3つ目は、会員へのホロー活動を充実です。会員が孤立化しないよう努めます。
 これらの活動を通じて、相互親睦を図り、魅力あるOB会を作って行こうと考えます。皆様のご指導とご協力をお願いして簡単ですが挨拶とします。』
 

病気見舞い

2010-04-18 16:21:24 | Weblog
 D合唱団仲間のKさんは、会社勤めをしている。彼は音楽の造詣も深く、何事にも活発に行動する人間である。年齢は65歳とD合唱団の中では若い部類に入るが皆からの人望もあり、副指揮者をして頑張っている。
 彼は音楽以外にも、多くの趣味を持っていて、特にゴルフが好きで力強いスイングは、年齢を感じさせない強い球を打っていた。
 私も何度か一緒に回ったが、明るいキャラックターは、周りの人を和ませ楽しませてくれるプレイヤーである。
 その彼が日赤病院に入院したことを聞いたのは、先週の土曜日(4月10日)合唱の練習日の時であった。話では「軽い脳卒中であり、半身に多少の麻痺がでているが、話はできる」ことを聞いた。
 状況はその程度であり、多少安定したら見舞いに行こうと思っていた。16日(金)の練習の時、同じパートのNさんから「近い内に見舞いに行きませんか」と誘われた。都合を聞いて18日(日)AM10時に行くことにしたが、病院に聞くと面会はPM1時以降であると言われた。
 PM1時に病院で落ち合い、7階の彼の部屋に行った。
 ちょうど昼食が終わった後であり、待合室のような所で奥さんと一緒に話していた。いつも精かんな顔をしていた彼であったが、車椅子に座っている彼は、元気のない表情を浮かべていた。
 そしていろいろのことを話してくれたが声は聞き取れた。しかし、少し早口で話そうとするので、奥さんから「もっとゆっくり話すように」と諭されていた。
 以前の彼の話し方は、どちらかと言えば、早口であったが語尾がしっかりしていたので、良く聞き取れた。しかし、今は少し聞きにくいのは、口にも少し麻痺がきているのかもしれない。
 手足にも少し麻痺がきているようで、右手が重くと言って、左手を添え動かすような仕草をしていた。
 奥さんが言うに「仕事中に倒れたが、1時間ほどで、この病院に来ることができた」とのこと、早い処置であったと思う。手足の麻痺も軽いように感じたが、私より若く、規則正しい生活を心掛けていたのに、どうして自分なのかとの思いが伝わってくる。残念な気持ちは計り知れない。
 私は言ったのは「私の近親者で74歳の人が2年ほど前に、脳梗塞で倒れた。その後の処置が早かったことや、その後のリハビリに励み、6ヶ月ほどで正常に近い状態に戻った。今は定期的検診に行っているが、普通に生活できるようになった。貴方は若いし、先生の指導でリハビリするなら、きっとよくなるよ」と励ました。
 彼は軽度の脳卒中(脳出血)であり、リハビリを十分やれば、回復が早いのでないかと思った。
そして合唱やゴルフを楽しむことができるようになることを祈った。 

