Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

いずれがアヤメかカキツバタ

2007-04-30 16:53:57 | Weblog
 庭にアヤメの花が咲いた。数年前から別に植えたわけではないのに、アヤメらしい葉が密集して生えていたが、ずっと花が咲くことは無かった。それが昨年は10ヶ程の花を付けた。
 今年は何とかして,もっと多くの花を咲かしたいとの思いから、秋から冬にかけ肥料をやったり、土をほぐしたり素人なりに育てたつもりでいた。
それが10日程前に見たところ、茎から葉の分かれ目が微かに茶色に変って日に日に大きくなっていった。それが花となって今15ヶの紫色の花を付けた。
 緑の中に風に揺れながら咲く花は、見るからに弱々しく可憐さを感ずる。
平安の昔の和歌や絵巻によく出てくるアヤメかカキツバタだろうとは思っていたが
判らなかった。
 今回図書で調べて花弁の付け根に黄色と紫の虎斑模様があることからアヤメであることがわかった。
野生のアヤメなのか花は6cm程と小さいが濃い紫色の花弁は大きな金柑の木の下で、凛々しくも可憐な姿で咲いているのは、その存在感がある。
 アヤメは一本の茎から2つの花目を持っていて1つの花が萎んでから次の花を咲かせる。見るものに2度の楽しみを与えてくれる。
このことは、人の生き方に何かを暗示してくれている様な気がする。
 何か有り難い気持ちにさせてくれる。
 

ウオーキングに参加して

2007-04-29 20:23:21 | Weblog
 今日は快晴だ。先週の日曜日は雨で中止したウオーキングに妻と行くことにする。昨日瀬名に住む妹に「母を一人にするので、昼間様子を見に来てほしい」旨伝え、9時前家を出る。母は「足が痛いので寝ている」と言って床から出てこない。
 ウオーキングのコースは天竜川東側にある豊田町駅を出着点とした10.2kmの平坦地だ。これはJR東海が「熊野の長藤と香り・芸術・文化の町」を訪ねてと銘打ち主催したものだ。
私もこうした企画には5年ほど前から時々参加している。
 このウオーキングの目玉はやはり熊野の長藤ではあるが、徳川家康が武田信玄との戦で敗走して浜松城に帰るとき、武田軍に追いつかれ命拾いした一言坂戦跡、天竜川池田の渡し等歴史跡が鏤めたコースだ。30年程前浜松に在住したことがあり
この辺は幾度か通ったことがある土地ではあるが、改めて歴史の香りを感じさせられた。
 熊野の長藤は、丁度満開の時期を迎え、1m程に伸びた紫色の房は顔にかかりそうだ。「藤は雨が似合う」とは私の感覚であったが、太陽の光を浴び1面に輝く藤棚もまた格別である。舞台では琴の音に併せ踊りがあり、通りでは山車が繰出されハッピ姿の若い衆が勇ましく声を出している。
人垣は途切れることなく続き、藤の花に驚嘆している。
さぞや夜ともなれば提灯が灯り、ライトアップされた藤花と琴の音に、いにしえの世界にいざなう想いではないだろうか。
 そのような事を考えながら豊田町駅に着いた。
電車は15分間隔で到着するが、ホームには200人近くのリックを背負った人々が待っている。
このウオーキングの参加者は何人か把握出来ないが、相当多くの人が楽しんだことが判る。
 ふと思うに、このような企画は、国鉄時代は考えもしなかったことと思うが、民営化され、誰かの提案によりこのようなことが出来ることになったと聞いた。私にとっても隔世の感だ。今日一日さわやかな気持ちで過ごすことができた。
自然に感謝する。

「HOTひといきコンサート」を聴く

2007-04-27 22:38:01 | Weblog
 静岡市の文化事業として、毎月週末に市役所1階ラウンジで、正午から1時間程プロの演奏家が「HOTひといきコンサート」を実施ている。
 この演奏会は静岡から芸術を発信するとのことで、静岡に関係ある芸術家がここから育っていくとのことである。今回106回と言うことで長い歴史を感じる。
 このコンサートに、静岡男性合唱団の常任指揮者の下村信幸先生が出演することになった。先生はバリトンの歌手であり、伸びのある声量と豊かな表現は常々合唱団の練習で聴かしていただいている。
 先生が出演される12時10分前に市役所ラウンジに入った。
既に200程用意されていた椅子は、ほぼ満席の状態であった。合唱団の仲間がいたので、その近くの一角に何とか席を確保した。
開演時には、立見ができるまでに多くの人が集まり先生の歌声とそれを引き立たせる話術のうまさに、堪能し時の経つのも忘れさせた。
 エピソードも知ったが、声楽家として現在があるに、労苦と周りの愛情を垣間見る事ができた。
中でもアンコールで歌った「千の風になって」は、私の心に響いた。
いい音楽は心を癒すが、声量豊かな生の声はそれに力を与えるようだ。
                                有難とう。
 
