起訴が,あるいは有罪判決が,事件の全体構造をとらえたものか,納得がいかない面があるというのは,法律的にどういう意味のあるコメントなのだろうか。私には,法律の,それも刑事司法の専門家が,このようなコメントを出すことの方に,むしろ納得がいかない面がある。
秘密漏示罪は,被害者のある犯罪ではなく,公益を侵害法益としているはずである。そもそも,秘密を扱う者が,その秘密に触れてはならない者に,その秘密を開示するだけで,十二分に犯罪は成立する。その一断面を切り取って公判にかけるだけで十分であって,全体構造は,量刑事情にすぎない。起訴が全体構造をとらえている必要はなく,量刑で考慮されれば十分といえる。
草薙氏の起訴の見送りは,法律的にではなく,社会に対する害悪として,一番悪い人間を裁判にかけることを見送ったという意味で,バランス的にみて落ち着きの悪さを感じるが,言論の自由との関係で難しい問題を生じさせかねないという点を考慮した結果として,悪いこととはいえないだろう。
この辺りのさじ加減は,検察としても,とても難しい判断を迫られたと思う。
他方,崎浜被告人の弁解も不可解に思える。広汎性発達障害に対する社会の理解がなかなか進まないからといって,それに十分な理解があるとするには疑問のある相手に,生のデータを見せてよいとは思えない。
広汎性発達障害は,社会の包容力が乏しくなった現代において,問題が水面上に現れるようになっている。世間一般の理解を得るためには,専門家のフィルターを通し,それを上手に組み立てた情報提供が必要なことはいうまでもない。そうでなければ,ゴシップジャーナリズムの餌食になることは目に見えている。
それも分からないようでは,専門家を自称する医師としては失格ではないか。
ジャーナリストの扱いには,十分注意しなければならない。
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