「黄長回顧録」から

2010-04-17 16:35:47 | Weblog
 「黄長回顧録」の本は、先日雨の日、妻から「図書館まで車で送ってくれ」と頼まれ、行った折り、見つけたものである。あまり関心は無かったが、ちょうど彼は日本の招きで、極秘に来日していたことを、新聞で知っていたので、借りて読むことにした。
 「黄長」は北朝鮮の政治の中枢にあって、主体(チユチエ)思想を体系的に纏めた人である。彼はこの思想を北朝鮮全土いや世界に浸透させ、マルクスレーニン主義のソ連、中国の共産主義思想とは違った、人間観に立脚した共産主義体制を目指そうとした思想家であり政治家である。
 この彼が1997年2月中国の韓国大使館に亡命し、現在韓国で生活している。政府に守られているものの、非常に不安定な状況にあると言える。
 彼は純粋の気持ちで、社会主義体制を標榜して、それが北朝鮮に合った基本思想として主体(チユチエ)思想を纏めた。これはマルクス理論を修正した人間観の上に立脚したものであった。しかしこの思想は、統治者によって曲げられ、ソ連、中国と同じような個人崇拝を、より強めるものに変えていった。
 その上規制された経済や農業政策は上手くいかず、国民生活は困窮しているのに、適切な策も講ずることなく、一部の特権階級のみが潤う体制が続いている。これに耐えられず、亡命を決意したと「黄長回顧録」には書かれてあった。400ページほどの本であったが、組織や出てくる人間の把握等に時間がかかり、やっと昨日読み終えた。そこから北朝鮮の体制が垣間見えたが、ここは軍事独裁国家であり、国民は体制に物言えぬ状態になっているようだ。
 朝鮮半島の民族は同じでも、社会主義と資本主義の違い以上に、統治者の考え方の違いによって。簡単には交わることが出来ない、溝になっていていることを感じた。
 日本政府も拉致問題を抱えており、話し合いの糸口を見出そうとしているが、この国家体制では、とても埒が明かないと思った。
 そして彼の亡命への決断は、小さな「わたし」を殺し、大きな「わたし」を生かす、新しい道に踏み出したと言っていたが、北朝鮮に残した、家族や同胞のことを考えると、生き別れは恋しさと切なさがいつまでも残り、胸を刺す思いを拭い去ることが出来ないと推察した。 

マジックと仲間の懇親

2010-04-15 23:24:56 | Weblog
 午後から2つのことをした。その一つはPM2時から、大浜にある介護施設Aをマジック仲間「あすなろ会」で慰問した。この施設は昨年に続いて2回目であるが、ここの施設長から再度の要請があり行くことになった。   
 この介護施設の、一階の広間には、木の香りがするテーブルと彫刻が施された壁掛けがあり、落着いた空間をかもしだしている。
 話を聞くと、直径2m以上の大楠木を切り、それをテーブルや壁掛けにしたが、ある著名の彫刻家が、彫刻を施したものであると言った。ここで打ち合わせをして、4階の多目的会場に案内された。ここにはグランドピアノが置いてあり、コンサートが出来るような広さがある。
 またここからの展望も良く、眼下に駿河湾があり、日本平から御前崎まで見渡せる。そして直ぐ近くには安倍川河口東側に大きな風車があり、微風が吹いているのか、ゆっくりと回っていた。
 PM2時少し前から入所者が集まり、PM2時には40人近くが集まってきた。今日のメンバー6人はT会長の指示で順番が決まり、各人得意の出し物を披露していった。私は3番目で10分ほどで、纏めるように言われていた。昨年も来ているので、そのときとは違ったものをと、昨夜から練習してきたものを出した。紐を扱うものであったが好評であった。
 10分ほどの演技は、結果として13分ほどかかったが、瞬く間に終わったような感じがした。
入所者の中に、反応の早い人がいて、いろいろ話し掛けてきて、それに合わせながら演技したので、時間が少しオーバーしたようだ。
 それでもPM3時には、6人はマジックの披露を終えた。、概ねみんな良く出来たようだ。
 皆さん事前に練習してきており、終わった後の安堵感と爽快感は良いものである。
 PM4時30分には家に帰った。直ぐ同僚との懇親会があるので駅に向かった。この会は、鉄道OB仲間の懇親会であり、定期的に集まり一杯呑みながら懇親しようと始めたものである。静岡駅コンコースにPM6時に待ち合わせることになっている。駅に着くと4人が揃っていて、近くの居酒屋に入った。
 この4人は現職時代の同僚で、一人は鉄道の関連会社に行っているが、他の3人は何も拘束されることがない自由人になっている。 しかし世俗を離れると、昔が懐かしいし、情報も中々入らない。
 そんなことから2ヶ月に1回は集まろうと決めた。
 やはり気になるのは、同僚や後輩達のことである。みんな元気でいるらしいことが分かったが、最近余りあわないと言った人もいて気になる。
 また以前に比べ、JRも厳しくなっていることも聞いたが、社員間の人間関係も良く、安全第一で取組んでいると聞いた。話は尽きなかったが、PM10時頃、再会を約して別れた。