日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

ボタンは誰が合わせるのか?

2010-05-24 20:18:54 | Weblog
体調が悪く早退した日のことだった

昼夜も食べたくない程の状態だった

こんなことはめったにないことで

どんなの具合が悪くても食事だけはしっかり食べられるのが

私の良いところだったのに・・・

しかし夫の分は作らなければならず

「何か作ろうか?お弁当でも買ってこようか?」と

声をかけてくれることを期待していたが

一向に声がかからず台所に立ち始めた

すると長男から電話が入った

「お母さん今ベニマルにいるからお弁当をかっていこうか?」

と私を気使う電話だった

「マー君は気が効くね ありがたいね

お父さんにも言ってほしかったよ」と思わず言ってしまった


「まったくお母さんは何時もそうなんだから

言葉にとげがあるんだよ 昔からそうだった

言わなくちゃ分からないよ!」と

夫が怒りだしたので 何時もの通り私は黙りこんで終わってしまった

何時だってこんな風に思いが伝わらず

言わなくたって分かりそうなもんじゃないかと

43年間の思いが 湧きあがってきたが

仕方がないかーと半ばあきらめてひたすら眠り体調を整えることに

専念しようとエネルギーを蓄えた


今日は人と会う約束があって教会へ行った

私は何のためにここに座っているのかな

心の勉強をしながら同じ所で問題の解決ができず

どうしてすっきりしないのかな

私は何をしたらいいのかな と

小一時間座り込んで神様に語りかけていた


そして学びに入った

最初の節からずしんと響いた

「心(感情)で生きる人間は
 心(気持ち)明るく流れるほどに
 すべての出会いが楽しくなる」

解説 怒ったり 憎んだり 恨んだりして力んでいると
   体調がどんどん落ちていく
   治る病気も治らない
   
   自分の思いをきちんと言葉で相手に伝えること
   それは家族から始めるとよい
   なぜならば自分を一番わかっていてほしい人だから
   言葉で伝えなくては分かりません

この後約40分の学びだったが気がついたことが沢山あった

夫は6人兄姉の末っ子で 幼小のころは曽祖父母もいて

表に出ると汚れないように茣蓙を持ち歩いてくれたくらい

大事に可愛がられたそうで 食べ物も分け与えなくても

十分食べられたそうだった

私と言えば

理髪業の父と宮大工の棟梁の一人娘の母の間に生まれ

終戦後は北千住の下町で育ち

人にはけしていやな顔を見せるなよ

自分で食べなくとも 周りの人に分けるんだよ

一を聴いて十を知るんだよと

なんともせせこましい育ち方をしたもんだから

口に出すのは最後の手段

相手の顔色を見て察することが自分流のよい所だなんて

タカをくくっていた

そして夫にもそれを要求していたのだった


夫は真面目で純粋でとても人の気持ちをこじ開けて入り込むなんて

出来ない人だから顔色を見て察するなんて到底出来るはずがない


子供たちに言わせれば

お母さん言えばいいのに お父さんがかわいそうだよ

といつも説教されていたけれど

サッシが悪いんだからーといつも自分の殻に閉じこもり

夫の身になって考えたこともなかった気がする


こんな私と43年も付き合って

最近ではかなり気を使ってくれるようになったのも

学びの中から素直な夫の方が先に 育ち方の違いに気がついたんだと

思うと 感謝もしたが してやられたかーと悔しい!


そうか 私が教会に通う意味がやっとわかった

自分の性格をとことん知ること

其の性格を好きになり自信を持って生きられるようになること

いい人生だったと笑って終日を迎えられること


こんなことだったのかと思ったら嬉しくなった


風邪が長引いてしまったが

これからは言いたいことはきちんと伝え

素直な心で夫と向かい合えるようになりたい


いまさらだが


怪我の光明だった





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