昨年10月に 43年間も読みつずけたY新聞の購読をやめた。Y新聞は、親の代からずっとだったから、ずいぶん考えてのことだった。
理由は、二男が時々地元の新聞に載るようになり、コンビニまで買いに行くことが面倒なことと、たまたま雨の日に濡れていたことが3回くらい続いて、断る理由が
出来てしまった。
昨日 Y新聞の責任者が見えて、最近は、不景気で生活が苦しく、高齢者の購読が
どんどん減っている。また、若い人いたちの新聞離れで、経営困難になっている。
とのことだった。
何とかまた購読を再開してほしいと 頭を下げられたが、2つの新聞を取れるほどのゆとりもなく、10月から始まったばかりの地元新聞を すぐやめることも
できないので、申し訳ないが お断りをさせていただいた。
考えてみれば、新聞の記事を細かく読んでいたわけでもなく、チラシも最近はみな同じようで 魅力もなく、どこの新聞でもよかったのだが、だからこそ、
毎日心の通う配達の仕方が 大切だったのではなかったか?
43年間ポストに入れてきて、この先もポストに黙って入れていく・・・集金は銀行振込みだから、安心だったに違いない。
たかが1か月3000円の仕事だが、毎日社会と家庭をつなぐ大切な仕事である。
紙を運ぶのでなく、一緒に心も運んでの43年だったと思う。
たぶん何人かの人にバトンタッチされながら、雨の日も風の日も 運んでいただいただろう。
たった3回の濡れた新聞を配達したために、黙って他者に切り替えられるとは、
思わなかったろう。
水泡に帰す・・の ことわざがあるが、こんな少しのことで 人の心は、代わってしまうのだ。
たまたま我が家では、それを実行してしまったが、もしかしたら、私もどこかで そんな思いをさせているかも知れない。
人の心の不思議な真理を よくよく見極め 行動していかなくてはならない。
人の数だけ 心があり 心の数だけ思いがある。
思いを、どんなふうに どれくらい受け止められるかによって、人生の巾が広がるのだろう。難しい。
理由は、二男が時々地元の新聞に載るようになり、コンビニまで買いに行くことが面倒なことと、たまたま雨の日に濡れていたことが3回くらい続いて、断る理由が
出来てしまった。
昨日 Y新聞の責任者が見えて、最近は、不景気で生活が苦しく、高齢者の購読が
どんどん減っている。また、若い人いたちの新聞離れで、経営困難になっている。
とのことだった。
何とかまた購読を再開してほしいと 頭を下げられたが、2つの新聞を取れるほどのゆとりもなく、10月から始まったばかりの地元新聞を すぐやめることも
できないので、申し訳ないが お断りをさせていただいた。
考えてみれば、新聞の記事を細かく読んでいたわけでもなく、チラシも最近はみな同じようで 魅力もなく、どこの新聞でもよかったのだが、だからこそ、
毎日心の通う配達の仕方が 大切だったのではなかったか?
43年間ポストに入れてきて、この先もポストに黙って入れていく・・・集金は銀行振込みだから、安心だったに違いない。
たかが1か月3000円の仕事だが、毎日社会と家庭をつなぐ大切な仕事である。
紙を運ぶのでなく、一緒に心も運んでの43年だったと思う。
たぶん何人かの人にバトンタッチされながら、雨の日も風の日も 運んでいただいただろう。
たった3回の濡れた新聞を配達したために、黙って他者に切り替えられるとは、
思わなかったろう。
水泡に帰す・・の ことわざがあるが、こんな少しのことで 人の心は、代わってしまうのだ。
たまたま我が家では、それを実行してしまったが、もしかしたら、私もどこかで そんな思いをさせているかも知れない。
人の心の不思議な真理を よくよく見極め 行動していかなくてはならない。
人の数だけ 心があり 心の数だけ思いがある。
思いを、どんなふうに どれくらい受け止められるかによって、人生の巾が広がるのだろう。難しい。