奇跡講座ワークブック レッスン6~10の復習
レッスン6「私の心が乱れるのはそこにないものを見ているからです」
レッスン7「私は過去だけを見ています」
レッスン8「私の心は過去の思いにとらわれています」
レッスン9「私はいかなるものも、ありのままに見ていません」
レッスン10「私の思いには何の意味もありません」
レッスン51といい、52といい、説明文が沁み過ぎています。
1周目のときは、これって出来てるの?出来てないの?
ということにばかりに意識がいっていたな、と、自我はまた
「過去の思いに囚われております」。
どこまで奇跡講座を真剣にやろうとも、それをやろうと思う私が
いる限り、幽閉は続きます。このパラドックス!
しかし、この矛盾のない思考体系、私にはこれしかないのですが、
この世界の価値観を手に入れられない自分が辛すぎる理由から奇跡講座に
傾向している自分も認識しているので、なんとなく本気じゃないな
というところもあります。
① 何かを頑張りたいけど、誰にも必要とされず、されたとて応えられない、
でも評価は欲しい怠け者の私
② 親に学費を出してもらった手前、仕事をやらねばならず、結果それなりに
安定したが、もはや評価も金も要らないから何もしたくなった怠け者(友人
曰く)の友人。
未だに絶対、後者が良いに決まってると思っている私です。
天職、知り合いからの評価、社会性、社交性、人当たり、、どう考えても
これらに付随する負に耐えられないと分かっていても、切望しては
傷付く(無様なやけど by Cocco)
私は全て、です。それを信じる練習をします。とにかく落ち込んだり、
憂鬱になったり、焦ってみたり、計画を立てたり、計画どおり事を進め
ようとしたり、調整したりせずに全部委ねる。これだけ警戒す!
がしかし、自我はしないことを目標にしてしまう。
ひたすらこの惨めな頑張り屋の自我の実在性のなさを見つめよう。