水の丘交通公園

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国鉄 キハ10系気動車

2011-06-04 21:12:03 | 保存車・博物館
非電化区間の近代化促進、及び動力分散化による輸送効率化のために登場した
車両である。
昭和28年~昭和32年にかけて728両が製造された。
製造を担当した主なメーカーは東急車輛、帝国車両、日本車輛、新潟鉄工所、
汽車会社などである。

構成形式と簡単な解説は以下の通り。
キハ17形・片運転台車でエンジン1基搭載。車内は1~205号がオールボックスシート、
 206~402はデッキ寄りの座席をロングシートにしたセミクロスシートである。
 便所付き。402両製造。
キハ16形:キハ17形の便所無しバージョン。車内はセミクロス。99両製造。
キハ10形:便所付きの両運転台車。エンジンは1基。車内はセミクロス。70両製造。
 両運転台の機動力の良さと便所無しの仕様が買われ、退役後、最も多くの数が
 地方非電化私鉄へ譲渡されている。
キハ11形:キハ10形の便所付きバージョン。車内はセミクロス。74両製造(内11両は
 100番台)。
 こちらは引退後2社に払い下げられ、うち茨城交通のものは平成18年ごろまで
 運用されていた。
キハ11形100番台:キハ11形の寒冷地バージョン。北海道での液体変速式気動車実用化の
 試金石となった。ただし、客室の防寒が不十分だったため、本格的な北海道用
 気動車となるキハ12形登場後は本州へ渡っていった。
キハ12形:キハ11形100番台の欠点を見直して窓を二重にし、防寒対策を強化したもの。
 当初、デッキに仕切りが無かったが、後年装備された。
キハ18形:運転台の無い中間車。エンジン1基搭載。31両が製造された。
 車内はオールボックス(1号~15号)、それ以降はセミクロスである。トイレも無し。
 運転台が無いため、当然自走が出来ず、普通列車では頻繁に行われた編成の
 組み換えに大きな制約があったことから、気動車の利点を活かしきれなかった。
 本形式以降、国鉄が導入した気動車で完全な中間車は編成運転が基本の特急型と
 急行形に限られ、一般用は基本的に運転台装備となった。
キロハ18形:運転台の無い中間車で2等・3等合造車。エンジン1基。8両だけ製造された。
 最初の5両は国鉄は全く製造する気は無かったものであるが、千葉県と千葉市から
 「気動車にも2等車を連結せよ」と猛烈な圧力を受け、渋々投入したものである。
 残り3両は関西本線の気動車準急(後の急行「かすが」)に連結され、2等席には
 扇風機が設置され、その部分だけ天井が出っ張っていた。
 後継の急行用気動車が入るようになると客室設備が大きく劣ることから、
 昭和30年代後半に荷物用のキニ15、郵便・三等合造のキハユ15になり、キハユ15の
 一部は郵便荷物車のキユニ15に再改造された。
キハ50形:キハ17形のエンジン2基バージョンの試作車。2両製造。
 エンジン配置の都合から、車体長が22mと異様に細長い車体となってしまった。
 トイレは無し。勾配線向けに一定の成果は出したが、車体長がネックとなり、
 昭和30年代後半にエンジンを1基外してキハユニ17に改造され消滅。
キハ51形:上記の量産形式。20両製造。エンジン配置を見直して車体の長さを支障の
 無い範囲に収めた。トイレ付き。
キハユ15形:キロハ18形から改造された郵便室付き2等(←3等)合造車。2等室(→
 1等室)側妻面にあった便所と洗面所を撤去し、1等室を郵便室に改造したもの。
 6両が改造され、うち5両が客室を除去してキユニ15形に再度改造されている。
キハユニ17形:キハ50形から改造された郵便・荷物室付き2等合造車。2両が改造された。
 このうち1両は新潟駅構内で新潟地震に遭遇し、倒壊した跨線橋の下敷きになり
 大破して廃車されている。残りの1両は昭和55年まで運用された。
キハユニ18形:キハ16形から改造された郵便・荷物室付き2等合造車。8両が改造された。
 その後6両がキユニ18形に再改造された。
キハニ15形:キハ18形から改造された荷物室付き2等合造車。1両だけが改造された。
 元の車体を活かしつつ貫通型の運転台を設置したため、独自のスタイルが特徴で
 あった。
キユニ11形:キハ11形から改造された郵便荷物車。3両が改造された。
 これらの中で唯一の両運転台形式。
キユニ15形:キハユ15形から再改造された郵便荷物車。5両が改造された。
キユニ17形:キハ17形から改造された郵便荷物車。0番台と10番台があり、合わせて
 11両が改造された。違いは郵便室の執務室の構造。
キユニ18形:キハユニ18形から再改造された郵便荷物車。6両が改造された。
 荷物室と郵便室の位置が最初の3両と後の3両で真逆となっている。
キニ15形:キロハ18形から改造された荷物車。2両が改造された。運転台の向きが
 同じくキロハ18形から改造されたキユニ15形と異なり旧3等室側なので洗面所や
 便所が残されている。
キニ17形:キハ17形から改造された荷物車。5両が改造。車端部には客用時代の
 ドアや便所が残されている。
キニ55形:キハ51形から改造された荷物車。4両が改造された。
 車体が長い以外はキニ17形と同じ。
 
