日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

新聞の変更

2008-01-11 22:53:34 | Weblog
 昨年10月に 43年間も読みつずけたY新聞の購読をやめた。Y新聞は、親の代からずっとだったから、ずいぶん考えてのことだった。


理由は、二男が時々地元の新聞に載るようになり、コンビニまで買いに行くことが面倒なことと、たまたま雨の日に濡れていたことが3回くらい続いて、断る理由が
出来てしまった。


昨日 Y新聞の責任者が見えて、最近は、不景気で生活が苦しく、高齢者の購読が
どんどん減っている。また、若い人いたちの新聞離れで、経営困難になっている。
とのことだった。


何とかまた購読を再開してほしいと 頭を下げられたが、2つの新聞を取れるほどのゆとりもなく、10月から始まったばかりの地元新聞を すぐやめることも
できないので、申し訳ないが お断りをさせていただいた。


考えてみれば、新聞の記事を細かく読んでいたわけでもなく、チラシも最近はみな同じようで 魅力もなく、どこの新聞でもよかったのだが、だからこそ、
毎日心の通う配達の仕方が 大切だったのではなかったか?


43年間ポストに入れてきて、この先もポストに黙って入れていく・・・集金は銀行振込みだから、安心だったに違いない。


たかが1か月3000円の仕事だが、毎日社会と家庭をつなぐ大切な仕事である。
紙を運ぶのでなく、一緒に心も運んでの43年だったと思う。


たぶん何人かの人にバトンタッチされながら、雨の日も風の日も 運んでいただいただろう。


たった3回の濡れた新聞を配達したために、黙って他者に切り替えられるとは、
思わなかったろう。


水泡に帰す・・の ことわざがあるが、こんな少しのことで 人の心は、代わってしまうのだ。


たまたま我が家では、それを実行してしまったが、もしかしたら、私もどこかで そんな思いをさせているかも知れない。


人の心の不思議な真理を よくよく見極め 行動していかなくてはならない。


人の数だけ 心があり 心の数だけ思いがある。


思いを、どんなふうに どれくらい受け止められるかによって、人生の巾が広がるのだろう。難しい。

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