 


ピアノ教室

2007-04-26 16:11:17 | Weblog
 目覚まし時計の音で目を覚ます。6時はまだ眠い、妻は「9時30分までに陽子(長女)のところに行くので、それまでに犬の散歩と朝食を済ませるように」とのこと。眠いが散歩に出る。
天気は快晴である。霞みかかった空と季候の爽やかさは、早春の今しか味わえない。2時間ほど掛け、ゆっくりと前浜の海岸から大谷方水路沿いを歩いた。
方水路沿いに植えられていた桜は既にその面影は無く新緑で覆われ、その間から富士の山が見える。雪に被った富士はすそ野まで見せている。
 今日は、午後ピアノ教室がある。60の手習いとして始めたピアノも1年3ヶ月程になるが、上達が遅く行くたびに同じところを弾かされる。やめ様かと何度か思ったが先生の「幼児に対すると同じほめ言葉と、壁に当っているんですよ、乗り越えれば」と言った言葉にほだされて続けている。
 始めたきっかけは、呆け防止のためが一番かもしれないが、心の隅に子供の頃
からピアノが弾けたらなーとの思いがあった。今は雑念が消え静かに向かい合える。
 今日は、母はデイサービスに行っているし妻もいないのでピアノの練習のため2時間ほどかける。しかし受験生が直前に徹夜して勉強しても、うまくいかないように、だめかも知れない。
 こんなことを言っている間に時間が来た。楽譜を持ってSBS学苑に行く。
因みに、先生は、音大を出た30代の既婚者であり美人だ。


願かけ日限り地蔵尊

2007-04-24 15:09:53 | Weblog
 24日は浄祐寺の「願かけ日限り地蔵尊」の祭日だ。
この地蔵尊は、毎月24日に行って願掛けをすると、願いが叶うとの言い伝えがある。このことは半年程前に叔母(母の妹)から聞いた。
 叔母は「私は30年位前から24日の日切地蔵尊に行っている。そこであることを叶えてほしいと願ったところ実現出来たので、雅之もやったらいいよ」
と言われた。
 誰にも悩みはあるし、それがうまくいってほしいと願うのは誰しもである。
そこで私も毎月24日の朝お参りしょうと決めて実行することにしている。
 浄祐寺は日蓮宗の寺であり、母の実家の菩提寺でもある。私の祖父母も眠っているので墓参りを兼ね、行くようにしている。
 朝食後近くの花屋で花を求め自動車て出かける。このお地蔵さんには、列が出来るような混合いはないが、途切れることなく若い人からお年寄りまでが線香をたいて手を合わせていく。
このお地蔵さんのことは、あまり知られていないと思っていたが、口伝えに拡がったのか多くの人がいる。誰もが言葉にはあらわせないが、悩みや頼みごとがあることを感ずる。
 私もお参りを済ませて、祖父母の墓参りに行く既に誰かが来たのか赤い小さな花の束と黄色い花の束が飾られていた。
それらは各々輪ゴムが付いていて2組の人な来たことが判る。線香の香りも残っていた。私も白い菊の花と香花を花壇に飾った。墓の中で先祖が「今日は沢山の人が来てくれてありがたい」といっているように感ずる。
 今日の日も気持ちよく始まった、あり難い。


母の機嫌

2007-04-22 12:26:22 | Weblog
 目を覚まし耳で外の様子を確かめる。静かな雨音が聞こえる、晴れたら行こうと思っていたJR東海主催のハイキングは中止することにした。
妻は残念がって6時に掛けた目覚まし時計を押したまましばらく寝ている。
 外は晴れのように明るいが、静かに雨が降り続いている。庭の木々は益々芽を伸ばし緑が増している。
 朝食になっても母は起きてこない「母さんご飯だから起きて」と伝えるが機嫌が悪いのか寝たまま「ご飯は食べない」と言ってがんと起きようとしない。
 昨日から母の様子はおかしい、押入れやクローゼットを開け探し物をしている。
「何を探しているのか」聞いてもはっきり言わないが「誰かが私のものを持っていってしまう」と言って、私の意見も聞かずにその行為をやめない。
夕食も一緒に食べず、後から一人で食べたようだ。風呂も入らなかった。
どうしてかは判らないが、昨日は私が午後3時~9時まで外出したこと、天気が悪いことが、認知の状況を悪くしているのではないかと思う。
 今日も午後から晴れるとのこと、元気に起きてくればと思いつつ、妻の買い物のため、車で近くのマートに行く。