車体は全鋼製で軽量化を図りつつ、輸送力を確保するため、車体断面を極力小さく
したため、その当時の電車や客車に比べて幅や高さが小さい。
正面は貫通型で1両単位での連結・分割が可能なように配慮した構造となり、
以降の国鉄形気動車の標準となった(特急型を中心に例外あり)。
行き先表示は側面中央部にサボを差し込むだけで正面には設置されない。
塗装は当初が紺色に黄褐色のツートン、後にクリームと朱色のツートンとなり、
最後はタラコ色1色となった。

車内は全て4人向き合わせのボックスシート、若しくは客用ドア側付近をロングシートと
したセミクロスシートである。
当初はビニルレザー張りでシートの肉厚が薄く、背もたれは後ろに座った人の
背中の感触が伝わってくる程であったという。
また、通路側には肘掛も無く、狭い車体幅に合わせて座席の幅も狭かったことから、
居住性は悪かった。
後年、座席はモケット張りに交換されている。
側面窓は上部固定・下段上昇のいわゆるバス窓で客用ドアは片側2箇所、片引き戸である。
車体両端にドアのある構造であるが、仕切りがあるのは北海道仕様のキハ12形
だけであった。
トイレ設置車は客室内に水タンクを設置し、両運転台のキハ11・12形では
客用スペースを確保する必要から、乗務員室後方にめり込むような形で
配置され、便器も斜めに配置されている。キロハ18形の2等室(後に等級改定で
1等室)側の便所は独立した洗面所を有し、座席の間隔も広めにとられていた。

機関はDMH-17B形ディーゼルエンジンでキハ50・51形以外は1基搭載である。
国鉄の量産型気動車で初めて液体変速機を実用化し、複数の車両を総括制御
することが可能になり、国内の非電化区間へ気動車の導入が進められる
契機をつくった。
ブレーキは直通管付き空気自動ブレーキで当時の電車と同じものを採用した。
台車は軸バネ支持を下天秤式ウイングバネとしたブッシュゴム台車である。
走行安定性を確保する面から、バネのセッティングを硬めにしたが、その特性上、
どうしてもゴツゴツした乗り心地となってしまい、制動時などには激しい上下動を
伴うなど、貧弱な客室設備共々評判は芳しくなかった。
このため、後年にキハ20系などと同じウイングバネ式コイルバネ台車に交換を
実施したものがある。

北は北海道から南は九州まで幅広い地域で運用されたが、従来の大型車体でも
軽量可能な技術が確立されると、改良型であるキハ20系が登場し、本形式は
一気に陳腐化することになった。
このため、登場から10年と経たずに郵便車や荷物車に改造されたものが
存在する。
小さな車体ゆえ、車内が狭く、乗務員室も狭かったため、タブレット交換の
際には苦労が伴ったという。
老朽化による廃車は昭和53年ごろからで昭和59年にかけて全車が廃車となった。

廃車後、津軽鉄道、南部縦貫鉄道、茨城交通、鹿島臨海鉄道、加悦鉄道、
水島臨海鉄道などに譲渡されている。
このうち南部縦貫鉄道のものは動態保存されている他、加悦鉄道でも加悦鉄道広場で
静態保存されている。
茨城交通のものは21世紀を跨いで運用された。その後、新車の導入で廃車が決まり、
1両が鉄道博物館、もう1両が佐久間レールパークを経て鉄道リニア館で
保存されている。
また、鹿島臨海鉄道で運用されていたものが鹿島市内の釣堀で利用されている。


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