庭の藤花から思うこと

2007-04-20 22:30:30 | Weblog
 10日程前には枝の隙間から道路や向かいの家からの話し声が聞こえた我家の庭先も、今は新緑が芽吹き一面緑に覆われたようになっている。
何か自分の空間は他から隔離された柔らかい真綿のような中に居るような錯覚を覚える。この時期は一年の内で一番いいと思う。
 その庭の一角に小さな藤棚がある。長さ2m、巾1m程の藤棚だが今日濃い藤色の花をびっしり隙間なく付けた。1週間ほど前に薄い藤色の花を付けたが、少しずつ伸びて茎いっぱいの花は50cm程になった。
今日が一番の見ごろである。母と妻も「今年の藤が一番いいね」と言って眺めていた。
 思い出すに、12年前今は亡き父が「熊野の長藤のような藤を庭に植えたいなー」と言ったことだ。その時の父は弱く庭を見たり、手入れすることが唯一の楽しみだった。
探し求めて、一本の苗木を植えた。その父も11年前藤の花を見ることなく他界した。
その花が今を見ごろと満開の花を付けている。
きっと何処かで、父もこの花を見ているような気がする。





母の定期診断

2007-04-18 16:41:13 | Weblog
 母の定期健診のため、掛かりつけの杉山医院に行く。
昨日電話で連絡すると「朝食を取らずに来てください」とのことであった。
最近の母は動作が遅くなっているので何度か催促して、開院するAM9時に病院に入った。
 既に6~7人の患者がいたが4、5才の子供が熱を出したのか父親が毛布に包め抱きかかえている姿以外は、感ずるところ70才以上の高齢者ばかりだ。
母もその中に知人が居たのか目で挨拶するが、相手はキョトンとしていた。
見るに母が変わったのか、相手が認知できない状態なのかは判らないが、老人の多さに、改めて驚く。
 定期健診では、血液検査以外は医者から結果報告があった「尿に少量の血液が混ざっているが、直治療するようなことではないので3ヶ月後に再検するのでそれまで様子を見たいこと、背中の痛いのは高齢による骨の収縮で痛むことがあるが内科的には心配ない、今行っている整形外科の薬でよいのではないか」とのことであった。ホッとして待合室で清算するんをまつ。
 先ほどいた子供の父親は、未だ子供を抱えて不安そう待っていた。
自分が30数年前、夜中に子供が高熱を出して病院に駆け込んだ時の気持ちが重なりその心境が判る。何か昔を思い出させるひとこまであった。
無事であれと願って病院を後にした。
 今日の結果は、全ては判らないが、母も高齢にしては概ね内臓の悪いところは無さそうであり、一寸安心する。
 小雨が降る寒い一日であったが、心には寒さが感じられない。 有難い




一週間のはじまりに当って

2007-04-16 18:14:37 | Weblog
 朝6時起床し空を見る。曇っているが雨は無さそうだ。昨夜の天気予報では午前中は曇りであるが、正午頃から雨とのこであった。
 今日は仲間とのゴルフコンペがあり気になっていた所である。
「この分では何とか持ちそうだ」と思いつつ、犬の散歩を兼ね帝釈寺に墓参りを済ます。朝食をかきこみ、大谷のゴルフ場に向う。
既に9人の仲間は待っていて、スタートできる状況であった。
 私は一組目のメンバーであり3人でのスタートだった。この仲間とのゴルフは2回目であり前回よりリラックス出来たような気がする。
 特にメンバーは温厚なSさん、明朗闊達なKさんでありスコアーに関係なく楽しく回ることが出来た。
 クラブハウスで皆と昼食後家路についたが、程よい疲労感と心地よさがなんともいえない。
 今週月曜日のスタートが、いい感じで迎えることが出来たことはあり難い。
 午後4時頃母もデーサービスから帰ってきたが、良いことがあったのか、表情が明るい。
                           今日の日を感謝する。